第三章 学長と会長(2)
大魔導士の要点をわきまえた説明により、ジルの説得は思いのほか時間がかからなかった。
「…つまり、ルイは誰にも手を出していなくて、未だに童貞ということなのね?」
「いや、まぁそうだけど、最後のべつに付け加えなくてよくない?」
転んでもタダで起きないというか…。
何かにつけオレを貶めないと平静を保てないのかコイツは。
「百歩譲ってその話を信用するとして、ナハトの言い分はどう解釈すればいいのかしら」
「解釈しなくてもいいんじゃない? オレからすればあのコが言ってること大体妄言だし」
「ルイ、冗談でもそんなこと言わないで。昨日言ったこと、忘れたの?」
「……ごめん、善処するよ」
昨日から思ってたけど、どうやらナハト関連の問題は慎重に扱ったほうがいいのかもしれない。
オレとしては、そこのところに違和感を感じてしまうんだけど。
「や、ナハト殿はなんて言ってたのかな?」
「ルイに大切なものを奪われた、と言っていたわ。ルイにはその覚えがないようだし、かと言ってナハトが嘘をついているようにも見えなかったのよ」
「なるほどなるほどー。だったらアレのことじゃないかなー」
「心当たりがあるの?」
ジルが軽く状況を説明しただけなのに、大魔導士はさもありなんとばかりに頷いてみせた。
…もうこれから先も何かあったら全部大魔導士に訊けばいいんじゃないかな。
「そーだねー、きっと魔力がなくなったことを言ってるんだと思うよー。あと、ケルベロス家に伝わる魔剣もだね」
「「………は……?」」
大魔導士がなんでもないことのように言い放った言葉に、オレとジルはふたり揃って呆気にとられる。
「…え? ちょ、魔力がなくなったってどういうこと?」
「そ、それにケルベロス家の魔剣って、あれはそう簡単になくなるようなものじゃ…」
「しかも奪われたってコトは、今それをオレが持ってるってことか…?」
「や、理解がはやくて助かるよー。実は昨日ナハト殿がルイ殿を襲撃したとき、いろいろと仕込んでおいたのさー」
大魔導士は説明が短く済んだことに満足しているようだったけど、どうやらジルはその説明だけでは納得できなかったらしく、大魔導士にくってかかる。
「ちょっと待って。普通、だれかの魔力を他のだれかに移し替えるなんて、できないはずよ」
まぁ、たしかに。
それができるならオレが今もってる魔力をジルに分け与えれば王位継承だってすぐに再開できることになる。
「やだなー姫様。それができるからボクは大魔導士なんだよ?」
「もはや何でもアリだな、大魔導士ちゃん」
「お褒めにあずかりこーえーだよー。でもルイ殿が考えてるような王位継承の手伝いはできそうもないね」
そうなのか。
てかなんでオレの考えを読めるんだコイツ。
「…王位継承は、姫様に魔力が戻れば解決するような問題じゃないからさ。…ま、今はそんなことよりナハト殿のことかなー。正直に言うと、ボクの力だけだと難しいんだけど、ルイ殿に眠る《大魔王の英魂》の魔力も利用すれば大抵のことはできるんだよー」
「それは…そうかもしれないけれど、ケルベロス家の魔剣はどう説明するつもり? あれは移し替えるとか、そういう次元の話ではなくなるはずよ」
ジルは魔力を移し替えた件についてもまだ少し不満そうだったが、半ば呆れ気味にもう片方の案件を話題に出した。
そこでオレも気になっていることを口にしてみる。
「あの、ちょっと質問なんだけど」
「何かしら?」
「さっきから話に上がってる、魔剣ってなんのこと?」
「……そういえばあなたにはまだ説明していなかったわね。ナハトの一族は、代々魔剣と呼ばれる特殊な武器を扱ってきた一族なの。ケルベロス家以外の悪魔が使えるものではないし、ナハトが気づかないうちになくなるなんてあり得ないのよ」
「そう…なのか。でも現にナハトはそれがなくなったって騒いでるんだろ?」
「それが不可解だから、大魔導士に訊いているのよ」
なるほど。
ようやくオレも話に加われそうだな。
会話を終えたオレとジルは大魔導士の返答を待つ。
「むー。魔剣についての説明は大体そのとーりなんだけど、すこし補足しなきゃいけないねー」
大魔導士はそう言って、やっとオレの布団から出てきてベッドに腰掛けた。
「ケルベロス家が代々魔剣を使う一族だってことはそれでいいんだけど、彼らが使う魔剣にはちょっとした違いがあるのさー」
「違い?」
「そーそー、一般的に彼らは自分たちの魔力から魔剣を生み出して、自身の成長と共に魔剣を強化していくんだけど、当主になるひとはそれだけじゃ終わらないんだよ。継承をしなきゃいけないんだよねー」
「継承? じゃあ魔王の王位継承と似たようなことをするのか?」
「おおまかに言えばそうなるねー。その継承を行う際、一度魔王に自らの魔剣を預けなきゃならないんだよ」
「…初耳だわ、そんな話」
ジルは大魔導士の話に若干戸惑いを見せているようだが、嘘とまでは思っていないらしい。
オレにいたっては信憑性を判断するための知識が足りなさすぎてどうともとれない。
