No.4 第1章 その2
<CASM-3テストへの道>
2124年4月18日火曜日の11時、ここはハルツーム郊外約300㎞の荒野というかほぼ砂漠をオフロード仕様の乗用車が2台とマイクロバスが1台西に向けて走っていて、先の方には高い塔が1本見える。3台ともかなりごつい造りで全体はクリーム色、それに迷彩パターンが描かれていて、3台とも車両の左右と前に1m四方ほどいかにもクリーム色で塗りつぶしたようになっている。その場所にもともとあったのはEUの欧州旗で、これらの車両はEUの軍事関連団体所有のものだったのを、相手先がEU関係の業務をするという条件でレンタル会社が払い下げを受けたものだ。それを革新的資源活用機構が借りている。そして3台とも車両の天井部分を空けており、そこには太陽光パネルが広がっている。これだけで走行に必要なエネルギーを賄うことはできないが、燃費は30%程度改善されるとのことだ。ちなみにこれらの車両の燃料は、合成燃料と電気のハイブリッドだ。先ほどの高い塔だが、実際にはその横には5㎞先にも、さらにはその先にも塔はある。しかし、よほど目を凝らさないと見えない。
先頭のオフロード車両にはles gens du SahelのAyaとMohamed Koumi El Nour、2台目のオフロードには革新的資源活用機構の伴と崔、コンサルタント兼運転手のKier Dobuol Lee、最後のマイクロバスにはKier Dobuol Leeが手伝いでお願いしたThomas<トマス> Kier<キール> Khat <キャット>とDeng<デン> Dobuol<ドボール> Tut<トゥットゥ>が乗って必要な機材を運んでいる。2人とも20代半ばで普段はハルツームにたくさんあるサーバールームで機材の保守などをしている。正確に言うと、そのようなIP事業所に作業員を派遣している人材派遣の会社の社員で、今回は革新的資源活用機構の作業をしていて、2人ともこれが3回目。すなわち2122年や2123年のCASM-3実証実験に参加していた。
伴「Bennaniさんが今回の場所の160Aを選んだのは、140Aより降水量が少なくて実証実験の効果が分かりやすいから?」
Aya「呼ぶときはAyaでいいと言ったでしょ。理由は2つ。降水量が少なく地下水脈から離れていることと泊まれる場所からあまり離れていないこと。160Aはドンゴラまで150㎞、ホテルはその手前で120㎞くらいだから多少の嵐でも2時間あれば行ける。最初の実証実験で140Aを選んだのは、記念式典をするから来客者のためにハルツームに近くないといけないと言われたから。今回はそんな制約がないから160Aにした。あと1時間半くらいね、到着までは。ちなみに140Aは、そちらの坊やがぼんやり窓を見ていた1時間くらい前に通り過ぎた。」
崔「いえ、ちゃんと気が付きましたよ。たぶんこの塔だと。」
Aya「指さしたのは、残念ながら142Aだったね。」
伴「ん?こちらの車内カメラが見えているの?」
Aya「この3台の車両はグループ設定になっていると聞いたでしょ。」
伴「グループ設定というのは、そういうことだったの。」
Aya「グループ設定というのはカメラの話じゃないのよ。リーダーの車から他の車をリモート操作できる、ちなみにそちらがリーダー設定ですからね。Kierはそのくらい知っているよね?」
Kier「まだ一度もそんな制御をしたことは無いけど、説明は何回も聞いています。」
Aya「ところでYoshi、石炭に対して何か強い関係があるように思ったけど。私の勘ちがいならごめんなさい。」
伴「え?今まで特に話していなかったのですが、わかります?」
Kier「私も何か違うと思っていました。他の方は、仕事で担当になったからというように見えますが、Yoshiの場合はなんというか執念を込めているような」
伴「私の家系、父方だけど私含め3代続いて石炭の燃焼以外での活用に関わっているし、5代前は炭鉱で石炭を掘っていたらしい。それに4代前は電力会社にいて石炭火力発電所で働いていたらしい。」
Aya「3代続けて石炭の活用というのは、まるで世襲の仕事ね。ところで、その炭鉱で働いていたという祖先の方は、オーストラリアにでも行ったの?」
伴「いいえ、働いていたのは第2次世界大戦後の20世紀後半で、その頃は日本にはまだ多くの炭鉱がありました。九州にあった炭鉱に居て、毎日地下にもぐって石炭を掘っていた、と聞いています。」
Aya「地下で石炭?オーストラリアは露天掘りで石炭を掘っていたと聞いたけど。いまでもやっているかどうかは知らないけど。」
