第四章 少女の想い(2)
「よー、待たせたなー。いやー久々に目一杯食ったぜー、あの売店ってのも中々バカにできねーな!」
オレとジル、ふたり分の沈黙が落ちる丸テーブルに、充分にお腹を満たして満足そうなガイコツがふわふわと寄って来た。
「…なぜこちらに戻らず向こうでディア様が食べきるまで待機しなければならなかったんですか…。せっかくのジル様との時間が…」
その後ろからは逆にすごく落ち込んだ様子のナハトがとぼとぼと歩いてきた。
「…なぁ、ナハト。おまえに…」
「ねぇナハト。昼休みももう残り少ないけれど、この学校を案内してあげるわ。ついてきなさい」
オレがナハトに声をかけようとするのを遮って、ジルがナハトを校内散策に誘う。
「ジ、ジル様が直々に!? み、身に余る光栄です! さ、早速!」
敬愛する主人の申し出を、ナハトは慌てふためきながらもすぐに了承した。
「ルイはなんだかディアと話があるみたいだし、わたしたちふたりで大丈夫よね」
「願ってもないことです!!!」
ジルの勝手な言い分に、更に喜びをあらわにするナハト。
そのまま天まで飛んでいってしまいそうだ。
「じゃあ、そういう訳だから、ふたりとも。また午後の授業で会いましょう」
「おー、お嬢も気をつけろよー」「………あぁ」
ジルに強制的に解散され、オレとガイコツはそれぞれに応答をして美少女ふたりを見送る。
ナハトたちが現れてからずっと平静を装っていたジルの去り際の横顔が、すこしだけオレの胸を痛めた。
「「…………」」
丸テーブルに残されたオレとガイコツは、しばらくどちらも無言だった。
オレは何も切り出す気になれなかったので、必然的にその沈黙を破るのはガイコツの仕事となった。
「…なールイ」
「…なんだよ」
「お嬢はなにか言ってたか?」
「……オレとジルをふたりで話させるために、腹減ったなんてゴネたのか?」
薄々感づいてはいたけど、今のガイコツの言葉で確信に変わった。
「…腹減ってたのは事実だぜ。まー、情けねー話だよな。オレ様じゃどーすることもできなくてよ、またルイを頼っちまった」
オレの言葉に、ガイコツはあっさりと目論見を白状した。
オレは質問を重ねる。
「おまえは、ジルとナハトの関係をどう思ってるんだ?」
「…………。オレ様は、ナハトと向き合うのはお嬢にはまだはえーと思ってる。お嬢の心はまだ不安定だ。よーやくコッチの生活に馴染んできて、お嬢がのびのびしてられる時間ができたって安心したんだが…。ぬか喜びになっちまったみてーだな」
「…おまえは、ジルのことばっか考えてんだな」
「ケケ、まー、それがオレ様の役目だ。お嬢は周りの期待に応えよーとすぐにムチャするけどよ、オレ様はお嬢にそーあってほしくねーんだよ。ルイもその点に関しちゃ同意見だろ?」
「まぁな。だから、ジルに理想を押しつけるナハトとは、まだ向き合ってほしくないってコトか?」
「そーゆーこった」
ガイコツは頷くが、それはすこし違うんじゃないか?
「でもそれだと、問題を先延ばしにしてるだけだろ?」
「そーだな。だから今の状況は正直アタマがいてーんだよ」
ガイコツもそのことは理解しているようで、どうにもならない状況に歯噛みしているようだった。
「ルイはどー思ってんだ? ふたりのコト」
「…なんだか違和感ばっかり感じてたけど、さっきジルと話して、今おまえと話して、なんとなくわかってきた気がする」
「そのわかってきたコトってのは、一体なんなんだ?」
「まぁでもそれは、ナハトと話をしてみて、それからもう一度考えてみるよ」
「…そっか…」
オレたちふたりにとっては珍しく静かな空気が漂う中、午後の授業の始まりを告げる予鈴が機械的に鳴り響いた。
「…じゃあ、教室に戻るか」
「そーだな。まーオレ様は、一応お嬢たちと合流してから向かうぜ」
「そっか。じゃあ一旦ここでお別れだな」
「おー」
ガイコツに別れを告げ、一般の生徒の流れにのって教室のほうへと歩き出すと、ガイコツが後ろから声をかけてきた。
「ルイ、調子いーコト言っちまうが………頼りにしてるぜ」
「…………やれることは、やってみるよ」
そう言葉を交わして、オレは教室へ戻った。
結局昼休みは危惧していたほどのことは何も起こらず、午後の授業もとりとめて問題は発生しなかった…………と言いたいところだったんだけど、ひとつだけ面倒が起こった。
それは六限、体育の時間の出来事だった。
一般的な高校がそうであるように、この艶桜学院でも基本的に体育は男女分かれて行われる。
そのため、事件発生当時その場にいなかったオレには具体的に何が起こったのかわかりかねるのだが、どうやらナハトが体力測定でアホみたいな記録をたたき出しまくったらしい。
どうせジルにいいところでも見せようとしたのだろうが、どうやら魔力はなくなっても悪魔としての強靭な肉体は健在みたいだな。
その場はどうにかジルやガイコツがなけなしの魔力を用いて精神操作みたいなことをして取り繕ったらしいけど、体力測定に使われた器具を元通りにする余裕はなかった、という話だ。
…ぜんぶ壊したのかよあのバカ。
