第二章 ケダモノ注意!(5)
その日の夕食は豪勢で賑やかなものだった。
新しい同居人のふたり、特にナハトなんかが一口ごとに『おいしい』だの『絶品』だのと賛辞を述べながら延々と料理をパクついていたからだ。
まぁそうやって嬉しそうにみんなが食卓を囲んでいることで、サヤちゃんもとても楽しそうだったのでよしとする。
オレの食べる分がいつもの半分以下になってしまったことにも目をつむってやろう。
しかし、『食後のデザート』と称して、オレが楽しみにとっておいたアイスやらプリンやらが根こそぎ無くなってしまったことだけは看過できない。
オレがトイレに行っている間に起こったことであるのがすごくタチが悪い。
もう星見家に食の安全はなくなってしまった。
「…ふぅ…、流石に五人にもなると、後片付けも大変だね」
ジルとナハトが風呂へいっている間に食器を洗い終わったサヤちゃんが、額をぬぐいながら息をつく。
「おつかれ、サヤ。…そうだな、これだけ人数が増えると、家事も当番制にしたほうがいいんじゃないか?」
オレは働き者の妹を労いつつ、妥当な提案をしてみる。
いくらサヤちゃんが万能少女といっても、五人が暮らすことになったこの家の家事全てを担うのは無理があるだろう。
「うん、そっちのほうが助かるけど、兄さんに家事を任せるのは二度手間だし、ジルさんも不器用だから…」
「…面目ない」
オレは言わずもがな、ジルさんも家事スキルがからっきしなのは、この一週間の生活でオレたちの知る所となっていた。
まぁ、ジルは魔界ではいわゆるお姫様なのだから、家事なんてやらせてももらえなかったんだろうけど。
オレたちが家事に手を出すと、返ってサヤちゃんの仕事を増やしてしまう。
しかしサヤちゃんひとりに家事を押しつけ続けるわけにもいかない。
さてどうしたものかと悩んでいると、満腹になってソファでくつろいでいた大魔導士が、キッチンまで歩いて来てこう提案してきた。
「当番制じゃなくて、分担してみたらどうかなー。料理はサヤ殿以外に適任はいないんだしさ。逆に、それ以外のことならボクは大体こなせるよー?」
「ホントか? そりゃ助かるけど、任せてもいいの?」
「一宿一飯の恩ってヤツさー。お安い御用だよー」
「そうしてもらえると助かります。えっ…と、大魔導士さん」
「ふふふー、礼には及ばないよー」
サヤに礼を言われ、大魔導士はゴキゲンそうにニヤニヤと笑う。
見かけによらず、案外しっかり者なのかもしれない。
「そういや、ナハトはどうなんだろう? 家事とかできるのかな?」
ナハトはあれでもジルの側近だったと聞く。
だったら身の回りの世話とかで、そういう経験もあるんじゃないか?
「期待していいんじゃないかなー。料理以外は」
「おまえらみんな料理ダメだな」
「サヤ殿が抜群に上手だからね。ボクらは出る幕なしさー」
「そりゃそうだ。じゃあ、申し訳ないけど、家事は三人で分担してもらうってことでいいかな?」
「問題ないよー」
「ナハトさんの了承をとってないけど、大丈夫かな?」
「問題ないさー。姫様の頼みってことにすればね」
「じゃあ、そういうことで頼む。オレも手伝えることがあればやるから。買い物とか」
とりあえず家事のことは三人に任せて大丈夫そうだ。
そこで、オレはずっと気になっていたことを質問することにした。
ちょうどこの三人でいるんだし。
「…なぁ、オレは何も聞いてないんだけどさ、どうしてサヤちゃんは今日この家にふたりが来ることを知ってたの?」
さっき大魔導士に言われたことだ。
サヤちゃんが何の疑問も持たずにナハトと大魔導士を受け入れたのがどうにも不可解だった。
オレが問うと、サヤちゃんは意外にもきょとんとして、逆に意外そうな顔で訊き返してきた。
「あれ? 兄さんは何も聞いてなかったの? 姉さんから」
「……姉さん?!」
オレ、びっくりである。
まさかまた孤児院がらみなのか!
