12 Wake Up - 03 -
それから二週間は何事もなく過ぎた。
十月も半ばに差し掛かり雨量は日増しに多くなっていったが、二人にとっては何の妨げにもならなかった。
アキは日中、十一年振りのロンドンを飽く事なく散策した。
夜になれば『子供の頃知らなかったロンドンを見せてやる』と、ジーンにロンドン中のクラブへ引っ張り回された。
とはいうものの体力自慢でもないアキと、昼は給仕の仕事をする二人では毎晩深夜バスの利用者となる訳にもいかず、二・三日お気にナイトクラビングを楽しんだ。
ジーンがスタジオ入りする日以外はほとんど毎日、お互いの家で寝泊まりする日が続いた。
二人は何かに急き立てられるかのような、刹那的ともいえる日々を過ごした。
それはアキの帰国が一か月後に迫っているからなのか、お互いの苦痛を開放しあった連帯感なのかは、本人達にもまるでわからなかった。
ただ二人ともひたすらに前に進もうとしていた。
あの日を境にアキは穏やかになり、ジーンも刺々しさが薄れていった。
ジーンは己というものを強く求め、自分自身である事を欲した。
本来彼が持っていたであろう無邪気さで。
アキはそんなジーンの様子を受け入れた。
だが元来心配性であるアキは、その屈託のないジーンを手放しで喜んでもいられなかった。
時折アキの脳裏には、人々が行き交うソーホーの歓楽街に沈んでゆくサンドラの悲痛な姿が浮かび上がった。
彼女は彼女なりのやり方でジーンを救い出そうとしていた。
歓迎できる方法ではないが。
そんなサンドラの存在はアキにとって例えようもない程の脅威だ。
僅かに交わした言葉からは、破綻の兆しが見えていた。
思い込みが激しく、感情の起伏も同様だ。
このまま彼女が何もせずにいるとは、アキには思えなかった。
ただ漠然とした恐怖を感じた。
ジーンが人に紛れている間は安心できる。
だが、一人になった時に何が起こるかわからない。
そんな思いがアキを苛立たせた。
そんなアキとは裏腹に、事の張本人であるジーンは全くサンドラを気にしている素振りはなかった。
あまりジーンを挑発しないように、とアキはさり気なさを装い注意を促す事にした。
この二週間、何度もそうしてきた様に深夜バスを待つ間、雨雲を吹き飛ばす強い風の流れる通りで。
ジーンはかなりの上機嫌だった。
古いパンクバンドの曲を鼻歌で歌っていた。
アキはしばらくの間様子を窺っていたが、大きく深呼吸して意を決した。
「ジーン。怒らないで俺の質問に答えて欲しいんだけど、いいかな⋯⋯?」
上目づかいでジーンを見る。
「何? よっぽどの事じゃなければ、今日の俺は怒らないぞ」
横目でチラリと見るジーンの顔には、訝しみながらも楽し気な笑顔が浮かんでいる。
「⋯⋯サンドラの事なんだけど」
「サンドラ? 何だってあんな女の話を?」
途端に不機嫌な顔になる。
予想通りの反応にアキは小さくため息をつく。
「ずっと気になってて。彼女、もしかしたら君を恨んでるんじゃないかと思って」
「俺を恨む? ハッ、俺は構わないぜ。別に痛くも痒くもない」
風になぶられる前髪をかき上げ、片方だけ唇を吊り上げた。
「恨んでるだけならいいけど、⋯⋯いや、良くはないな。ともかくそれだけじゃ済まないような気がして」
「ふん? 例えば?」
「俺にもはっきりしないんだけど、何かヒントがあれば⋯⋯」
ジーンはとっととこの話題から逃れたかった。せっかくの上機嫌を削がれたのだ。
だが、アキの真剣な顔を見るうちに語気を和らげざるを得なかった。
「ヒント?」
「そう。⋯⋯ええと、そうだな。サンドラに『ディーから解放してくれ』って言った時の事を覚えてない?」
ジーンはアキの様相に幾分呆気にとられた。冗談で済ませる訳にもいかなくなってきた。
右手を唇に寄せ、しばらくの間足元を見詰めながら思い出そうと考えこむ。
だが、緩やかに顔を左右に振り、
「思い出せない。あの女に会ってた時は大抵ベロベロに酔ってたか、ドラッグでどうかしてたからな」
何を言ったか覚えていない。
ジーンはそう付け加える。
「でも、きっとアキに話したのと同じような事言ったんじゃないかな? 『ディーに憧れてる』、『死に魅せられてる』みたいな」
ジーンにしてみれば大雑把で当て推量だったが、アキはそれとは裏腹に弾かれた様にジーンの両腕を掴む。
「そうだ、それだよ。俺が心配していたのは!」
「いったい何だってんだよ。アキ? どうしたんだよ?」
「『死』だ。俺の焦燥感はそれに繋がってたんだ。サンドラは、⋯⋯『死に誘う』かも知れない」
「俺を殺しにでも来るってのか? まさか、幾らあいつでも⋯⋯」
「はっきり否定できる? 君は俺より彼女を知ってる。⋯⋯俺には、時々正気と思えない時がある」
アキは身を震わせた。
「それは⋯⋯。いや、だとしたら一体いつそんな大それた真似をしようってんだ? 路上でか? それとも俺のフラットで? ⋯⋯まさかステージの上で?」
ジーンは自分の口から滑り出した言葉に身を凍らせた。
ディーはステージの上で絶命した。
「ディーと同じ目に合わせるつもりなのか? あの女は」
「⋯⋯次のギグはいつ? 俺のいる間にあるの?」
「ああ、二十五日だ。今月の。十月二十五日の夜。『DAMASK ROSE』で」
原文によるとジーンが口ずさんでいたのはThe Clashの『London Calling』でした。