David「Davidです。2時間遅れで着く予定です。オーストラリアの炭鉱は、原則的には2037年輸出停止でほとんど採掘はしていないのですが、科学材料として少量だが使用したいという要望があるので、1つだけ露天掘りの採掘を続けていて、そのような要望には対応しています。」
伴「え?先ほどの会話が聞こえていたのですか?これはグループチャット機能で外部からの参加はこちらから許可しなければいけないはずだが」
David「ユーザーはね。このシステムはだれが作ったか、を考えたらなんとなくわかるでしょ。」
崔「確かに、Davidは参加者ではなくシステム担当と表示されている。」
Kier「この通信システムの製造者はSpace Particle Surveyor Corp.、そちらの子会社で、EU関係者はシステム担当として常時入ることができる権限があるということですか。」
David「それに近いですが、EU関係者であれば誰でも、ということはありません。私は担当ですから。」
伴、Aya「知らなかった。」
伴「ところでいつからこの会話に参加していました?グループチャットで、車両は3台でほぼ固まって走っていたから、」
David「数100m離れて走っている車両同士の通信は直接電波や赤外線で伝えていると思っているかもしれませんが、砂漠は微妙に凸凹して見通しではないので、通信はデフォルトで宇宙エレベーターのマイクロスペースなどに取り付けられたインターネット用アンテナ経由です。それらは権限があればかなり離れていてもアクセス可能です。」
Kier「でもエチケットとして、通話を聞くとか割り込むには参加者に断ってからでしょう?」
David「おっしゃる通りです。だからアクセスしてすぐに許可申請をしましたよ。」
伴「申請?それってさっき画面左下で点滅していた緑のマーク?」
Aya「確かに何かと思って見たらシステムと表示あったから通信エラーでもあるのかと思った。でも申請を受理してはいないはずでけど」
崔「それ私がOKとクリックしました。システムから何か言ってきたら、とりあえず許可するのが習慣だったので。」
Kier「そうであれば、手続き上の問題はないから、どうぞご参加くださいとしか言うことは無いですね。」
Aya「確かに、ところでで、何の話をしていたのでしたっけ?」
David「Yoshiの祖先が日本の炭鉱で働いていた、というところです。」
Aya「そうだったわね。でも結局はオーストラリアなどから輸入した石炭を使うようになったのでしょう、とすると日本では炭鉱を維持する何か特別な事情があったの?」
伴「20世紀中ごろの第2次世界大戦の関係、というのが分かりやすい説明でしょう。この戦争前と戦時中、日本は欧米に敵対していたので石油の輸入は困難だったので国内で入手できる石炭に依存したし、戦後は外貨準備が少なかったのでやはり輸入が難しく国内の石炭をできるだけ使おうとした。発電と製鉄では石炭が必要だったのです。ところが、日本経済が発展して外貨準備高が増えると海外から石油や石炭を輸入できるようになったため、国内の炭鉱は輸入炭に対抗できなくなったのと、地下での採掘は事故が多かったので次々に国内の炭鉱はつぶれていきました。」
Aya「日本がなかなか石炭火力発電を止めなかったので先進国の中では一番遅れていた、という話は聞いたことあるから、石炭で発電というのはわかるけど、製鉄というのは石炭を使うの?」
伴「製鉄というのは、簡単に言うと鉄鉱石を純粋な徹にする工程です。鉄鉱石というのは酸化鉄で、鉄と酸素の化合物です。これを純粋な徹にするには鉄鉱石から酸素原子を取り除くことになります。酸素原子を取り除く方法としては、熱した石炭、すなわち炭素を使う炭素還元法と、水素を使う水素還元法があります。」
Aya「今は水素なんでしょ。昔は確かに熱した石炭を使っていたというのは聞いた気ことがあるがするわね。」
伴「その通り。昔の主流は炭素還元法で、熱するために石炭を燃やす上に鉄鉱石からはぎとった酸素と炭素が結合するので、鉄と二酸化炭素が出てきます。これに対し水素還元法では出てくるのは鉄と水素と酸素の化合物の水です。」
Aya「そうなのなら、どうして炭素還元法というものがあるの?と言おうと思ったけど考えたら製鉄なんて大昔からあってそこでは水素なんてあるわけないから、可能だったのは炭素還元だけ、ということね。」