「ナハトさんも大魔導士さんも、ジルさんと同じ孤児院出身なんでしょ? ジルさんのことを病的に慕ってたナハトさんの情熱に感化されて、姉さんが引き取ったって」
それちょっと無理あるだろ!
なんかナハトの説明は適確だけど!
「大魔導士さんはオマケで」
「オマケかよ! 雑だなソコ!」
「やー、お恥ずかしー」
「照れてる場合か! キミめちゃくちゃな理由で引き取られてるけど大丈夫なのか?! てか、サヤちゃんもよくそんな話信じたな!」
ジルが孤児院出身で、高校に通うお金がないので困っていたところを、自分探し中の姉さんが通りかかってその話に感激し、ノリで引き取っちゃったというでっちあげ話は、ジルをこの家に住まわせるときにオレとジルで考えたものだ。
それを話したとき、サヤちゃんは思いっきり怪しんでいたはずなんだけど。
今回の話なんてオレでも信じられないぞ。
しかしサヤちゃんは、ちょっと困った顔をしながらもオレにこう言った。
「しょうがないでしょ。確かに信じられない話だけど、それを本人から聞かされたんじゃさ」
「……………え……?」
オレは更に度肝を抜かれる。
…え?
待ってよ…本人ってまさか…。
「そのまさか。今日、わたしが家に帰って来たら、いたんだよ。…姉さん」
「ええええええぇえぇぇぇええええぇぇッッッ!!!」
「わたしもそのくらい驚いたんだよ。携帯を持ち歩かないにしても、帰ってくるなら先に言ってくれればよかったのに」
サヤちゃんはそう言ってかわいく唇を尖らせているが、あいにくオレの驚きはサヤちゃん以上であったと言いたい。
「…それで、姉さんはなんて…?」
「だから、さっき話したこと。まず、旅先でジルさんに会って、感動して引き取って、こっちによこしたって。あのときはサプライズにしたけど、今度はふたり送ることになったから、先に話しに来たって言って、ジルさんやナハトさんの写真とか見せてきてさ。話が済んだらまた直ぐに出かけちゃった。兄さんから話を聞いた時は半信半疑だったけど、流石に信じるしかなくなっちゃったよ。あのときは疑ってごめんね、兄さん」
「………ウソ…だろ…」
「……兄さん?」
「あ、いや! コッチの話だよ!」
オレは慌てて取り繕うが、内心の動揺を隠せていたかは疑問だった。
姉さんが家に帰って来ていたことも充分驚きだったが、姉さんがそんな話をサヤちゃんにしたというのが、信じられない。
だって孤児院の話はオレとジルの作り話であって、携帯を持たず、こっちからは連絡の取れない姉さんに口裏を合わせてもらうのは不可能だったのだ。
姉さんがその話を知ってるはずがない。
「そう言えば、姉さんから兄さんに手紙を預かってたんだ。はい、これ」
「あ、あぁ…ありがとう…」
オレは半ば放心状態のまま差し出された手紙を受け取る。
封には『弟へ』と、懐かしい達筆でオレ宛であることが示されていた。
封を開けると、
『 貸し一つ 薫より 』
と、清々しいくらいに簡潔な用件だけが書かれてあり、その飾り気ない文章から、姉さん本人による手紙だというのがすぐにわかった。
その手紙で、ますますオレは困惑する。
「なんで、姉さんがこんなこと…」
貸しっていうのは、恐らくオレの作り話に口裏を合わせたことを言っているのだろう。
しかし、一体どこでそのことを知り得たのだろうか。
「…まさか…!」
オレはあることに思い至り、大魔導士のほうを振り返る。
すると大魔導士は得意げな笑みで、
「ふふー。お察しの通りさー。まー、もう少ししたら説明するよー」
