No.2 第3章 最終回
第3章 CASM-3再び
<日本国内での半年>
毎年6月から10月にかけてハルツームは雨期なので、伴や崔のハルツームでの実証実験はお休み。崔は5月の宇宙エレベーターからの放出実証実験の後すぐに日本に戻り、CASM-3の改修の検討と敷設の際の様々なパラメータを変えた時の絵郷の検証をしていた。Musa Badriの提案で、針のトラブルは非常に少なくなったものの動作スピードを落とす必要が出たため、その対応をしたかったのだ。Musa Badriは恐らく冷却機能を強化した改修をすることで動作スピード低下に対応すると思われるが、崔のほうでは自分たちのほうが技術力は高いはずと思っているので、それ以上の性能を出したいからだ。ところが、プロジェクトではこの改修の担当はMusa Badriに依頼したというのが正規な決定のため、崔が当てにしていた開発チームには別なテーマが割り振られていて、さらに崔自身も今回の結果をまとめて論文化する作業があり、大きな進展は得られなかった。
一方、伴も日本に戻ってきていて本人はBVMCA粒子をより効率的に散布する方法の検討をしたかったのだが、そうはいかなかった。ここで、東京での生活を少し紹介しておく。
伴が帰ってきたのは6月15日(土)。その日の東京の最高気温は35℃で、これは平年より2℃だけ高い。ちなみに2024年6月での最高気温の平均は28℃程度だが、最高気温35℃では話題にもならない。ただ2123年7月に東京で最高気温が44℃になったときには大きなニュースになった。この猛暑自体をなくすことはできないが、都市全体を猛暑から守るプロジェクトとして、例えば多数の高い建物の上から都市全体を覆うようにミストを降らせる、都市全体を覆うなど一応検討はされたがどれもコストなどの上から不可能と判断され、結局は小規模で個別の対処療法となった。それは、建物の内部は必要な冷房をつける、屋外で人出が多いところにはアーケードなどを取り付ける、屋外に出る際の服装はコールドテック仕様で体幹部と頭部を守る、などだ。伴も、アフリカでは途中から使わなかったコールドテックのアンダーウェアと薄いヘルメット状の帽子をしている。伴は帰国前にたまたま100年前の都内の風景の写真を見たのだが、それと比べると今の都内はアーケードだらけだ。帰国して次の日の日曜日に家族と出かけたのだが、行先はショッピングモール。子供はまだ2歳ということもあるが、伴は自分の子供が屋根のない屋外で遊ぶというのを見た覚えがない。そこで入ったカフェで出てきたサラダをフォークで突っつきながら、伴は子供の頃野菜の匂いが嫌いでサラダを食べなかったのを思い出したのだが、今目の前にあるサラダからはほとんど匂いがしない。これは別に伴の嗅覚が衰えたわけではなく、野菜などのほとんどが猛暑でも収穫量の落ちない品種に置き換わったことの副産物だ。Musa Badriのところで頂いた食べ物についてきた野菜は、すごく野菜らしい匂いがしたなあ、と伴は思い出した。3か月以上アフリカ出張していたので、伴はこうした暑いけれどのんびりした時間をあと数日取るつもりだったのだが、次の日の17日(月)には事務所に呼び出された。
呼び出したのはあの阿部俊哉理事で、「次にハルツームに行くのは雨期明けだから、その間は別なプロジェクトのサブリーダーとして頑張ってほしい」と無理やりASEPP (Asia Space Elevator Preparation Project:アジア宇宙エレベーター準備プロジェクト)のサブリーダーの就任を押し付けられた。これは名前の通りアジアにも宇宙エレベーターを作ろうというプロジェクトで、このような構想はEUや北米が宇宙エレベーターを計画した2070年頃から既にあった。