伴「そうです。水素還元法というものが出てきたのは、確か20世紀半ばです。それで、話を戻しましょう。私のおじいさんのおじいさん、つまり5代前の炭鉱で働いていた御先祖の息子ですが、石炭を使うほうの電力会社に就職して石炭火力発電所で働いたそうです。ただその時使っていたのは輸入炭だったとのことです。私の祖父がそのまた祖父から聞いた話をしてくれたのですが、九州の石炭火力発電所が国内炭から輸入炭に切り替えたことに関して5代前から、昔石炭は黒いダイヤと呼ばれたものだが、俺たちに言わせれば仲間の血や肉が染みついた大切なものだ、これが日本の電気や鉄になっていくのだと思ったから頑張って掘ってきたのに使ってくれないとは情けなくて我慢できない、だからお前には炭鉱では働かせたくなかった、だから電力会社に行くと聞いてうれしかったが、それがよりよって海外炭を使う火力発電所か、という愚痴をよく聞かされた、と言っていました。ただ困ったものだ、というのではなくなんというか、そうなるのもしょうがなかった、という感じで話していたそうです。」
David「Yoshiの祖先が働いていた炭鉱は、どうなったの?」
伴「5代前が働いていたと聞いている九州の炭鉱は、4代目が働いくことになった火力発電所が輸入炭に切り替えたあと20年くらい後、確か2000年の少し前に閉山になりました。私の5代目は、その閉山のニュースを聞く少し前に亡くなったと4代目が言っていたそうです。」
Aya「この前話をしていた日豪包括エネルギー条約などは、その後の話ね。Yoshiの先祖の方は何か関係あったの?」
伴「その頃は私の曽祖父の代になり、機械メーカーで仕事していたから我が家の家計には直接関係はなかったようです。ただ、4代前は電力会社から退職したとはいえその頃の社会情勢には注意していたようで、日豪包括エネルギー条約の3年後に急に出てきた石炭火力や製鉄業での石炭の使用停止といった日本宣言については大変なショックだったと聞いています。そのため昔の仕事仲間と一緒に抗議活動などに参加し、家では、日本政府は電力会社や製鉄会社を何だと思っているんだ、と言い続けていたそうです。」
Aya[この前話していた日本が脱炭素に大きくかじ取りをしたというものね。このあたりの国、というかどこでもそうだろうけど、こんな方針の大転換をするときは政府の支持率が大きく下がっていて、その転換で影響を被る企業や団体から多くの訴訟があがって、内閣総辞職なんだけど、日本はどうだったの?]
伴「確かに、日本宣言の前での内閣支持率はひどく低かったようです。それは日本が脱炭素に逆行しているとの認識が世界に広まって、ほぼすべての分野で日本製品だけでなく日本の部品を使用しているだけで消費者からボイコットされ、輸出産業がすべて大打撃を受けて不況になったからなのです。」
David「その当時は、日本はまだ先進国の中の国で、その中で日本だけ発電の主力の燃料が石炭で、すぐには変えられない、と言っていたらしいから。脱炭素を達成しつつある国からすると、炭素税かけても不公平に見えるからねえ。」
伴「そのへんの理由は、私はよくわかりませんが、それがこの日本宣言で「日本もやればできるじゃない」という認識に変わって輸出が持ち直し不況を脱したので、内閣の支持率は持ち直しました。もちろん電力会社や鉄鋼業界は日本宣言のために大量に抱えていた石炭の後始末と作業環境の大幅変更を迫られたので、日本宣言は大打撃でしたが、政府相手に訴訟を起こすということは、ありませんでした。」
Aya「何故?」
伴「製鉄業界は輸出産業でもあって日本宣言で損失だけを負った、というわけではない。電力業界はユーザーに多くの輸出企業がいるので、政府に訴訟を起こすと顧客からの反発があるから、ということのようです。」
Aya「日本の企業らしい判断ねえ、情けないけど。それで、その日本宣言の約束は2年後に燃料用としての石炭使用をゼロにする、だったでしょ。その約束はスケジュール通りに進んだの?」
伴「電力も製鉄も一応準備はしていたので、計画の大幅前倒しで大変だったらしいけど何とか。ただし、約束通り2年後の2038年度末ではなく、2038年の2月には終了したそうです。」
David「外から見ていると、日本とはそういう国に見える。」
伴「そういう国?」
David「普段は、本当に実用化できるかどうかわからないものを『この商品はあと何年後には世界中に普及します』と言っているのに、社会構造に影響する変化に対しては、あれこれ理由を挙げて『このような変革には非常に時間がかかります』と言ってなかなか進まない。しかし外からの圧力が大きくなってくると、急に『方針を変更しました。明日から対応します。』と言ってその通りに進む。初めからやればいいのに。もちろんこれはEUの公式見解ではなく、私の感想だけど。」
