序章 その1
No.1 序章 前篇
序章 「今までの歴史と事前説明」
ここでの話の舞台は約100年後の2125年なので、それまでの歴史について簡単に説明しておこう。
2024年においては産業革命後からの温度上昇2℃以下を目指し2050年までに社会全体でのCO2排出を0にするように努力をしたのだが、これ以降の話の舞台となる2124年とは戦争やエネルギー価格上昇に対する政策などのためにCO2排出削減がうまくいかなかった未来だ。
2050年までにCO2排出削減がうまくいかなかったことにより気温上昇が2℃以上になり、異常気象が増えて農作物の収量が大きく減少する事態が生じ、人口増と組み合わさり食糧不足が世界的に生じ、世界は不安定になった。
さらに水不足及び洪水が耕作地に打撃を与え数年に一度の割合で全世界的な食糧危機が始まり、海洋でのプラスチック汚染の影響で全世界での海洋生物の数が減少し海産物の収量も減少した。これにより陸と海の両方での食糧生産が減少し、食糧危機が拡大した。
2060年代になると、食糧危機が厳しい地域中心で国内の安定が崩れ各地で暴動が発生し中には内戦に近い状態になった。これが世界的に拡大していった。普通の戦争であれば相手側の地域や住民を支配下に置くことを目的とするのだが、元が食糧危機からきているので相手側の反撃を阻止することが主眼の長期戦で、事実20年ほど続いた。内戦状態での戦闘による死者は多くは無いのだが、全世界で内戦状態になったため援助活動自体が困難となり、各地で医療崩壊が生じ、通常であればすぐ直る病気やけがでなくなる例が多いのと出生率が大幅に低下した状態が20年に渡ったためこの期間で人口が30%ほど低下し、その後も食糧不足事態は改善されなかったのでこの100年で人口はほぼ半分に低下した。つまりは、食糧生産にあった分だけ人口減少が生じた。
2080年代後半になって暴動や内戦がやや下火になるころに国連の役割の重要性が再認識され、やっと世界規模での再建とともに温暖化やプラスチック汚染への取組が再び始まった。ただ、温暖化に対しては空白期間の影響が大きく、産業革命前との比較での気温上昇は3℃という予想が主流になった。
海面上昇だが、内戦期間に世界に対する脅迫として氷河に爆薬を仕掛けて間違って爆発させた、という事件も発生したのと、深層海流の循環が温暖化の影響で止まりさらに温暖化を加速させたこともあり、海面上昇は従来予想を大きく超え1.5mとなった。もともとの予想は0.5m以下で、その予想で準備していた対策は全く後手に回り、居住地や耕作地の減少が加速した。
再建が本格化して少したった2090年代初めに大規模な太陽光フレアが発生し日常生活の様々なところで使用されていた半導体の一部が故障し発電が止まるなどのブラックアウトが生じた。これはThe Surgeと呼ばれている。ブラックアウトの影響は、暴動や内戦の影響が比較的少なかった場所のほうが多かった。これは、内戦や暴動が多く発生していたところでは復旧にため複数のシステムの寄せ集めになっていて何か問題が発生した場合は交換しやすかったことが大きい。The Surgeの時には、軍事施設でも危機誤動作が発生し、数は少ないものの地中浅いところでの小型原子力爆弾の爆発が発生して、数10㎞の範囲で居住不可能な地域が生じている。
2100年頃にはThe Surgeからの復興も一段落したが、その20年前の2080年には小型衛星産業を推進するために宇宙エレベーターの1号機がアフリカ上空、2号機がブラジル上空に作られた。またほぼ同時期にはサハラ砂漠緑化プロジェクトの実証プロジェクトがスタートしている。ただし、これらはその効果が出てくるまでにはまだ時間がかかると思われている。
2120年からは、内戦などの復興が一段落したが、まだ続いている温暖化への対策、プラスチック汚染への対策が本格的に始まった。
今回の話の舞台は宇宙エレベーターの基地の一つがあるスーダンのハルツーム。その宇宙エレベーター基地の会議室に日本から来た一人の男が来ていてこれから重要な会議に出席するのだが、その議題の主なものは彼が日本から送った約9トンにもなる荷物だ。この中身はほとんどが薄い紙切れで空中に散布する予定なのだが、それに付着している物質は日本で開発した特殊なもので、そのもとの原料は石炭とのことである。何故このようなものと宇宙エレベーターが関係しているのかについて、簡単に説明しておこう。