これについて状況を説明しておこう。このアジア宇宙エレベーター構想は、日本やシンガポールなどのASEAN諸国と中国とが別々に計画していたが、別々に2基作るほどのメリットはないためまとめる必要があるのだが、当然のようにこの2者間での主導権争いがまとまらず、膠着状態となったまま止まってしまった。一方、アジアでの宇宙エレベーター建設を主導していたのは日本や中国に本社があってカーボンナノチューブを製造していた会社だが、それらはEUや北米の宇宙エレベーターの建設やそれ以降の保守作業を担って余力がなくなり、わざわざリスクのあるアジアでの宇宙エレベーター建設を進めようという機運が萎んだ。またアジア内で多くの通信処理を行っている会社のほうは、現在の海底ケーブルだけでも対応可能という判断があり、これらの会社から宇宙エレベーター建設を強く要望することは無かった。こうして数10年経過したのだが、その間に宇宙エレベーターのあるアフリカや南北アメリカでは宇宙ビジネスなど宇宙エレベーターによって生じたと思われる経済効果が現れてきた。これに大きな危機感を持ったのが中国やASEAN諸国の政府で、世界全体の産業界におけるアジア諸国の影響力復活を目指し、2124年になってやっとASEAN-China Space Elevator Projectが設立された。これに日本政府側の代表として出席するのが革新的持続可能性活用機構と決まったため、急遽ASEPPが作られたのだ。
この辺の大まかな状況は伴も知ってはいたもののそれ以外は何も聞かされないまま、サブリーダーを押し付けられ、その日の午後にはASEPPの会議が設定されていた。メンバーは伴含めて5名ほど、すでに3回ほど打合せをしていたようで、全員が宇宙エレベーターの動作原理など伴よりも細かな知識を持っているようだった。
そこで終了後に「何故私をサブリーダーにしたのですか」とリーダーに聞いてみたら
「うちの中で地上300㎞上空の宇宙エレベーターの設備で数日間過ごした人など、他にはいないだろう。」と言われた。確かにそうだろう。
そして次の週には、リーダーとともにASEAN-China Space Elevator Projectの第1回目総会への出席が決まっていた。会議の場所はASEANのある国のリゾート地、第1回目なので公式的には現時点で何も決まっていないはずではあるが、赤道上はシンガポール、北緯15°はマニラ、南緯15°はダーウィン(オーストラリア)でほぼ決まっているとの話がまことしやかに伝わっている。
ただ、この案だと3か所とも経度が大きく異なるのでどれか1か所でも不具合が生じるとケーブルや上空の基地が不安定になるので、伴にはこれが本当に考え抜かれた案とは思えない。ただ安定性を覗けば、通信用途ならマニラは日本や中国、シンガポールは東南アジア食やインド、ダーウィンはオーストラリアや海洋諸国が潜在的な顧客なので、よく考えられてはいる。また会議自体は、伴から見たら収拾がついていないように見えた。というのは、参加者の知識のレベルの差が大きすぎるのだ。すごく宇宙エレベーターに関する知識を持っている人だけで参加者を構成した国があるかと思えば、宇宙エレベーターに乗ると無重力を感じられるはずと言って宇宙エレベーターと国際宇宙ステーションの違いを理解しているのだろうか、と思わせる委員もいる。主催国の担当大臣などは、歓迎の挨拶の中で、クライマーで上に行くのは時間がかかりすぎるから我国はロケットとの併用を提案する、などと言っていた。これだと、何のための宇宙エレベーターかわからない。
伴はこのような会議にあと2回出席して、やっとハルツーム納期が終わり残りはリーダーに任せて日本を後にした。
<Musa Badriの改修結果>
雨季が終わって12月5日(火)から7日(木)まで2124年2回目のCASM-3での実証実験の時期となった。今度の場所は162A、前回より20㎞先だ。このため伴は12月になる前にハルツームに戻ってきたのだが、伴を見るなりKierやDavidからは
「やつれた顔しているけど、日本で何か困ったことが起こったのか?」、
Ayaからは「なんか、長い出張からやっと自宅に戻ってきてほっとした、という顔に見えるけど、日本の生活ができなくなってきた?」
などと言われ、その度に「私の仕事は他にもいろいろあるから」などと答えた。
毎日自分の顔を見ているときは気がつかないのだが、久しぶりに見るとわかることもあるのだろう。