伴「そう見えますか。」
Aya「確かに、そんな話は聞いたような気がする。それで、とにかく燃やせない石炭が出てきたのよね。」
伴「そうです」
Aya「石炭の所有者は製鉄会社や電力会社だろうけど、それが燃やせなくなったのは政府の方針変更なんだよね?」
伴「そうです。」
Aya「で、政府は何か補償をしたの?」
伴「石炭の所有者が石炭の使用方法を考えて対応する、というのは何も変更ありません。変わったのは、国の研究機関の一つに基金が一つできて、それに応募して採用されると燃やす以外での石炭の使い方を研究するのに必要な資金の一部がこの基金から支払われる、ということだけです。」
Aya「何、それ。それで文句言わなかったの?どうして、そんな方法でうまくいくの?」
伴「結論から言うと、うまくはいきませんでした。要するに、政府が示したのは、経費の一部は補助してやるから石炭をどのような方法で有効活用できるかの提案を考えて、自分たちの力でその通りに進めろ、ということなのだから。」
Aya「石炭を抱えていたのは製鉄会社や電力会社でしょ?その各会社が各々政府に提案するの?」
伴「政府の中でどういうことを考えてそのような政策が出てきたのかは知りませんが、建前からすると個々の会社から提案をして、それを国の研究機関が別々に有効な研究開発かどうか判断することもできます。ただすべての製鉄会社や電力会社が立派な研究所を持っているわけではないから、この政府から出た政策に対応してこれらの業界がまず行ったのは、各々の会社が必要な費用と人材を持ち寄って、石炭の有効活用を研究開発するための組織を作ったこと。これが電力・熱力資源活用研究所というもので日本宣言の確か2年後にできました。」
Aya「2年もかかったの?」
伴「いや、このような違う業界の間に新しい組織をたった2年で作るのは大変だったはずです。まずどんな組織が必要なのかということを決めるため、関係する会社の担当者が集まる会議を設定しなければいけない。幸い電力業界の方には各会社が資金を出し合って運営している研究所があったので、そこが中心となって製鉄業界が作る団体と交渉したそうです。」
Aya「そういう話を聞いていると、一般的にそう言えると思うのだけど、あなた方は自分のいる会社や団体に関するいきさつの説明をすごく上手に説明してくれる。今までにいろんなところからの人と話をしてきているけど、大体は今所属しているところの歴史には興味がないという感じなのだけど」
伴「え、お世辞ですか?」
Aya「褒めているのよ。それで、新しい組織を作ってうまく進んだの?」
伴「各社ばらばらにやるのに比べれば無駄がないのは確かですから。ただ石炭の有効活用というかなり漠然とした目標なので、具体的に何をどうするかについての検討は大変だったようです。その辺は私もよく知りません。少なくても、はっきり言えるのは、私の祖父が、この電力・熱力資源活用研究所に入社した2050年代には石炭を原料としたカーボンナノチューブの研究開発が主流だったそうです。」
David「Ayaも当然知っていると思うけど、宇宙エレベーターを作るには大量のカーボンナノチューブが必要となる。その時は生まれてないから聞いた話だけど、宇宙エレベーターでの利用を想定したカーボンナノチューブの製造方法の検討が始まったのは2050年頃からで、中心となっていたのは日本の会社のJapan CNT。その会社がその頃想定した原料は石炭とドライアイスだった。その石炭に関しては電力・熱力資源活用研究所が協力していていました。一方、ドライアイスはDAC(Direct Air Capture:直接空気回収技術)の出力で、2035年以降に多くの工場などで脱炭素のために多くのDACが設置されていたので多くの供給源がありました。これには私の母国オーストラリアも大きく関係しています。そして宇宙エレベーターで使用しているカーボンナノチューブはドライアイスから作られたものです。加工が楽なのと原料として使用するには低コストですから。」
伴「日本に石炭を売ったお金を、特に再エネ関係の投資に回し、もともと石炭で栄えていたところが情報産業拠点に変わった、ということでしたよね。その中にDACもあったというのまではよく知りませんでした。カーボンナノチューブの製造で、日本の石炭とオーストラリアのドライアイスが張り合っていましたか。」