<日本の石炭:黒歴史>
世界の先進国の間で地球温暖化対策の京都議定書が発行された2005年頃にはすでに日本の、特に日本政府の温暖化対策の遅れが指摘されていたのだが、これに拍車をかけたのが2011年に北日本で発生した巨大地震だ。これにより日本国内の原子力発電所がすべて停止する状況になった。長期的な視点に立てば今後の発電事業の方向性を変えるきっかけになれるはずだったのだが、日本政府は当面必要な電力需要を当時すでに旧式とされていた石炭火力発電に頼る決定を行い、その状況が長期間続くこととなった。
2020年頃には発電事業の主力が石炭というのは先進国の中では日本だけになっていて、しかも日本のロードマップでは2035年以降も石炭発電所が主力のままとされていた。さすがにそれでは他の先進国に温暖化対策での遅れを指摘されると考えたのだろうが、アンモニアを混ぜることで石炭の消費量を徐々に削減していくという日本の対策案を提示したのはこのころである。ただしアンモニアを混ぜることでどうして石炭の消費削減になるのかというのが今の時点でも意見がまとまっていない。なんたってアンモニア生産にかかる費用の方が石炭よりも非常に高いので、そもそも何故アンモニアという理由がわからないと2124年の今でも言われている。
この石炭だがほぼすべてが輸入品である。昔は日本でも炭鉱があって国内で採れた石炭を使用していたしていたらしいのだが、燃料では石炭の代わりに石油が使用されるようになり発電でも海外からの石炭に置き換わり日本国内での採掘はほぼなくなった。その海外からの石炭の輸入先はいくつかあるが最大はオーストラリア、ところが長期間にわたり温暖化対策で石炭が世界からの批判を集めていたことからオーストラリア政府は産業構造の大幅な転換を目指し2037年にはオーストラリアからの石炭の輸出を停止すると2030年に発表した。これに驚いたのは日本。本来ならば2035年にCO2排出量半減の国際公約を守るためにちょうどいい機会と石炭の使用量を大幅に減らす方向に行くべきなのだが、この公約を守れそうにないことが国内外で明らかになってきたためその時の政府は従来の現実路線に従った。すなわち公約の先送り。そのときの議論のもとになった日本で必要な石炭量だが、一応2035年の目標に向かって徐々に石炭の輸入量を減らす計画ではあったものの、2020年での石炭輸入量は年間1.7億トン(うち電力関係が約1億トン、鉄鋼関係が0.6億トン)、2030年の時点でも炭輸入量の見込み年間1.3億トン以上であり、オーストラリアが輸出を停止するという2038年から日本が石炭使用量を0にする予定の2050年までに日本で必要とされる石炭の総量は約10億トンと予想されていた。
そこで日本の政府内で検討を始め、これは結果的には机上の空論になるのだが、世界中があっと驚く、というか呆れてしまうことを発表した。それが2033年に日本とオーストラリア間で締結された「日豪包括エネルギー条約」だ。これは2037年までに日本はオーストラリアから石炭を輸入する、その量はトータルで8億6000万トン、石炭の値段は2033年時点で固定、日本からの支払いの最終期限は2042年というもの。ただし日本政府がオーストラリア政府から石炭を購入するのではなく、石炭を使用する日本の企業がオーストラリアの炭鉱から石炭を輸入するので、両国政府はこの貿易が滞りなく行われるようにサポートするというのがこの条約の実態となる。従って両政府ともに他の国からこの条約について何か言われた場合は、「石炭の貿易自体は他の貿易同様に民間企業同士のもので、政府として石炭の使用を後押ししているものではない」と説明する。また、条約の中で言われている石炭量となった検討の内容は日本政府からの説明はなかったのだが、恐らくこうだろうと言われているのは、石炭使用終了を2050年から2042年に前倒しすることとして、その場合2033年から2042年の間で必要な石炭総量が10億8千万トンでその80%をオーストラリアからの輸入で賄う、というもの。このように石炭の使用は2042年まで、実際に使用するのは発電や製鉄などの産業界で石炭の費用を出すのも産業界だから日本からの支払いの最終期限が2042年になっている。オーストラリア側の方は、2037年の輸出停止に向けて徐々に採掘量を減少させるはずが、日本からの駆け込み需要での予想外の収入があったことから、その資金をもとに産業構造を大きく変革させた、と言われている。