2回目のCASM-3実証実験では日本からの機材の他にMusa Badriが改修した機材も使うので、前回同様に伴たちは2台の車で12月4日(月)朝にハルツームを出て昼過ぎにMusa Badriの自宅兼作業場に着いて、入口を見て驚いた。Davidからの仕事もあるので人が増えたという話は聞いていたが、変わったのはそれだけではなく、以前はそのあたりの普通の大きな農家という感じの入り口だったのが、建物の中でそこだけ少し新しくて普通の会社の入り口に見える。なんたって入口の上に大きく” M&J Agricultural Machinery Company”という看板があり、その下に”a designated company of EU Space Development Corporation.”( EU Space Development Corp.指定業者)と書いてある。外から見ると完全な会社組織で、CEOはMusa Badri、Jibril <ジブリール>Elhassan<エルハサン>はCTOだそうだ。伴たちを案内していたのはSalma<サルマ>という名前の若くやや背の高い女性、ここで働き始めて数か月で担当は技術と総務全般と言っていた。伴はこの人は以前どこかであったのではないかと思いだそうといたらそこにMusa Badriが来たので、伴が会社組織になって今までと大きく変わったかと聞いたのに対して、やっていることもやり方も大きな違いは何もない、というのをSalmaが聞いて、
Salma「社長!この前ちゃんと勤務時間や諸経費の説明をしましたよね。」とMusa Badriに言った後、こちらを向いて
「あなた方はご存じだったかどうか知りませんけど、この人たち少し前までは時間外や会社の損益のことなど全く知らなかったのですよ。」
後で聞いたところによると、Salmaも経理関係は専門外なので会社の経理や税務関係などはEU Space Development Corpの関連会社にアウトソーシングしているらしい。そこが機能しているからMusa Badriが自分でする必要はない、ということのようだ。そこにAyaたちが何か荷物を持ってやってきた。伴は、いつもなら先に来ていることが多いのだが、と思ったら、
Salma「あ、お母さん、頼んだ食材は全部そろった?」
Aya「ひき肉、ドライフルーツ、卵、レシピにあるのは全部買ったわよ。」
伴「え?お母さん?」
Aya「言っていなかったけど、私の娘よ。この前までラバト(モロッコの首都)の高校で物理を教えていたのだけどここの話をしたら、教えている教科が実際に社会でどのように使われるかを生徒に教えるのは大切だからと、1年間の休職手続きをしてここで働いている。幸い、この建物の3階は空いている部屋があるし。」
この前のBVMCA粒子探索のときに、Ayaたちがこの場所に泊まっていたというのは、単に粒子探索に行くのに便利だけだった、というほかに娘のことをお願いするということもあったのか、と伴は思った。
伴「ところで、その食材は?」
Aya「今夜の分と、明日持っていくランチの分ね。買うものは娘に頼まれた。」
伴「それでは、今夜の料理は娘さんが?」
Aya「まさか、手伝ってくれるだろうけど、メインは私が作る。うちの子が料理をしているという話は聞いたことがない。ラバトにいるときは、私の母が毎日作っていた。」
その夕食の時間にはDavidたちも来て、テーブルの各自の皿には肉料理と思われるものが乗っていた。
伴「これはチーズハンバーグ?」
David「ポポティーでしょ。南アフリカのミートローフだ。数か月前から、うちに南アフリカ出身の人が来ているから、知っている。うちの会社のレストランでも昼食メニューに出るときがある。」
Aya「ハルツームで南アフリカ出身の人なんて、珍しいのでは?今日この料理にしたのは、娘の親友が南アフリカ出身で、その人が自慢していたから食べてみたいと、頼まれた。レシピだけは自分で調べてくれたけど、買い物はこちらまかせで。ちなみに、その肉の上に乗っているのは、チーズではなくて卵、肉の中にはドライフルーツなど入れているの。」
