第二章 ケダモノ注意!(3)
「あなたはここで待っていて。ナハトと話をつけてくるわ」
急にあなたが顔を見せたら、ナハトが驚いて斬り掛かってくるかもしれない、…という猛獣の飼育員みたいなジルの忠告に従って、オレはジルが話を通すまでの間、廊下で待つことになった。
…光り物も外しておいたほうがいいのかな?
「ジル様! お帰りなさいませ! あの魔王かぶれを断罪する算段は整いましたか?!」
ジルがドアの向こうへ姿を消した瞬間、扉越しに少女の嬉々とした声が聞こえてきた。
発言の内容が物騒なことこの上ない。
「落ち着きなさいナハト。ルイは殺さないと言ったでしょう」
約束した通り、ジルはナハトに危険な行動をさせるつもりはないらしい。
一週間前、泣きながらオレに死ねと言ってきたのが嘘のようだ。
「し、しかし…それではジル様の王位継承が滞ってしまいます! あんな人間がジル様を差し置いて魔界の王座に君臨し続けるなど、私には我慢できません! 魔王となるべきはジル様にございます!」
「……。ルイは殺さない。その決定を覆すつもりはないわ」
「ジル様!」
「聞き分けが悪いわね。これ以上駄々をこねるのなら…」
「……?」
オレを殺すことに執着しまくるナハトに、ジルがなにやら奥の手らしきものを伺わせる。
「な…何をなさるおつもりですか…? たとえジル様がどのような手段に訴えようとも、私も主張を改めるようなことはしません…!」
妖しい気配を感じたのか、ナハトが声を震わせつつも気丈に振る舞う。
ナハトの反応にオレも興味をそそられ、ドアの近くで聞き耳を立てる。
そんな中、ジルはナハトにこう言い放った。
「あなたが密かに隠し持っているわたしの写真、全て焼き払うわよ」
「そッ、そんなッ…!!!」
今にも『ガーン!!』という擬態語が聞こえてきそうなほどのショッキングな悲鳴を上げるナハト。
そのままくずおれてしまったのか、くぐもった涙声が続く。
「ど…どうかそれだけはご容赦くださいジル様…! ジル様のご尊顔を拝謁できなかったこの一週間、ただそれだけがこのナハトの拠り所だったのでございます…。それを焼燬されたとあれば、私は、私は…!」
そこまで言って、ナハトの言葉はただの嗚咽と判別がつかなくなった。
「この身を焼かれる以上の苦痛でどうにかなってじまいまずゥ〜〜ッ!!!」
「…………」
…なにコイツやべぇ…。
オレはジルが言い放った爆弾発言が、過言でもなんでもないことを思い知る。
「…じゃあ、ルイは殺さない、ということでいいのかしら?」
「ぅぐ……ぐすっ、そ…それとこれとは話が…」
「…写真」
「あの人間は殺しません…!」
悲痛な声を上げながらナハトが了承する。
説得という名の脅迫である。
その後は終始ジルが話の主導権を握り、
『じゃあここにルイを連れてくるから』
『えっ!? そ、それは…!』
『写真』
『…わかりました…!』
といった風なやりとりを経て、無事にオレがナハトと正面から話し合える場が整ったのだった。
ジルさんパネェ。
「…さぁ、入ってきて」
「…えっと、じゃあ…失礼します」
ジルに促され、オレは少し緊張しつつも少女の部屋へ侵入する。
恐る恐るドアを開けるとそこには、ベッドに品よく腰掛けたジルと、その眼前に正座させられている赤髪の少女の姿があった。
「…星見…ルイ……!」
「どうも……はじめ…まして…」
オレが入室するや否や言葉に詰まるくらいの殺気を込めてにらんできたナハトに、心ばかりの挨拶をする。
「…………」
「……ハハ…よ、よろしく…」
「…………」
やばい、もう心折れてきた。
さっきから殺気しか返ってこない。
意図せずダジャレを言ってしまうくらいには余裕がない。
「ナハト、何かしゃべりなさい」
いきなり窮地に立たされたオレを見かねて、ジルが助け舟を出してくれた。
主の言葉を受け、赤髪の少女は一度瞳を閉じ、熱を帯びた殺意の眼光とは一味違う、冷めた視線でこう答えた。
「…貴方とよろしくするつもりは微塵もありません。あと口臭がきついです。死んでください」
「………………………………………ごめん……」
…はい折れたー。
今オレの心がポキッといきましたよー。