以上が石炭に関する日本オーストラリア間の条約の話だが、日本での石炭使用の話はこれで終わらなかった。2035年になって日本政府の国際公約のCO250%削減が達成できそうになくなって、実際にはそうならなかったが日本製品の不買運動の動きが出て日本国内の景気が悪化したことから、オーストラリアとの包括エネルギー条約を締結した内閣が総辞職し政権交代が起こった。当然ながら新しい政府は新しい政策を模索する。今回は既に他の国での開催が決まっていた2036年のCOP(Conference of the Parties:締約国会議)36の開催を日本に変更してもらい、その会議でCOP2036 日本宣言を発表した。その内容は2038年までに日本国内での石炭消費を0とし、2038年までに2050年のCO2100%削減に向けたロードマップを明らかにするというもの。この宣言に向かいどのような検討が国内でされたのかについては、当初2038年に明らかにすると日本政府が約束していたが、結局公表されることはなかった。この宣言を出す前に、一応日本政府はオーストラリア政府に対し2038年まで石炭輸入をするという日豪包括エネルギー条約の解消ができないかを打診しているが、オーストラリア政府は日本からの費用を立て替えて2036年初めまでには日本へ輸出する分の石炭の採掘を終了していて日本からの石炭代金をもとにした炭鉱の閉山処理と産業構造変革の準備中で、採掘された石炭自体は既に日本の運送業者のもとに渡っていた、という事情のため条約の解消はできないということになった。従って2036年から2038年は日本では使用する目的のない多量の石炭が日本へ運ばれることとなった。
ちなみにCOP36の開催国の話だが、もともとCOP36の開催国を審議している過程で日本開催という案が有力だったが、当時の日本政府、日豪包括エネルギー条約を締結した政府だが、日本で開催されるCOP36で2035年に向けた日本の脱炭素目標が達成できないことや日豪包括エネルギー条約にある石炭輸入の件を他の参加国から指摘されて日本が窮地に陥るのが大きなニュースになることは次の選挙対策上全く好ましくないという判断のもと、COP36の日本開催を固辞し半ば強引にオーストラリアでの開催にしてもらった、という経緯がある。オーストラリア政府としてもCOP36で日豪包括エネルギー条約が話題の中心となることは好ましい話ではなかったので、COP36の開催国を日本に変更するというのは渡りに船だった。このようにCOP36の日本開催とCOP2036 日本宣言は日本とオーストラリアの両国政府やオーストラリアの産業界にとっては非常に良いきっかけとなった。ただ日本の製鉄産業と発電産業にとっては、事前に政府から簡単な説明があったもののほぼ青天の霹靂で、石炭使用の削減計画を急遽2年前倒しにするのと2036年から2038年は使用できない石炭を輸入し続けなくてはいけない状況になった。この使用できない石炭の輸入代金だが、当初日本政府は民間会社が行う輸出入に税金を投入することはできないというスタンスだったがさすがに世論の反対にあい政府と産業界で折半することになった。使用できない石炭自体については、産業界が輸入したものなので保管などは産業界の責任、ただしその有効活用や処分方法の検討に関してはその研究開発に対して政府が補助金を出す、ということになった。いってみれば2036年以降では石炭は非常に高価な資源ごみの扱いである。このように日本の製鉄産業と発電産業は石炭使用の削減計画の前倒しと使用できない石炭の保管・再利用開発という2つの大きな課題を背負うこととなった。このうち石炭の使用削減自体は以前から進めてきたことなので、問題が全くないということはなかったものの実現へのハードルは高くなかった。しかし使用できない石炭の保管・再利用開発というのは全く新たに降りかかった課題のため、各社とも頭を抱えることになった。ちなみにこの使用できない石炭の総量は4億1千万トンである。各社はこの量を保管・管理するための用地・設備と、石炭をどのように再使用するかの検討案を作る必要があった。日本政府が「石炭の有効活用や処分方法の検討に関してはその研究開発に対して補助金を出す」ということは、各社はその補助金の交付に適するような研究開発の申請を提出しなければいけない、ということだ。実際はどうであれ、建前は産業界から「石炭の有効活用や処分方法の検討に関してはその研究開発に対して補助金を出して欲しい」という依頼を関係省庁に提出して、日本政府はその依頼を認めた、ということだからだ。