David「今や厄介者になっている石炭を日本に売り払って、そのお金で産業構造を変えたというのは、言い方悪いけど事実ですが、石炭を売ってくれと言ってきたのは日本ですからね。あとカーボンナノチューブの原材料のドライアイスは別にオーストラリア製ということは無いです。これは世界中からのものです。単にオーストラリアのベンチャーと日本の企業が共同開発した技術が世界中にあるDACに採用されているのです。石炭の採掘をやめた跡地に石炭燃焼の実験装置を作り、そこでDACの中に入っているCO2吸着用フィルターのチューニングをしたそうで、その時に開発したフィルター製造の技術が生きているのです。」
Aya「それだけ聞くと、どこかの国は先見の明があったのに別な国はそれがなかった、というように聞こえるけど、でも多量にある石炭が宇宙エレベーター用のカーボンナノチューブの原材料にならなかったから、別な用途として土壌改良用の素材が開発され、それで砂漠の緑化の可能性が出てきているので、私含めここの人たちには希望の種になっている。だから石炭が宇宙エレベーター用のカーボンナノチューブの原材料にならなかったことにも、大きな意味があったのでしょう。」
伴「2033年に日本政府がもう少し別な判断をしていたら、と思うことはあるけれど、Ayaにそう言っていただけると、すごくうれしい。だけど」
Aya「だけど?」
崔「私もそう思います。学生時代の頃になるけど、研究テーマを決めるときに、宇宙エレベーター用など主要なカーボンナノチューブの原料はDACから出力されるドライアイスになっていたけど、もしカーボンナノチューブの原材料が石炭になっていたら石炭の用途はそれで決まってしまうので、今やっているような土壌改良の研究開発は無かったでしょう。だから石炭がカーボンナノチューブの材料になれなくてよかった。」
伴「そこまで言われると、少し反論したくなる。まず時代として、運が悪かった。2060年代から70年代というのは世界的に内戦が多発して、日本では内戦は無かったけど不況・人手不足・感染症のパンデミックなどが起こり、石炭の応用に関する予算も人でも大幅に削減され、必要な基礎研究はどう考えても十分にはできていなかった。」
Aya「その時期は、ほとんど世界中で共通と思うのだけど。日本では内戦がなかったというのは、このあたりの国から見ると羨ましい。」
伴「それにしても、研究開発で予算が大幅にカットされたのは痛かったはずです。石炭がカーボンナノチューブの原材料になっていたら、その後に起こった大事故はなかった。」
Aya「大事故?」
David「DACなどからのドライアイスがカーボンナノチューブの原材料になったことで石炭応用の予算が減って保管していた石炭の管理が少し雑になったため、という話を聞いた。」
伴「それは、大体正しいです。電力・熱力資源活用研究所の運営は、電力会社や製鉄会社からの資金と国の研究開発プロジェクトに参加することでの助成金になるのですが、石炭からカーボンナノチューブを作り出すプロジェクトが続けることができなくなって予算が減ったことから、資金不足になりました。国の方は、石炭をどうするかについては電力・熱力資源活用研究所に丸投げで、目新しい提案でなければ予算がなかなかつかない状況だったそうです。」
崔「その辺は聞いたことありますよ。政府関係者の中でも石炭はお荷物扱いだったのと、予算をつけるなら今後とも需要供給が伸びるDACからのドライアイスの応用に、という意見が強くなっていたから、らしい。だから石炭対策は、目立つ対策案でなければ先延ばしだったとか。」
David「面倒なこと、議論になるところは先延ばしねえ。いかにも・・」
伴「それ以上は言わなくてもいいです。それよりさっき言いかけた大事故の話をしましょう。その当時の話ですが、石炭活用のメインのプロジェクトが無くなったため、その次のプロジェクトを作り出すために基礎研究のところからやり直すことになったのですが、それらは先がどうなるか読めないものばかりなのとどちらかと言うと地味なので大きな注目を集めにくい。それに国からの費用分担は、何か案を作ってそれがプロジェクトとして採用されてからでなければ予算がつかないというものですから、かなり長期間にわたって予算不足の中での研究開発が続けることになりました。そうした状況なので運営費を切り詰める必要があり、特に大きく切り詰めたのが大量に溜まっている石炭の保管費用と施設や設備の修繕費用だったそうです。電力・熱力資源活用研究所には研究開発を行う施設が九州、北海道、それに東北、これは福島県ですがその3回所があり、一番規模が大きいのが福島県広野町の設備でした。」