伴「そうなのですか。ところでそのお友達の方は、今ラバトにいるのですか?」と何気なく聞いて、
Salma「いや、この前からハルツームで宇宙関係の仕事をしている。」と何気なく答えてしまい、
Aya「その人、男の人?まさか、その人がEUの関係の仕事をしているからここで働くことを選んだの?」
となりSalmaがそんなのは親が干渉する話ではない、となり、それがDavidにも飛び火して、その後は1時間以上収拾できなくなった。
そして次の日の早朝、誰も昨夜の言い争いなどなかったような顔をして、朝食をとりランチを詰め、全員が車に乗った。伴はMusa BadriやSalmaの車を見て、えっと驚いた。この前始めてみた時もかなり変わった形状で驚いたのだが、今回は全体がきれいな薄い青色でピカピカ光っていて、大きさが一回り大きくなり車体の横には建物の入り口にあった標識と同じく” M&J Agricultural Machinery Company, a designated company of EU Space Development Corporation”と書かれてあった。そして運転者はSalma。当初Salmaが先導するというのを、今回の主役は日本側だからうちが先導するものではない、とMusa Badriが言って、結局Ayaの車が先導で出発した。普通に無線で話をしながら道中過ごしたのだが、当然ながら、ミートローフや南アフリカの話題は一切出なかった。
特に砂嵐などには遭遇しなかったので、10時には予定の162Aに到達した。伴たちの車には日本でチューニングしたCASM-3が予備含めて7台、Musa Badriの車には改修した3台が積まれている。RPCの進行方向に対しポール162Aの右側に伴たちの7台のうちの5台、左側には改修した3台を並べた。改修したものの外観は基とほとんど見分けがつかないくらいだが、よく見ると本体、荷車共に5㎝だけ高い。
Musa Badriらは3台のCASM-3と荷車をセットしあと、さらに車から高さ1.5mで三脚の付いた筒状のものを3組おろしCASM-3の後方で3mくらい離れたところに各々5mくらい離してセットした。そして何やらコマンドを送ると砂を掘るような音がした。説明によると、筒の部分が砂の中を5mほど掘り進み、そして砂の中で四方八方に木の根のように突起構造を伸ばすそうだ。そのあと、3台のCASM-3とこの筒を長くてぐにゃぐにゃしたパイプで繋いだ。中を通るのは冷却材で、筒はCASM-3で生じた熱を地下の温度が低い砂で冷やすためのヒートシンクなのだそうだ。
Musa Badri「待たせたね、こちらも準備ができた。」
ヒートシンクのセットの分だけ準備時間はかかるが、それでも1台当たり10分かからないので大きな問題ではないだろうと、伴は思った。あとはこの冷却方法で、どれだけ動作速度が上がるか、ということなのだが、その結果はすぐに分かった。11時に両者同時に動作を開始した。日本から持ち込んだものは、ほぼ前回同様の速さで場所を移動する、砂に針を刺す、BVMAC粒子の付いた糸を砂に埋める、の1ルーチンで約1分かかりそれで進む距離は30㎝なので時速18mだが、Musa Badriが改修したものは1ルーチンにかかる時間が30秒を切っていて時速40mほどのようだ。当初、伴はThomasが運転してきたマイクロバスの中でCASM-3の車両内部データをにらみながらもう少しスピードを上げることはできないのかと悩んでいる崔を横目に見ながら、車の窓から8台のCASM-3の動きを見ていたのだが、あまりに速さの差が大きいのに驚いて、マイクロバスから降りてMusa Badriの車に乗り込んだ。Musa Badriも崔と同様にモニタにはCASM-3の内部データを示す画面を出してはいるが、単に問題がないことを確認だけしているという感じだった。
Musa Badri「やあ、この画面を見に来たのか?」
伴はうなずいてモニタを見ると、荷車の中で針を動かしているモーター部及びその制御部の近辺の温度は45℃と表示されていた。その数字は、先ほどまで見ていた崔のモニタでは70℃近かったはずだ。