石炭を保管・管理するための用地・設備は当面各社で行うとしても、発電業界と製鉄業界の各社が別々に研究開発の申請を提出して競合しなければいけない、という必要はないという判断で各社が合意したので、2038年に電力・熱力資源活用研究所が発足した。これは職員数100名程度、すべて各社からの出向者という組織で、最優先で行ったのは各社で別々に行っていた検討をまとめて補助金申請が可能なレベルの研究開発提案書を作成すること。ところがもともと各社で研究開発していたのは石炭を液化や気化によるエネルギー効率の改善がほとんどなのだが、この内容では2038年以降には石炭を発電やエネルギーの分野での主要な原料にはしないという国の公約とは矛盾するので補助金の申請はできない。このことは事前の関係省庁の担当者との意見交換で釘を刺されている。すなわちエネルギー分野で石炭に関係するものを主な原料とする案は申請できない。そのため液化または気化した石炭をエネルギー分野で補助的に使用することでバイオマス発電の効率を上昇させるなどの案で補助金申請のための研究開発提案を基礎研究分野という形式でまとめた。バイオマス発電に液化した石炭の急速燃焼システムを組み込むことによって発電全体の効率を上昇させる試み自体は2045年頃には実用化されたが、日本国内のバイオマス発電所の数は多くはないので貯蔵された石炭を大幅に減少させるような効果はなかった。エネルギー分野での補助的な使用では石炭の消費拡大には結び付きそうにないことは研究を始める前からわかっていたことではあるので、2040年頃からはエネルギー分野以外の基礎研究も始められた。この中には、後でまた出てくるが石炭の粉塵を用いてカーボンナノチューブを作る研究など注目されるものもあったのだが、発電業界や製鉄業界が望んでいる石炭の大量消費に結びつくものはなく、基礎研究レベルの研究開発が長期にわたって続いた。このため電力・熱力資源活用研究所は関係する産業界のお荷物以外の何物でもなくなってきて、石炭の保管もおざなりになされるようになった。そのような状況の中で大事故が起こった。2090年9月、研究所の宮城県にある実験施設で、石炭の保管倉庫から輸送車に石炭を移しているときに発生した石炭の粉塵が建物の冷房設備から出た火花により爆発したというものだ。実験設備が半壊し研究所の職員5名が死亡し、職員と消防あわせて20名が重軽傷を負った。国が主導して進めた石炭輸入の後始末を長期間にわたって産業界に押し付けていた、というのが国会でも問題となったため、2095年に独立行政法人 革新的資源活用機構が設立され、電力・熱力資源活用研究所が行っていたすべての業務を引き継ぐことになった。この新たに設立された組織の人員は約150名で、これは従来の電力・熱力資源活用研究所からの異動、ただし半分近くはもともとの出向元の会社に戻ったので異動は50名ほど、あとは発電や製鉄とは全く違う分野からの参加となる。組織が発足して最初に行ったのが広い分野からの研究開発提案で、そこでメインの分野に選択されたのは農業分野で、石炭を用いた土壌作成だ。
この説明をする前に、まず土壌の説明をしておこう。「土壌」とは作物を育てる土を示す言葉だが、大昔の地球の表面のような火山灰や固まった火山岩はそのままでは作物は育たないので土壌ではない。これは砂漠も同じことだ。砂や岩のかけらが土壌になるためには、内部に多くの微生物や有機物がいる必要がある。このために重要な働きをするのが地衣類だ。地衣類というのは動植物の一種というものではなく、菌類と藻類、またはシアノバクテリア(ラン藻)の共生体である。菌類とはカビやキノコのように菌糸を持つものでこれが住処を提供し、藻類やシアノバクテリアは光合成をすることで栄養を提供する。そのため砂や岩のかけらに地衣類が住み着けば有機物が増え他の微生物も寄ってくるので、土壌になることができる。ただし単純に地衣類を多量に砂や岩のかけらに振りかけるだけだと他の微生物に食べられてしまって地衣類は増えないので、このままでは土壌になることはできない。地衣類を増やすためには、地衣類が他の微生物から隠れることができる住処が必要なのだ。