David「その大事故は福島県の設備であった、というのは聞いて知っているけど、そもそもどうして福島県?確か日本で大きな炭鉱があったのは九州や北海道、石炭を使う大きな施設なら製鉄所や火力発電所で、どれも福島県ではないと思うが。」
崔「その福島県広野町の設備は火力発電所の敷地で、別に日本で一番大きいわけではない。その代り、所有者は電力会社の中で一番大きなところで、近くには廃炉作業中の原子力発電所があって、その作業はなかなか進まない。要するに政治的な話で、福島県に石炭処理施設を誘致した、と聞いたけど。」
David「原発の廃炉が進まないことに対する地元の反発をかわすために、環境対策の名目で別なものを誘致した、ということ?」。
伴「それ以上の話は、やめておきましょう。私も正確な話は知りません。なんたって、その辺の情報はどこ探しても見つからないので。」
David「それらしい国の話ねえ。まあ、さっきの話を続けてください。」
伴「私の祖父は、そのまた祖父、つまり4代前から石炭の話を聞いていて石炭に興味があったから、大学を出た後、電力・熱力資源活用研究所で石炭によるカーボンナノチューブ製造の研究開発をしたとよく言っていました。しかし、その製造の原材料をドライアイスに持っていかれたため、九州の実験設備でより基礎的な実験を続けたそうです。それは粉砕した石炭にプラズマを照射することで、内部に空洞を持っている大小多数のカーボンナノボールを作ろうというものでした。この製造方法の原理は2070年頃の名古屋大学の研究だそうで、その研究室出身者が祖父のグループに居たそうです。それがうまくいきそうなので、より大規模な実験をしようと2080年代の中ごろにそこのグループ、5~6人だそうですが福島県の施設に移動しました。祖父は、初めての経験だったそうですけど単身赴任でした。祖母が孫のいる九州から離れたくなかったからそうなった、と言っていました。祖父のほうですが、カーボンナノボールの製造自体はうまくいき、この方法をCNMI法(Carbon Nanotube Modified IIJIMA Method)と命名しています。このIIJIMAというのは、1991年にカーボンナノチューブを発見した飯島澄男にちなんだものですが、それ以上の大きな意味はないそうです。CNMI法で作ったカーボンナノボールを何に応用しようかということについては大学などとの共同研究が必要だろうということになり、2090年末には九州の事業所に戻る予定だったそうです。ところがその年の9月のある朝、そのとき祖父がいたのは1階に石炭の貯蔵庫と実験設備がある建物の2階の会議室で他のグループとの意見交換の打合せ中だったそうです。当時の記録では9月20日(水)朝9時に広野発電所内にある電力・熱力資源活用研究所 広野町事業所の第2実験棟で火災発生、死者5名、重軽症者20名とありますが、祖父の話では爆発による建物半壊で、気が付いたら壁の下敷きになっていて2時間後に救出されて骨折などで3か月間入院、1階で作業していた祖父の部下2名は死亡、2名重軽傷でした。炭塵爆発だそうです。1階の石炭貯蔵室で石炭の運搬作業中に発生した炭塵に、別の実験で発生した火花がついたらしい、としかわからないそうです。祖父はその後退院して職場復帰もしていますが、その後ずっと『亡くなった方には悪いことをしてしまった、もっと安全対策を徹底するべきだった』と後悔しながら、事故のあと3年後に退職しその後6年ほどで亡くなってしまいました。ちなみに私の父は大学卒業後に電力会社に勤めていたのですが、この事故の後に出向希望を会社に提出して認められ、次の年に電力・熱力資源活用研究所の九州事業所の広報配属になりました。」
David「炭塵爆発ねえ、オーストラリアでは聞いたことがない。」
伴「日本の炭鉱は地下を掘るので大きな事故と言えば炭塵爆発になります。それが想定外の年月と場所で起こったので、日本国内では大きな衝撃でした。さらに50年近く前に政府が決めた方針で生じた使えない石炭の後始末を民間に任せっきりにしていた、のも大きな衝撃でした。そして、石炭の後始末は政府が責任持ってやるべきという世論が強くなってきたのを受け、政府は2095年に独立行政法人 革新的資源活用機構(Resource Revolutionary Utilization Organization)を設立しました。これは国の組織で、今まで電力・熱力資源活用研究所が行ってきた燃焼以外での石炭の利用方法を研究開発する役割を受け継ぐものとなります。