灯の下の一夜
惣一郎は、提灯ひとつを手に、夜の町を彷徨っていた。
悩みを抱えると、あてもなく歩く癖があった。
冷たい空気が頬を打つ。
孤独は、しがらみの多い彼にとって、
唯一、味方と呼べるものだった。
ふと、足が止まる。
闇の中に、異様な灯りが浮かんでいた。
喧騒とともに現れたそれは、吉原の遊郭だった。
普段なら避けて通る場所だった。
だがその夜の彼は、吸い込まれるように足を進めていた。
孤独は味方のはずだった。
それでも、胸の奥に吹く隙間風を、
一時だけでも止めたかったのかもしれない。
檻の中、美しい遊女たちがひしめいている。
甲高い声が飛び交う。
その光景は、籠に閉じ込められた
翡翠の群れのようだった。
だが彼の目には、
それはただ空虚なものとして映るだけだった。
三つ目の角を過ぎようとした、その時。
ふいに、足が止まる。
探していたものが、
思いもよらぬ場所から転げ落ちてきたような感覚。
――目の前にいた。
初恋の女に、よく似た遊女が。
愛敬を振りまく他の女たちとは違い、
その娘だけ、表情が硬い。
白粉の下の顔立ちはまだ幼い。
おそらく、今日が初めての客寄せなのだろう。
別人だと、分かっていた。
それでも彼は、
その娘から目を逸らすことができなかった。
気づけば、店の敷居を跨いでいた。
引付座敷にて、遊女と向き合う。
盃を交わし、「夫婦」の契りを交わし合う。
その間も終始、遊女の表情は硬いままだった。
若い衆が、惣一郎を部屋に案内する。
行灯ひとつの仄暗い部屋の中、
彼は、複雑な心境で遊女を待つ。
果たして自分でよかったのか。
かつて恋した女の面影を、
年端も行かない彼女に押し付けてよかったのか。
しばらくすると、遊女は硬い笑顔を作りながら
部屋に入ってきた。
「お会いできて、嬉しゅうござりんす」
「…こちらこそ」
二人は、軽く会話を交わしながら、
運ばれてきた料理を口にする。
行灯に照らされた彼女の顔は確かに愛らしく
あったが、仕草は終始ぎこちないものであった。
食事を終える頃には、丑の刻を回っていた。
遊女たちが、「床に着く」時間帯である。
「…おいでなんし」
その声は、どこか震えていた。
惣一郎は目を伏せる。
「怖いか」
遊女は、答えなかった。
「無理をせんでいい」
惣一郎は静かに、だがはっきりと言った。
「…」
遊女は、さめざめと泣き出した。
ぽろぽろと溢れる涙を、着物の袖で拭う。
惣一郎は、黙ってその様子を見守る。
「…本当は、ここには来たくなかったの」
「…そうだろうな」
遊女の大半は、生活の苦しさから
身売りされたものばかりだ。
その苦しみは、想像を絶するものだろう。
惣一郎は、消え入りそうな声に耳を傾けた。
「…家が、没落して。想い人とも、離れ離れになって」
「…助けられるのは私しかいなくて」
「そうか」
不意に初恋の女の顔が、脳裏をよぎる。
―身分差ゆえに、叶わなかった恋。
家の存続のために受け入れた結婚を、
泣き笑いの顔で見送った彼女。
彼は彼女のことを口にしようとしたが、やめた。
ままならぬことだらけの立場とはいえ、
目の前の遊女と自身では境遇があまりに違いすぎる。
「―昼も夜も働いて、ろくに眠れていないだろう」
「せめて今日ばかりは、寝なさい」
惣一郎はすすり泣く遊女の背中をそっとさする。
揺れる感情を押し殺し、淡々と彼女の身を労る。
遊女は、嗚咽を漏らしながら惣一郎の袖を握り返した。
―翌朝。
若い衆に声をかけられ目を覚ますと、
遊女はすでに起きて羽織を持って待っていた。
「昨日は、ありがとうござりんした」
彼女の目元は腫れていた。
だがその笑顔に、硬さはなかった。
惣一郎は上着を受け取り、彼女と共に店を後にした。
「…名残おしゅうござりんす」
「…そうだな」
朝日はすっかりのぼり、暗がりでよく見えなかった
彼女の顔を明るく照らす。
相変わらずあの女にそっくりだ。
だがその表情は昨日と打って変わり、
晴れ晴れとしていた。
「次会う時は美味い酒でも交わそう」
「…ええ」
遊郭の門の手前で見送る彼女に、惣一郎は笑みを返す。
遊女もまた、穏やかな笑みを返した。
惣一郎は、清々しい面持ちで門を後にした。
悩みの種は消えはしないが、
その足取りにはゆとりがあった。
朝日が、彼のすっきりとした表情を
明るく照らし出していた。
だが、次に訪れる時、持ち込んだその美味い酒で
彼女に酔い潰されることを、彼はまだ知らない。
今朝見た夢を元に、一気に書き上げました。
初の時代ものを書くのはなかなかの挑戦でしたが、
普段と違う三人称の文章も書いてて面白かったです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。☺️