Musa Badri「これも見るかい」
と言って出したのは砂に突き刺したヒートシンクの内部の温度分布で、Musa Badriの説明によると内部を流れている冷却材の温度は35℃、これがCASM-3全体の内部を冷やしているそうだ。そこに崔やDavidもやってきて、来るなり崔はより詳細に内部の温度を見せてもらうようMusa Badriにお願いした。CASM-3の内部のモニタはThomasに任せたようだ。崔は、どこの温度も全く高くないことに感心して、この温度ならより早く駆動してもいいのでは、とMusa Badriに聞いたところ、温度に余裕があり、さらに空調と違って内部のファンなど無いから電源にも余裕はあるのだが、駆動系の歯車など一部のパーツに強度が不足しているのと、できればモーターなどをより強力にしたいところで、その対応ができれば今より30%以上の高速化はできるだろうとのことだった。その話が終わってすぐ、
Salmaが「そろそろ、折り返し点です。ヒートシンクの場所を変更しましょうか?」と言ってきた。ヒートシンクから離れる方向にCASM-3が動かないとパイプを巻き込んでしまうので、折り返し点でヒートシンクの場所を反対側へ動かさなければいけないようだ。
伴「CASM-3が1台に対してヒートシンクを2台セットすれば楽になるでしょうか?」
Musa Badri「それは考えたのだが、今回は間に合わなかった。」
伴「それでは、次回にお願いしましょう。」
ということで、Musa Badriには次回のCASM-3実証実験予定の3月末までに残りの改修していないCASM-3 7台の改修と、各CASM-3あたり2基のヒートシンク製造を依頼する方向となった。また、崔のほうではMusa Badriから提案のあった高速化に向けての駆動部分の改良を検討することになった。
<砂漠を緑に>
改修前後どちらのCASM-3でも1日目の実証実験では荷車の針のエラーはほとんどなかった、正確に言うと日本での事前実験で予想された1試行当たり.025%とほぼ同じ0.03%で、交換が必要なモジュールは発生しなかった。そして改修したCASM-3は改修前と比べて約2倍の速さになっていたので、1日目の実証実験は、16時終了予定ところ、14時半で終わってしまった。
伴「今までの実証実験では、どのくらい予定時間を過ぎるのか心配していたのに、今日はこんなに早く終わってしまった。」
Aya「たぶん、明後日は今後の開発の件で、また終わった後に契約の手続きがあるんでしょ?」
伴が頷くと、
David「M&J Agricultural Machinery Companyが開発した冷却システムが予想通りに効果を上げていることを本社に伝えたら、明日の昼頃に数人と思うがここに見に来ることになった、という連絡が先ほど入った。」と言い出した。
Aya「ということだと、時間の余裕があるのは今だけのようね。それでは提案だけど、帰り道に寄り道して前回実証実験を行った160Aにいくのはどう?これの正式な調査は実験終了から1年後の来年4月だけど、見ることができるときに見るのもいいでしょ。」
という提案をしてきた。多かれ少なかれ全員が興味を持っていたので反対意見はなく、揃って向かうことになった。またSalmaが先導しようとするのでは、と思ったのか
Aya「私が提案したから、私が先導していきます」と言って、5台の車は20㎞戻ったところにあるタワーを目指した。
走って30分しないうちに地面からの細長いタワーが見えてきたので、
Aya「4月に調査するときの障害になっては困るので、前回粒子を埋める作業をしたエリアに立ち入らないようマーカーを立ててもらえます?」
崔「そうですね。わかりました。前回の実証実験の時と同様に4個のマーカーを立てましょう。皆さん、タワーからは50m程度離れたところに駐車して、少しお待ちください。」
そして崔が位置を確認しながら、ThomasとDengがマーカーを立てた。
ちなみにRPCだが砂の中からカーボンファイバーの棒が出ているのではなく、砂の上に3m突き出して直径3.5mの円柱形の鉄筋コンクリート製の台座の上に直径100mm高さ1000mのカーボンファイバーのタワーが突き刺さっている。