そこで注目されたのがCNT(Carbon Nanotube:カーボンナノチューブ)、これは炭素原子だけで作られたチューブ状のナノ素子で、1991年に日本の研究者が発見したこともあり現在の時点で日本での研究が他よりも盛んな数少ない分野だ。大きさが数μm程度のCNTを作れば中の空洞に地衣類が他の微生物から隠れて住み着くことができるだろうということなのだ。そしてCNTのもとになる炭素原子を作るための原料として石炭が使えるだろうというのが、革新的資源活用機構の内部での検討で出てきた案だ。このもとになっているのは、2070年に電力・熱力資源活用研究所で行われた明智 彰教授(当時は名古屋大学工学部教授)が行った石炭粉塵からのCNT製造基礎実験と言われている。ただ当時は研究の目的がエネルギー関係だったので、応用先が不明ということで中断になってしまっていた。これに対して革新的資源活用機構の検討では、世界中には多くの砂漠があり、その緑化は全世界の希望の種なので、この研究開発が成功すれば非常に多くの需要が見込めるだろうということで正式な研究開発テーマとして選定された。石炭粉塵から地衣類の住処に適したCNTを製造することに関しては、2105年頃にCNMI法(Carbon Nanotube Modified IIJIMA Method)として完成した。この名称は1991年にCNTを発見した飯島澄男にちなんだだけで、そもそも飯島法などという製造方法は存在しない。内容は、石炭の粉末に高周波放電をかけて中に穴のある数μmの球場の形状を作る方法というだけで詳細は革新的資源活用機構からは開示されていない。なお石炭からCNTへの変換効率は90%とされている。すなわち1トンの石炭から900 kgのCNTができるということだ。CNMI法で製造したCNTの穴に地衣類を効率的に入れる方法の開発については、生き物相手の研究開発で多くの試行錯誤が必要だったためその後5年以上かかった。できたのは、石炭粉末から製造した円柱形で穴付きのCNTが熱いうちにアミノ酸入りの水蒸気に通し、そのあと地衣類の胞子を含んだ水溶液のスプレーをかけ温度を上昇させてから乾燥させることにより、CNTの中に水分、栄養となるアミノ酸、地衣類を取り込ませる。この方法はBVM法(Bio Vapor Mixing Method)と言われており、2114年にできた。この作業工程の各ステップにおける温度、濃度、時間などが重要なパラメータと言われているが、詳細な値は革新的資源活用機構からは開示されていない。もとになった技術は、2112年の木村アブドル(RRUO研究員)、田中 大地(北大農学部教授)、李 康子(東北大理学部教授)の共同研究と言われている。なお用いられている地衣類は乾燥に強いCrustose Lichens(クラストウス ライケン:痂状地⾐類)と言われる種類である。BVM法により地衣類の胞子と水分、栄養分が蓄えられたCNTは、BVMCA (Bio Vapor Mixed Coal Ash)と呼ばれている。なお名称の中にある”coal ash”はCNTの原料に使用した石炭の粉塵だが、革新的資源活用機構がこの名称で初めて学会で発表したときは「CNT自体は施金以外からも製造できるのだから、名称に”coal ash”の代わりにCNTでいいのではないか」というコメントがあったという話だが、他にCNTの中に水分・アミノ酸・地衣類を組み込んだものを製造するところはなかったので、この名称がそのまま定着している。
次に必要となるのは、砂や岩のかけらだけが広がる土地にどのようにBVMCAを効率よく散布する技術開発である。革新的資源活用機構では空中から散布する方法と直接地面に敷き詰める方法の2種類を開発した。まず空中から散布する方法だが、高い高度から非常に広い範囲へ散布することが目標とされた。広い範囲を求めるならば偏西風などを利用するのが選択肢に入るべきだろうということで、偏西風などのある高度1万m以上からの散布の検討がされた。この高高度で使えそうな技術と言うとHAPS(High Altitude Platform Station)となる。HAPSとは高度2万mのあたりを無人飛行して、災害地などにインターネットなどの通信サービスを提供する飛行体である。HAPSを使って高度2万kmから単純にBVMCAをそのまま散布すると、いくら上空に強い風があるとはいえ散布される地面の広さは限られる。