無理、これ無理だよジルさん。
とりつく島というか、とりつこうとした瞬間に島民が槍で刺してくるタイプの島しか浮いてないよ、このコの海。
「ナハト、言い過ぎよ。それにルイも。立場はあなたが上なんだし、もう少し毅然としなさい。話が進まなくなるでしょう」
しかしジルさんはどこまでもスパルタなのだった。
確かにオレ自身も避け続けるわけにはいかないとか言ってしまった手前、涙を浮かべて退場することもできない。
…よし、耐えろ星見ルイ。
罵詈雑言はいつも受けてきてるじゃないか。
「あ〜、ナハトって言ったっけ? キミと少し話がしたいな〜、って思って来たんだけど、いいかな?」
オレが質問。
「…………」
ナハト沈黙。
「ナハト」
ジルが一言。
「…いいでしょう」
ナハト応答。
「ジルや大魔導士ちゃんからさ、キミがオレのことを殺したがってるのは、オレがジルの王位継承を邪魔したからって聞いたんだけど、そうなの?」
質問。
「…………」
沈黙。
「ナハト」
一言。
「最大の要因は、まぁそうでしょうね」
応答。
「やっぱそうなんだ…。でもさ、それってキミの勘違いんなんだよ」
「…………」
「ナハト」
「…勘違い?」
この会話めんどくせぇ。
どんだけオレとしゃべる気ないんだよコイツ。
「うん。オレは別に魔界の王位なんて興味ないし、オレに《大魔王の英魂》が宿ったのは事故みたいなもんでさ」
「ふん、口ではどうとでも言えます。それに貴方の意思がどうであれ、ジル様の王位継承が滞っていることには変わりありません。私には貴方を殺す理由があります」
初めてジルを介さずに会話が成り立ったかと思いきや、案外鋭いことを言ってきやがるナハト。
なんて厄介なヤツなんだ。
「でも、ジルは今魔力をほとんど持ってない状態なんだよ。オレを殺して王位継承を再開するったって、またジルが失敗しちゃ意味ないだろ?」
「世迷い言を。ジル様なら、余計な邪魔さえ入らなければどんな状態であられようと王位継承などすぐに済ませてしまいます。つべこべ言わずに貴方が死ねばいいんです」
「…。…ジルが失敗したから、オレが王位を継承してるんだけど?」
「それは貴方が邪魔をしたからでしょう? 下賎な人間の分際で、さも自らの手柄のように…。ジル様の慈悲がなければ、貴方はすでに私に殺されていますよ」
「…………」
なんだろう、なんかこのコ…。
「もう言うこともないんですか? だったら消えてください。ジル様の命である以上殺すつもりはありませんが、貴方のような輩と言葉を交わすのはひどいストレスを感じます。できる限り、私とジル様に近づかないでください」
「ナハト、どうしてあなたは…」
「命令は守っているはずです、ジル様」
険悪なムードに、思わず口を挟んできたジルを遮るナハト。
冷たかった瞳にくやしさを宿し、ジルに向き直る。
「私には理解できません、ジル様。どうしてこのような輩を生かしておくのですか?」
「それは…」
「…?」
ジルは一瞬、躊躇うようにオレを見て、すぐに視線を下のほうに逸らしてから、最終的にナハトを見据えた。
「彼が、わたしの恩人だからよ」
「…! そんな…?!」
「事実よ。王位継承のときも助けられたし、魔力を失ったあとも、色々と助けられたの。ナハトはこのわたしに、受けた恩を仇で返すような真似をしろと言うの?」
「だ、騙されていますジル様は!!」
静かに語るジルとは対照的に、ナハトは平静を欠いた状態で続ける。
「魔力を失われたあとに、何か精神攻撃を受けたに違いありません! ジル様はこの男に利用されています!」
「フフ、あるいは、そうかもしれないわ。でも、《大魔王の英魂》から命を助けられたことは、本当よ」
「そ、それもこの男が何か細工したに違いありません! 人間が《大魔王の英魂》を御しきれるなど、明らかに異常事態ではないですか!!」
「…それを、どう確かめるつもり?」
「これを殺せば術も解けます! どうか許可を! ジル様!!」
「…見苦しーぜ、ナハト」
「!!」
叫び続けるナハトを諌める声は、いつも聞くソイツの陽気な声とは違い、不機嫌に唸るような、恐怖を覚える声色だった。