またカーボンファイバーと台座の接続部には直径500mm高さ100mmのコネクタボックスがある。そして台座は砂の中にさらに8mの円柱が隠れていて、さらにその下には1辺10mの正方形で高さ2mやはり鉄筋コンクリート製の土台が砂の中に埋まっている。台座だが、真ん中のカーボンファイバーがあるところは中空になっていて、一番下の部分ではカーボンファイバーが鉛直方向に立ち上がるように調整機具が付いていて、これを制御するのがコネクタボックスになる。この構造により、高さ1000m重さ約9.5 tonのタワーを、約250 tonの台座と約480 tonの土台が支えている。
Musa Badri「来年の4月に何を調べるのだ?少なくても今は、あそこに草が生えているようには見えない。」
Aya「砂漠に何か撒いたら数か月後には草ぼうぼうとなっていました、なんていうことがあるわけないでしょ。」
Salma「よく見て!あそこの場所だけ、他と比べてほんの少し緑っぽく見えるのだけど。あと、あのタワーはやけに汚れているように見えるわね。誰かわざと汚したように。」
伴「確かに。あそことマーカーで囲んだから、なんか違うように見えるのかもと思ったけれど、言われてみるとほんの少しだけ色が付いているような気がする。」
一方Ayaは双眼鏡でタワーを見ていて「汚れというのは、砂が付いているみたいね。」
伴「カーボンファイバーに砂?普通は砂が飛んできてもくっつくことは無いですよね。」
Aya「考えられる理由は、カーボンファイバーが濡れていたところに砂が飛んできた。これ、どのくらい上まで砂が付いているか、わかる?」
崔「ドローンで見てみましょう。」と言ってドローンをセットしてタワーのアップを各自のヘッドセットに送ってきた。その間にAyaはAfrica RPC ProjectのAli<アリー> Hassan<ハッサン> Samir<サミール>に連絡した。
Aya「こんにちは、連絡しているように今回162Aで作業していて、寄り道してこの前作業していた150Aに来たの。ここは最近そちらで何か操作した?」
Ali「こんにちは、いつもと同じで毎週金曜日の夕方から24時間すべてのタワーに電圧をかけて、モニタリングをしています。今のところ、まだはっきりとした雨雲の動きは確認されていません。その時の周波数や電圧はいろいろな数値で試しています。3か月前に実験したときは、紅海で発生した雲の一部が100㎞くらいRPCのほうにうごいたのでは、というデータも出たのですが、その後は大きな変化はモニタ出来ていません。」
Aya「気象データだけではなくて、各タワーの近くからのモニタリングもたまにはしているのでしょ?」
Ali「保守のこともあるから、すべてのタワーについては半年に1回はドローンでチェックをしています。そこの160Aだと8月中旬にチェックしているけど雨季だから主なチェック内容はタワーが傾いていないか、くらいです。」
Aya「それでは、ドローンの映像を送るから見てくださいな。まずは台座の上までお願い。」
と言いながらSalmaに足場を付けで台座の上に行くように頼んだ。砂の上に出ている台座には上から下まで30㎝くらいの間隔で2列の穴が空いている。
そこに突っ込む金具がAyaたちの車に入っているのだ。Mohamedが手伝って足場の金具を車から出してタワーの台座にある穴に差し込んでいき、Salmaは台座を登って行った。そのときにはドローンが台座の上を撮影していた。台座の上は完全な平面ではなくやや真ん中が盛り上がっている。
Aya「なんか、濡れた後に見えるけど」
Ali「砂が乗っているように見えるけど、単に風で運ばれたのが残ったか」そこにSalmaが登ってきた。
Aya「上にのる前に、どう見えるか教えて。」
Salma「タワーのほうから水が流れて来て、そこに砂が来て固まったように見えるけど。サンプルとる?」
Aya「うちではサンプルとっても調査はできないけど、どうします?」
