第四章 少女の想い(3)
とか思っていたら、ナハトのヤツは案外すぐに帰ってきやがった。
顔面蒼白ではあるが。
よろよろと頼りなく歩いてきて今にも倒れそうだったので、オレは席から立ち上がってナハトの肩をつかんで手近な椅子に座らせた。
「よぉ、気分はどうだ?」
「…生まれ変わった気分です。物理的に。…私はちゃんと生きていますか? ここは来世じゃないですよね…? ウフフ…」
…こ、これは重傷だ。
「だ、大丈夫だぞ、ナハト。お前はナハトのままだ」
「そ、そうですか。安心しました…」
ナハトはかなり弱っているようで、大嫌いなはずのオレに両肩をつかまれていることにまったく頓着していなかった。
…これは実はチャンスなのではなかろうか?
オレの中でワルい心が沸き上がってくる。
「…オレの顔だってわかるだろ? おまえがいつも慕っていた星見ルイだよ」
「し、慕っていた…? わ、私は貴方を慕っていたんでしょうか…」
ナハトは若干訝りながらも、否定はしない。
…しめた!
「そうそう、軽くストーカーするくらいには慕ってたぞ!」
「そ、そんなにですか!? それはさぞやご迷惑をおかけしたのでしょうね…」
「なに、気にすんなって」
実際にはストーカーよりも迷惑なことばっかされてきたからな。
「…お優しいのですね…。私がお慕いしていたのは、やはりその優しさ故なのでしょうか…」
すっかり騙されちゃってるナハトは、なんだか上気した顔でぼんやりとオレを見つめてくる。
オレがナハトの両肩をつかんで椅子に座らせていることもあって、オレとナハトの距離はかなり近く、それでいて中腰状態のオレをナハトが無防備に見上げている。
その体勢による嬉し恥ずかしな破壊力はかなりのもので、なぜかオレもナハトから目を外せなくなっていた。
…てか、アレ?
コイツこんなにカワイかったっけ?
なんか目とかうるうるしてるし、すげーいいニオイするし、普段が普段なだけにこのすごく従順そうな表情がもうとてつもない破壊力をもってるというか………ぶっちゃけコッチがどうにかなってしまいそうだ。
…イヤ、いかんいかん!
これはあくまでも実験的にナハトの印象が良くなるかどうか試したものであって、そういう方向性ではなかったはずだ!
た、たしかに今のナハトはすごいカワイイけど、そろそろ元に戻さないと……。
「……って」
どうやったら元に戻るんだコレ!
「………?」
内心ですごいテンパってるオレをよそに、無防備ナハトちゃんはコテン、と小首を傾げてみせた。
カワイイからやめろよそういうの!
「…あの、星見ルイ様…」
「な、何!?」
悶え苦しむオレが余裕なく返事をすると、ナハトは急にもじもじとし始め、こんなコトを訊いてきた。
「わ、私がルイ様をお慕いしていたことはよくわかったのですが、その……。…る、ルイ様は私のことを、どう想っていらっしゃったのですか…?」
「…………ッ」
…やばい……。
……もうダメかも。
「そ、そんなこと……決まってるだろ…」
オレはナハトの肩をつかんでいた手に力を込める。
「お、オレだっておまえのこと……」
「………ルイ…様…」
そう呟いてナハトは、ゆっくりと瞳を閉じた。
オレとナハトの距離が、段々と近くなっていく。
……。
…。
ガラリ。
「うおぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉォォォォッッッッッッ!!!!」
教室の扉が開く音がしてオレは全力でその場から飛び退いた。
「…ぃたッ!」
あまりに全力過ぎてナハトを突き飛ばしてしまったらしく、少女は後ろにあった窓枠に頭をぶつけた。
「ご、ごめんナハト! 大丈夫か?!」
「…ぅぐ………。ここは…? …! ほ、星見ルイ!? な、なんで貴方がこんなところに?!」
「落ち着け! ここは一年三組の教室だ! オレは補習、おまえは反省文を書いてて、さっき真木名先生に連れて行かれて帰ってきたところだ! …どうだ、思い出したか?」
「ぅう〜〜〜、たしかに、そういえばそうでした…」
よかった。
後頭部をさすってはいるが、正気には戻ったようだな。
「でも、なにかとんでもないことをしそうになっていた気が…」
「き、気のせいだろ! おまえさっきまでグッタリしてたし!!」
「…………。そうですよね、そのはずです。そうでした、私はずっとグッタリしていました」
「そうそう、とんでもないことなんて何もなかったぞ!!」
あぶねー。
マジで危なかった。
もう少しで家に帰れなくなるところだった…。
………?
なんで家に帰れなくなるんだ?
「…アナタたちは、少しは反省してくれると思っていたんですが……。もう一度指導し直したほうがいいのでしょうか」
オレを背徳の窮地から助け出してくれた恩人は、無表情ながらもかなり失望した様子で言葉を発した。
「ま、真木名先生! 違うんですよコレは! ナ…御影さんがすごく具合が悪そうにしてたんでちょこっと看病みたいなことをしていただけで…!」
「そ、そうです! 私は少し具合が悪かったのでちょこっと看病されようかなぁと思っていただけで…!」
「…ふたりして同じことを言わなくていいですよ。おふたりの仲がいいのは充分理解できたので、御影さんの反省文が書き終わるまで星見くんの補習は延長にしてあげます」
「そんな…!」
なんでオレだけ損してるんですか!
「文句があるのですか? アナタが先程犯そうとしていた間違いを指摘してあげてもいいのですよ」
そう言って真木名先生は無機質な瞳でナハトを見やる。
ナハトはおびえながらも不思議そうにしていただけだったが、オレには先生の言わんとすることが充分すぎるほどわかってしまった。
てか見てたのかよ先生!
だったらもうちょっと早く登場してくださいよ!
「それはまぁ、お約束ですからね」
そして当たり前のようにオレの独白に応えないでくださいよ!
「それで、結局星見くんはどうするのですか?」
「もちろん延長しますよ! もうどうにでもなれですよ!!」
「いい返事です。今度はワタシの期待を裏切らないでくださいね」
そんなこんなでオレとナハトは辺りが暗くなるまで居残り特訓を強制されたのであった。
ぶっちゃけナハトがさっさと反省文を書いてくれればすぐに終わったことだったのだが、見るからに脳筋っぽいナハトは頭脳労働がてんでダメで、予想以上に時間がかかってしまった。
やっと反省文が書き終わったころにはさすがの真木名先生も少しおつかれのご様子で、小さく溜息をついて教室を出ていかれたのだった。