これを広げるには滞空時間を増やすことというわけで、各BVMCA粒子に小さな突起構造をつけそれを小さくて薄い紙に並べて取り付ける方法が考案された。こうして作られたものはFlying BVMCAと呼ばれているが、これは単なる愛称であり、紙につけられたBVMCAでの正式名称はない。現在作られているのは、BVMCA粒子の形状と大きさは直径3μm高さ5μmの円柱状、1個の重さは約0.00000004 ミリグラム、これを30mm×30mmの薄い紙の縦横とも10μmおきに取り付けられる。このように隙間があるのは、地面にたどり着いて水分があった場合は各BVMCA粒子から菌類の菌糸が伸びてきて他のBVMCAや砂などの粒子に絡みついてネットワークを作るからだ。隙間がなければ近隣のBVMCA粒子どうしがくっつくだけで砂などにつかなくなる。30mm×30mmの大きさの紙に付いているBVMCA粒子の数は900万個、BVMCA粒子の総重量は約0.0004 グラム。ちなみに30mm×30mmの紙の重さは約0.01 グラムなので紙の方が重い。測定条件によって結果は違うのだが、高所から単純にBVMCA粒子を散布したときとこの条件で紙につけた場合を比較すると、紙につけた場合の滞空時間が約30倍になると言われている。ところでこの紙で例えば砂漠全体を覆ったら砂漠が土壌になるか、と言うとさすがに厚さ5μmの層で植物が育つのに必要な水分や有機物を貯蔵することはできない。実験では100層くらい重ねた状態で1年あれば土壌ができる可能性が大きい、という結果が出ている。1 km×1 kmの範囲にこの30mm×30mmの紙を100枚積み重ねて敷き詰めたとした場合のBVMCA粒子の総量は約42トン必要となる。ところで、余っている石炭の総量は約4億1千万トンなので、これをすべてCNT製造に使ってBVMCA粒子にしてこの密度で地面を埋めると約880万km2となる。日本国内ではこれ全部を必要とするような砂漠などはないが、世界全体で見ると例えばサハラ砂漠の面積は約1000万km2だ。そこでBVMCA粒子が砂漠緑化に有効の可能性があると明らかになった時点で、革新的資源活用機構の中ではBVMCA粒子を用いての砂漠緑化プロジェクトを「サハラ緑化プロジェクト」と呼ぶようになり、実際にサハラ砂漠での実証実験を目指して担当省庁と政府に研究・開発プロジェクトの提案を行った。これに対応して2118年に開始されたのが、GI(Greening Initiative)-BVMCA Project(カーボンナノ活用での緑化プロジェクト)だがこの説明には他の事前説明も必要なので後で説明する。
BVMCAを効率よく散布する技術開発としてのもう一つが、直接地面に敷き詰めるものだが単純にBVMCA粒子をそのまま地面に散布すると飛ばされたり埋もれたりしてしまうので、BVMCA粒子を埋め込んだ細い糸や薄い布を使う方法が検討された。糸や布を地面に置くだけでは飛ばされてしまうので、糸や布を地面に埋め込むための専用の機械が開発された。当初はうまくいかなかったが2121年の試作3号機となるCASM-3 (Coal Ash Spreading Machine 3)で実用の可能性が出てきた。
この装置は、一見すると後ろに荷車(幅3m×長さ0.3m)の付いた小型の草刈り機の形状で、荷車の底には5㎜間隔で細かな針が並んでいる。針の先は“+”の形状のくぼみが付いていて細い糸を捕まえることができる。実際の作業では、まず針をしまい込んだ状態でBVMCA粒子を埋め込んだ多数の細い糸を5㎜間隔で荷車の底面幅3m×長さ0.3mにセットし、すべての針を10cm伸ばすと糸と針が砂の中に10cm入って行く。そこで、針から糸を引き離して針だけ引き上げることによりBVMCA粒子を埋め込んだ糸だけが地中10cmのところに残される。このとき、針が地面にスムースに突き刺せるように、地面に突き刺すときにはすべての針から超音波を放出することで地面の砂などを振動させている。針に糸を取り付けて地面に埋め込むまでの時間は約1分かかるため、CASM-3 の1台が1日で対応可能な面積は15m×30m程度である。そのため1日に10,000 m2程度の土地を処理しようとすると、CASM-3が30台、各CASM-3にはBVMCA粒子を埋め込んで長さ111mの糸のロールを600個用意する必要がある。
それではGI-BVMCA Projectの説明をする前に別な2つの技術開発の説明をする。