そのため役割を終えた電力・熱力資源活用研究所は解散となり、そこの職員は革新的資源活用機構に行くか製鉄会社または電力会社に行くかの選択肢が与えられたが、ほぼ全員が革新的資源活用機構に行ったそうです。私の父も革新的資源活用機構に行きました。その革新的資源活用機構になってから、より積極的に他の分野からの提案を受けるように運営方針が変わりました。他の業種との共同研究を積極的に行い、可能性があるのであればその分野の研究者も職員として採用したため、革新的資源活用機構の職員数は設立直後では電力・熱力資源活用研究所とほぼ同じ100名程度だったのが、5年後の2100年には150名程度になりました。一番増えたのは農業分野で、それは私の祖父も関わっていた石炭を原料としたカーボンナノボールを地衣類に混ぜて散布すると土壌形成の速度が大きく改善されるので、土壌改良剤として使用できそうということです。この方式での商品が開発され、量は多くはないもののそれなりに売れているが、地衣類は生き物なので少々使い勝手は今一つ。原理的には砂漠の緑化も可能のはずだが、このまま砂漠に散布すると地衣類が短時間で死滅してしまう。これを避けるには、地衣類がカーボンナノボールの中に入った状態で散布すること、これであれば地衣類は簡単には死滅しない。この状態を簡易に作り出すことができるようにするのが、2114年に完成したBVM法(Bio Vapor Mixing)で、ちなみに私が革新的資源活用機構に入ったのはこの1年前です。この後の話はAyaもご存じでしょう。」
という話をしているときに一瞬前が暗くなりゴーッと音がして3台とも車体が揺れた。
Aya「何、これ。砂嵐のようねえ。」と言いながら天気と地図をチェックし「あと5分くらいで強い砂嵐になるわねえ。ただ、この辺はルート外れないほうがいいと言われているから、ここで3台まとまってアンカーを打って固定しましょう。」
と言っているうちにマイクロバスがルートを外れて走り始めた。
Aya「何やっているの。停めて。」
Thomas「あそこに丘が見えるから。あそこまで行けます。」と言っているうちにマイクロバスはルートから外れたので他の2台もその後に続き始めた。
David「停めて。この場所でルート外れるのは危ない。」
伴「危ないって、嵐が?」
David「悪いけど制御もらうよ」
Thomas「Wow!」と言ったとたんマイクロバスが急停車し車体が少々前につんのめった。その拍子に車体の天井に設置していた太陽光パネルの1枚が外れ、50㎝四方くらいの大きさだが、風に吹かれて前の方に飛んで行った。
Thomas「どうなっているんだ?急に止まって動かなくなった。」
David「先ほど詳しくは言わなかったが、私は非常時に他の車両を制御する権限があります。今それを行使させてもらいました。」
その間に外れたパネルは数10m先の地面に一度落ちて跳ね返ってさらに前の方に飛んで行った。それを見るともなく見ながら
伴「急に車両を止めるなんて、もし何か事故でもあったら」と言っているうちに飛んでいたパネルはまた地面にぶつかり跳ね返りを2階ほど繰り返し100mくらい離れたところでまたぶつかったときに地面から黒煙と火花が数m上がりボーンと大きな音もして、車の窓も振動したように見えた。それから煙は風に流されていった。
伴「え?爆発した?地面が?」
Aya「え?煙が見える。」
崔「火花が見えて、大きな音がした。何か爆発したように見えた。」
David「何があったの?詳しく説明して!」
Thomas「ここに停車して安全?この車から出たいのだけど。」
David「Thomas、その場所は安全です。そのままそこで待機しましょう。まずは、アンカーを打ってください。それはリモート制御では難しいのでそちらに制御を渡しますが、大丈夫?」
Thomas「あ、はい、大丈夫です。アンカーですね。そこに他の2台も繋げるのですね。」
David「そうです。砂嵐自体はそれほど強いものではなさそうだからアンカーさえ打てば大丈夫でしょう。」
Aya「その意見に賛成です。Thomas、やり方はわかる?」
Thomas「他の来るまでは何回もやっているので、大丈夫でしょう。では始めます。」
というとマイクロバスの4隅から長さが各1mくらい直径30㎝程のアームが出てその先についていた杭状のものが地面にめり込んでいった。そのうちに残り2台がマイクロバスの前方のアームに車体から出した鎖を繋げた。
Thomas「アンカーの固定終わりました。」
David「ご苦労様。砂嵐で通信が難しくなるまでまだ余裕がありそうだから、さっき何があったのか教えてくれませんか?」