Ali「少量でいいのでお願いします。ただ砂は手で触らないように。手の水分が付いたらいけないので。」
Salma「手袋しているし、ピンセットと密封できる袋はいくつかあるけど、それでいい?」
Ali「お願いします。日付とサンプルⅠと袋に書いてください。」
わかったと言ってSalmaは手前の砂の小さな塊状のものをピンセットでつまんで小さな袋に入れて、言われた通り日付と番号を書いた。
Salma「タワーのほうに動くね。」と言って台座の上にある手すりをつかみながらタワーのほうに向かった。ドローンはタワーの下部を映していて、
Ali「ここにも砂が付いていますね。これもサンプルお願いできますか。番号は2で。」
Salmaは50㎝くらいの高さにある砂の小さな塊を袋に入れて「結構上の方まで砂が付いているように見える。タワーを伝わって水が流れたということ?」
Ali「どのくらいの高さまで砂が付いているか、見せてくれますか?」
Aya「Yoichi、よろしく。ゆっくりと上がって、そして高度情報を付けてね。」ということで各自のヘッドセットにはタワーを拡大した画像とその時の高度が写された。
それを見ながら、Ali「10mではまだ砂が付いていますね。15mだと少ないけど、砂が見えますね。30mだとほとんど見えないようです。このままもう少し上、それでは100mまで、もう少しスピード上げても大丈夫ですのでお願いします。」
ということでドローンは少しスピードを上げて、それでも10m単位で少しゆっくりと動き100mまで行った。
Ali「ありがとうございます。30mより上には砂はついていないようですね。この現象はこのタワーだけなのか、他のタワーでもあるのかなど、あとはこちらで調査します。」
David「その調査結果は、あとで教えていただけますか?」
Ali「私ではなんとも。局所的なのか、ということもあるので結論が出るまで時間がかかるかもしれませんが、公表できる事項については早急に公表して欲しいとの意見があると伝えておきましょう」。
この件については、1か月ほど経ってAfrica RPC Projectから
「今まで504本のRPCタワーを立ててきているが、そのうち約30%のタワーの低い部分、地面から30m程度までに砂が付着していることが確認された。これは何らかの理由でタワーに水分が付着し、風などで巻き上げられた周辺の砂がそれに付着したものと思われる。何故タワーに水分が付着したのかについては、現在調査中」
との簡単なアナウンスだけがあった。当初、紅海のほうで発生した雲のほんの一部が内陸深くまで流れて来たのでは、という予想があったのだが、砂が付着したタワーは連続しているわけではなく、いくつかの大きなグループになっていて、どこで発生した水分が付いたのかをうまく説明できないということのようだった。
その少し後Aliが非公式情報として教えてくれたところによると、RPCタワーに電圧を与えることで小さな雲を引き寄せることができ、タワーの周辺に小さな雲を引き寄せた場合はタワー1本あたり毎時1リットル程度の水分がタワーに付着しそれがタワーを伝わって台座から地面へ流れてくる。以前はタワーに電圧を与えるのは24時間だったが、より長いほうが効果は大きい可能性があるとの検討結果から、紅海上に雲が出てきた時に3日間連続して電圧を与えたところ、雲の一部ではあるが数100㎞内陸部まで雲を引き寄せることができた。タワーに与える電圧パターンをうまく調整すると、当初の目標通り砂漠の奥まで雨雲を運びそこで雨を降らせることができる見込みが強くなった。このためあと10年くらいで伴たちが今いる160Aのあたりでも植物を生育できるのに十分な雨をもたらすことができそう、というのがAliの予想だった。
これでタワー自体の調査は終わり、地面の調査にため、全員マーカーで区切られた場所の周辺に来て砂面を眺めた。Ayaは手に拡大鏡を持っていて、Salmaのほうを見てなんか教えなさいという顔をしたので、SalmaがいくつかAyaの近くを指さした。Ayaがその場所にしゃがんで拡大鏡を地面に近づけて