と、オレの推測が正しいことを認めた上で、サヤちゃん本人に気づかれないよう意味深な視線を送った。
一般人がいなくなってから、ということなのだろう。
「…ふぅ。今日もいいお湯だったわ。待たせたわねサヤ、もういいわよ」
そんな折、ナイスなタイミングでジルたちが風呂から上がってきて、順番を待っていたサヤちゃんを浴室へ促した。
「あ、ジルさん。わかりました、ありがとうございます。…じゃあ、わたしはお風呂に行こうと思うけど、もういい?」
「あぁ、ありがとうサヤちゃん」
オレはそう言ってサヤちゃんを見送ったあと、改めて大魔導士に向き直る。
「…で、キミが姉さんにコトの経緯を知らせたわけ?」
「ふふー、そうゆーコトさ。カオリ殿を探しあてるのはちょっとホネだったけどねー」
カオリっていうのは、オレの姉さんの名前だ。
それにしても、直接会ってたのかよ。
「もしかしてココに連れて来たのも?」
「ボクだよー。帰りだって元の場所まで送ってあげたんだよ。破格のサービスさー」
「それで、姉さんにはどこまで話したの?」
「えーっとね…ボクらが悪魔で、ルイ殿が魔王になっちゃったトコまでかなー」
「全部じゃねーか! …姉さん、なんて言ってた?」
「『面白そうだからその話乗ってやろう』って言ってたねー。ルイ殿に負けず劣らず、おかしなひとだね」
「…姉さん……」
あのひとなら本気でそう言ってそうだな…。
「でもそれって、ジルが前に言ってた口封じの対象にならないのか?」
「問題ないでしょう」
オレと大魔導士の話に割って入ってきたのは、紫の髪を真っ直ぐに垂らしたジル。
風呂上がりの髪の毛は湿り気を帯びていて、頬も紅潮しており、どことなく艶っぽかった。
「話は聞かせてもらったけれど、あなたの姉はわたしたちの協力を買って出てくれたのでしょう? わたしたちの活動に支障が出るならともかく、逆に力添えしてくれる人間に危害なんて加えないわ」
「だけど、姉さんが周りに言いふらすようなコトがあったら?」
「可能性はあるでしょうけど、周りが信じなければ秘匿していることと変わらないわ。ましてや、あなたの姉は聞く限りにおいて結構な変わり者。信じる人間なんてそういないはずよ」
確かに。
そう言われるとすごい説得力があるな。
褒められた話じゃないけど。
「まー、そうゆーワケで、ボクらがすんなり家にあがれたんだよ。ルイ殿の疑問も、これで解決したんじゃないかなー」
「うん…まぁそうなるかな。……あぁ、それとあとひとつ訊きたいんだけどさ」
「なにかなー?」
終始ニヤニヤしている大魔導士に、オレはもうひとつ、ずっと気にかかっていたことを切り出す。
「…いい加減、大魔導士ちゃんって言いづらいんだけど、キミの……」
「!!!」
一瞬、大魔導士が目を見開く。
だけどそんなこと気にもならなかったオレはそのまま言葉を続ける。
「名前って、なんて…」
「――時の番人、その確たる歩みに寸陰の迷いを――」
「言うのか教えてくれない?」
「…………」
オレが用件を言い終えると、周りの空気が凍っていた。
誰も、何も言おうとしない。
「…あれ? なんかオレ、まずいコト言っちゃった…?」
気まずい沈黙が続く中、オレは耐えきれなくなって周りを見回す。
そして、あることに気づく。
「……あれ…? おい、ジル? どうしたんだ…?」
オレはジルに向かって話かけるが、少女は何も反応を返さない。
瞬きひとつせず、じっと虚空を見つめている。
それはまるで、命のない人形のようだった。