伴「私から説明します。マイクロバスが急停車したときに車体についていた太陽光パネルの一つが外れて前の方に飛んで行った。それが100mくらい飛んで地面についたときに何か爆発したように見えた。大きな音も聞こえました。」
Aya「地雷ね?ここは20年くらい前にRPC工事用調査の大型トレーラーにトラブルがあったところなんでしょ?確かRPC建設のルートはEU Space Development Corp.が安全性の点からアドバイスをしたのだけれど、Africa RPC Projectがそれに満足しなくて独自にルートの調査をしたところ、このあたりで車両が横転する深刻な車両トラブルが発生し、EU Space Development Corp.が推奨したルートになった、と発表された。でもこの辺ではその事故を起こした車両は地雷原に踏み込んでしまったのでは、という噂になりましたよね。それと同じ、ということ?」
伴「地雷?そんな話があったのですか?」
David「できれば理由は言いたくなかったけど、その通りです。」
Aya「この辺に地雷があるかも、という話は聞いたことはあるけど、ルートをたった100mくらいずれただけで地雷なんて。」
David「まさか、3㎞くらい正規ルートからずれていた。」
Mohamed「あ、ルートの設定データが間違えていました。」
伴「EU Space Development Corpには、どこに地雷があるというデータがあるのですか?そもそもどうしてここに地雷があるまたはありそうということを知っているのですか?」
David「正確にどこに地雷がある、というようなデータベースはありません。そんなものがあれば地雷の処理をするし、Africa RPC Projectにだって事前に伝えるから地雷による事故は起きないはずです。わかっているのは、この辺に何個ありそうという確率だけです。この確率の情報源は、内戦時代にこの辺に駐留していた国連の平和維持軍です。EUからも大勢参加していて、内戦が終わったときに内戦に係った多くの軍事組織から情報を得た、と聞いています。」
Aya「だいたいの位置が分かるなら、あとは金属探知機などで探せるのでしょう?」
David「そういう話ではないのです。それはAfrica RPC Projectも考えたことで、彼らは高感度の金属探知機を持っていたからこちらの情報は重視せず独自のルートを作れると思ったけど、そうはならなかった。実のところ、このあたりの地雷によって金属探知機で見つけられるのは半分くらい。その理由は、金属をほとんど使っていない地雷もあるし、地下深いところに埋められた地雷もあるとか、いろいろです。」
Aya「確かその時は数台で小型の自走式地雷探知機が先を走って、その後ろを大型のトレーラーがついて行ったらトーレ―ラーの真下で地雷が爆発した、と聞いたことがある。これは地雷探知機には見つからなくて、さらに重量があるものが通ったときにしか爆発しない、ということ?」
David「そういう機能を持った地雷にあたってしまったと聞いています。」
崔「その時はけが人とか死人とかは?」
Aya「けが人は出たけど、死者はいない。ただ2次災害を防ぐため破壊された車両はそのまま残された。それがこのあたりということ?」
David「ええ、このすぐ近くのはずです。」
伴「ということは、我々は実は知らずにかなり危険なところを走っていたということ?」
David「そういうことです。」
伴「Africa RPC Projectが持っていた地雷探査はトップクラスのせいのうときいていたけど、それが探査できない地雷とは具体的にどのようなものかEU側は何か知っているの?」
David「あとで直接お話ししましょう。」
Aya「地雷の場合は、EU側がつかんでいる情報で何とか対応できるでしょ。あなたがただってそのくらいの危険はあると思っていたでしょ?」
伴「確かに、地雷の話だけは聞かされていました。他には気を付けるべきという情報は、なかったと思いましたが。砂嵐以外は。」
David「ええ、その通りです。ただ砂嵐については、このプロジェクトは既に被害を受けていましたよね。」
崔「あ、確かに。」という話をしているうちに砂嵐が少し強くなってきて周りが暗くなってきた。
Aya「そろそろ通信ができなくなりそうだから、アンテナをしまって車両にこもりましょう。たぶん20分くらいかかるでしょう。」
David「それでは、通信が回復したら連絡ください。お元気で。」