「あ、あった。」と言ってその画像を各自のヘッドセットに送ってきた。それはほんの一部だけ緑っぽくなっている砂地だった。
Aya「スナゴケの1種でしょう。」
伴「粒子があるところと無いところで、比べるのですか?」
Aya「そうしましょう。」
両手で四角形を作って、「Mohamed、あれお願い。2個。あと筒と。」
というとMohamedが10cm四方の四角い枠2つと20㎝くらいの長さの透明な筒を持ってきた。そして一つの枠を先ほど苔を見つけた場所の近くにおいて、もう一つを台座の反対側で同じだけ台座から離れたところに置いた。そして先にカメラを取り付けた棒を持って、枠の30㎝くらい上にカメラが来るようにした。
Aya「これで、かなり正確に測定できるのよ」
と言って、もう一つの枠でも同じことを行った。Ayaは撮影データを解析するようにMohamedに頼み、次に先ほどの透明な筒をSalmaに教えてもらった苔の上に翳して筒の中央に苔が来るように調整してそのまま筒を砂の中に10cmほど差し込んだ。そこで先を閉じて筒を引き抜くと、苔の部分から10cmの砂の柱が採れた。
伴「それは、どこかで精密に調べることはできますか?」
Aya「この辺でやってくれるところの心当たりはないから、モロッコにあるうちの大学に頼もうかと思っているけど」
David「直接うちは関係ないけど、Africa RPC Projectとの関係があるから、上層部に話したらたぶんうちの施設を使えると思う。もちろん調査結果はこちらが共用できるという条件で。」
Aya「それは助かります。」
伴は崔と少し話をして、「来年4月のここの調査ですが、1 m2程度での比較ができるよう装置を用意して少なくてもYoichiは参加します。」
そこにMohamedが来て比較結果を伝えた。BVMCA粒子を埋め込んだエリアでは小さいけど苔が12か所にありその面積は0.0003%、一方反対側の領域では苔は検出できなかった。
Musa Badri「それで、どういうことが分かったのだ?」
Aya「Aliの話だとあと10年するとこの辺にも十分な雨が降るようになるから、それをYoshiたちが埋めた粒子の層が受け止めて、ここは家畜が群がる草原か作物が育つ農場になるのよ。そして300年後には大きな木がたくさん生えて来て、それが土に埋もれて、3億年後には石炭になるのよ。」David「なんと、壮大な」
Aya「Yoshi,あなたも何か言いたいことは無いの?」
伴は、約100年前に火力発電所の原料として多量の石炭を輸入したものの国の方針が変わったので石炭を燃やすことができないまま石炭の活用手段を電力会社や製鉄会社に丸投げされそれが20数年前の大事故につながったこと、その後始末を含め伴自身や伴の祖父たちは苦労してきたこと、10年前に今回の実証実験のもとになるBVMCA粒子が開発されたこと、もし石炭の活用方法の検討を電力会社や製鉄会社だけでなく最初から現在のように多様な専門家集団で行っていればもっと早くにBVMCA粒子が開発で来たのではないだろうかと言うこと、などの思いが頭の中で絡み合って、つい大声で叫んでしまった。
それを聞いたAyaは、「この人、いつも冷静だと思っていたけど、やはり悩み多い人だったのね。昔の人に罵詈雑言浴びせたり、感謝したり、忙しいこと。でも心にためたものをすべて吐き出してしまうのは、いいことよ。このプロジェクトはきっとうまくいく。」
Musa Badri「俺も最後にこんな壮大な仕事に参加できてすごくうれしいよ」
伴「100年前のあなた方、こんなひどい事柄を子孫に残していくなんて、バカヤロー! そして、未来をまだ救えるチャンスを残しておいてくれて、ありがとう。」
カラーズ
眼を開けると 何処を見渡しても 灰色の世界
耳をすませば どちらを向いても あるのは風だけ
残った水を飲もうとしたら こぼれて地面にしみ込んだ
でもよく見てごらん 小さな虫がいる 苔もある
目をつぶれば 想像できるだろう
100年経てば森になる たくさんの生き物が集まってくる
赤い希望を探して
黒い雲を吹き飛ばし
白いキャンバスの上に
淡い世界の中から
青い空を描こう