「握力計とかって、正規の使い方をして壊れるものなんだ…。御影さんはすごいポテンシャルを持ってるね」
「いや、アレはきっと奇跡的なドジが関係してるはずだ。ナハトちゃんはドジッ娘なんだよ。萌えるな」
このふたつのセリフはオレの幼なじみふたりによるものだ。
コイツらが都合のいいところだけバカで助かった。
クラスの他の男子なんて『御影さんのかわいさに器具が耐えられなかった』『器具にとってもご褒美だった』とか、もう妖しい宗教の幹部みたいな発言をするヤツまで現れていてかなり怖かったのを覚えている。
女子は魔力による精神操作の後遺症なのか、なんだかトロンとした目をして顔を上気させたコたちばかりいて、これはこれでなんだか危なかった。
「…………うぅ〜〜〜〜…。…なぜ私がこのような苦行を…」
さて、そんな面倒事を起こしてくれやがった張本人は今何をしているのかというと、オレの隣の席で眉間にしわを寄せて唸っている最中だった。
「…御影さん、私語は慎むように。罰になりませんから」
さっきから文句ばかり垂れ流しているナハトを見かねて、教卓に鎮座する我らが真木名先生が釘を刺す。
どういう状況か説明すると、今は放課後、ここは一年三組の教室。
つまりオレの補習が行われているワケだ。
教室にはオレとナハトと先生しかいない。
本当は今日からオレは生徒会室に連行されて自習させられるはめになるところだったんだけど、ナハトが予定外の問題行動(器物損壊)をやらかしたせいで反省文を書かされることとなり、真木名先生がその監督も行わなければいけなくなったことにより急遽、この一年三組の教室を使うことになったのだった。
さすがに問題児ふたりを連れて生徒会室にお邪魔するのは真木名先生も躊躇われたのだろう。
…まったく、ただでさえお忙しい真木名先生のお手を煩わせるなんて、何を考えてやがんだこのアホ犬は。
「…は! なにか貴方にだけは言われたくない失礼な事を言われたニオイがしました!」
「き、気のせいだろ…」
…どんな嗅覚してんだよコイツ。
「ふたりとも、ワタシの言葉が理解できないのですか? …それとも、理解した上で意図的に反抗しているのでしょうか?」
「も、申し訳ありません真木名先生! オレはしっかりやってますからね!」
若干不機嫌になりつつある…というか最初から不機嫌だったかもしれない真木名先生に愛想を振りまいて、オレは机とのにらめっこに戻る。
しかし真木名先生の恐ろしさを理解していないアホ犬は、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「こんな人間と同じ部屋にいるなんて耐えられません。ナハトは家に帰らせてもらいます」
ミステリーならホントにそのまま退場しちゃいそうなセリフをはいて、ナハトは席を立とうとする。
しかし、
「……う? 体が…」
どうやらナゾのチカラによって机から離れられなくなっているようだ。
このままじゃこの世界でも退場しちゃいかねないな。
「御影さん、まだ反省文が書き終わっていないでしょう。それまで帰ることは許されませんよ」
「…! い、一体なにをしたんですか!」
「とくに何も。ただ、反省文を書かないと帰れないとワタシが決めただけです。この教室ではワタシがルールですから」
「め、滅茶苦茶な事を言わないでください!」
「諦めろナハト。こころプレッシャーにはだれも抗えないんだぞ」
「こ、こころプレッシャー…?!」
そう、こころプレッシャーだ。
説明しよう!
こころプレッシャーとはオレたち一年三組の間で何よりも恐れられている超強力な結界魔法である!
真木名先生の機嫌を著しく損ねた場合にのみ発生するこの結界は、ひとたび発動すると、対象となった者の生殺与奪の権限がすべて真木名先生に委ねられるという恐るべき魔法なのである!
解除の方法はひたすら真木名先生に許しを請うしかないのである!
『真木名先生かわいいよ真木名先生』と言うとわずかに結界が弱体化することがここ最近の研究で明らかになったのである!
「そ、そんなデタラメな魔法があるはずがありません! 馬鹿げてます!」
「吠えるのは勝手だが、黙って許しを請うたほうが賢いと思うぞ」
「冗談じゃありません! あんなチンチクリンな人間にわたッ…?! …………きゅぅ…」
ナハトは真木名先生への暴言を吐ききることなく、急に意識を失って机につっぷした。
真木名先生が歩いてきて、ぐったりして動かなくなったナハトに肩を貸すかたちで立ち上がらせる。
「御影さんは急に体調が悪くなってしまったようですね。ワタシが介抱しますので、その間星見くんはひとりで補習を続けてください。…できますよね?」
「もちろんバッチリです!!」
「いい返事ですね。期待していますよ」
オレは立ち上がって敬礼し、小さな体でナハトをひきずっていく真木名先生を見送った。
こころプレッシャーは決して迷信なんかではないのだ。
ナハトももし生きて帰ってくることができたなら、きっと真木名先生に従順な、一年三組の仲間になっていることだろう。