「姫様が無事に魔王になってからお話しよーと思ってたことだからねー。ボクも詳しいことを聞いたのはつい最近だから、落ち込むことじゃないと思うよ」
「気休めでもそう言ってもらえると嬉しいわね。その話は、もしかしてアヌビスから聞いたの?」
「やや、ご明察だね姫様ー。そーそー、ナハト殿のお父上がそろそろ魔剣の継承をしたいって言ってきてさー。考えてみれば今やったほうが都合がいいと思ったから、ボクがお手伝いしてるんだよ」
アヌビスというのはナハトの親父の名前らしい。
あんな歩く暴力みたいなナハトの親なんだから、さぞかし凶暴なんだろうな。
親の顔が見てみたいって言葉があるけど、できれば関わりあいになるのは避けたい。
「都合がいい? バカ言わないで。魔剣の継承に魔王が関わるということは、今継承を行えばルイが巻き込まれるのでしょう? どう考えればこれが都合がいいだなんて言えるのよ」
「まーまー落ち着こうよ姫様。魔剣の継承ってゆーのは魔王に対する忠誠心を試すものなのさー。魔王を毛嫌いしてるようなひとは絶対成功しない。つまりナハト殿が現時点で継承できる可能性は限りなくゼロに近いんだよ」
「…? それが都合のいいという話にどう繋がるの?」
「魔剣の継承は王位継承と違って失敗したときのリスクが小さくてね、ナハト殿がケガするようなコトはないんだよ。まー、自分の魔剣が戻ってこないんだから満足に戦えなくはなるだろーけど。でもこれが、今の状況ではとっても都合がいいんだよー」
「…! なるほど、ナハトがルイに危害を加えられなくなるのね」
「そーゆーことさー。さらに言うと、もし継承に成功したとなれば、それはナハト殿が少なからずルイ殿を認めたってことだから、それから先ルイ殿に危害を加える心配も薄いだろーってコトだね」
「よく考えられた方策なのね。ホントにアヌビスが考えたのかしら。彼って頭がすごく弱いと思っていたんだけど」
すげー失礼なこと言ってるなジルのやつ。
まぁ、オレも会ったことないながらもそんな感じがするから他人のこと言えないけど。
「ともあれ、これでジルの疑問も解決したし、オレの安全も保証されたみたいだし、とりあえずこの話はおわりにしよーぜ」
「そうね。なんだか朝からすごく疲れたわ」
「そーだねー、なんだか一階からいいにおいがしてきたし、はやくサヤ殿のごはんを食べたいなー」
まったくもって同感である。
ナハトが悲鳴を上げたのがオレの起床時間よりも早い時間帯だったため、サヤちゃんの手料理を堪能する時間的余裕があるのが不幸中の幸いだな。
「あ。そう言えばナハトはどこに行ったんだ? 今の話も説明しなきゃいけないだろ?」
「多分わたしの部屋にいるはずよ。説明もわたしからしておくわ。あなたたちは先に一階に降りていて」
何よりも自らの食欲を優先するはずのジルがやけに殊勝な発言をする。
まぁ、オレや大魔導士がヘタなことをしたら魔力をもってないにしろ面倒なことになりそうだしな。
ジルなんてほぼ魔力をもってない状態でベンチを持ち上げた前科があるし、ナハトがそうならないと考えないほうがいいだろう。
「そっか。じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ」
「ふふー、ごはんごはーん♪」
オレと大魔導士のふたりはジルの厚意を受けて階下へと下りる。
リビングに入るとエプロン姿でキッチンに立っていたサヤちゃんがこっちを振り向いた。
「あ、兄さん。おはよう、今日はいつもより早いね」
そう言って少し微笑むサヤちゃん。
天使ってオレの妹のことだったのか。
「それに大魔導士さんもおはようございます」
「や、おはよーサヤ殿。朝早くからこんなに沢山お料理をつくってもらって悪いねー」
「いえ、このくらい人数がいたほうが返ってつくりやすいんですよ。つくり甲斐もありますし」
「やや、それにしたって感謝してるよー」
そう言って大魔導士は食卓につく。
目の前に並んだ料理の匂いを鼻いっぱいに吸い込んで、とても満足そうである。
「兄さん、他のふたりは?」
「あぁ…起きてはいるんだけど、なんだか話をしてるみたいでさ。先に食べてて大丈夫だと思うぞ」
「へぇ…。そう言えばさっき二階からすごい声が聞こえたけど、何かあったの?」
ぎく。
「ナハト殿が寝ぼけてルイ殿の部屋に入って勝手に悲鳴を上げただけだよー。姫…ジル殿が色々と説教中さー」
サヤちゃんにどう報告したものかと思ったけど、大魔導士がうまいことごまかしてくれた。
一家に一台大魔導士だな。
「そうなんですね…。じゃあ先に食べ始めちゃいましょうか」
「だいさんせーだねー」
そういうわけでオレたち三人は仲良くいただきますと合唱してから朝食にありついた。
今日も今日とてサヤちゃんのつくった料理は絶品であり、オレはつかの間の安らぎを心ゆくまで満喫したのであった。
…………。
……。
…。
…そう! 当然そのしあわせのしわよせは、すぐにやってくることになるんだけどね!