⒈猫嫌いとネコとの出会い
俺は天界に来てもう七十年になる。既に地上で過ごした時間よりも倍近い時間ここに居る。
地上にいる時、俺は猫という生き物が苦手だった。母親が猫が好きで飼っていたのだが俺には全く懐かなかった。そもそも猫は人に懐かないものじゃないかと思う。
好きな時に好きな物だけ食べて、おねだりする時だけにゃーと可愛い声を出して擦り寄ってくる。そして欲しいものを貰うとスーッとどこかに去っていく。
自由気ままで全く動きの読め無いこの動物は俺はいつまで経っても慣れなかった。
天界には動物は居ない、少なくとも今ままで見た事はない。もちろん猫もいない。
いつも通り目が覚めて支度をしていると風電話が光った。
博士からだった。また新しい被害者がここに来たらしい。可哀想に。時々そう言う気の毒な奴らがやってくる。俺はそいつらを引き取って生活できる様に面倒見る仕事を建築の仕事の傍ら請け負っている。
そうして助ける事で徳を積んでさっさと死ぬ事が目下の目標だ。天界では善人は早く死ぬ。そして死ぬ事がこの世界では幸せな事だと思われている。
早々に家を出て博士のいる南へ風通路を使って向かうと中に黒い瞳の女性がいる。あ、もしかして今回は本物か?
樹 さき?
「三井です。ミーではないです。」
「はあ。確かに水の方の様ですね。」
一見黒く見えるがよく見ると深い紺碧の瞳をしている。やっぱり樹を人為的に呼び出すのは出来ないのだ。
博士の家を出来る限り短い時間で出る。あの家はきな臭くて好きではない。
これから咲と名乗る女性が住む家に案内するため風通路に乗ろうと石の階段を登って行くと突然後ろで叫ぶ声がする。
「あ、危ない!!!」
何があったのかと思ったら咲が風通路に乗ろうとしている人たちに手を伸ばそうとしている。
目立つ行動は辞めてくれ。天界の生まれではないのが丸わかりでヒヤヒヤする。
「恥ずかしいな、叫ぶなよ。これは風通路と言って風の力で移動する乗り物なんだよ。」
小声で説明はしたが聞いていなかったのか、乗る順番が来たのになかなか乗らない。どうしたのかと思ったら顔が引き攣っている。
「…怖いか。まあ、そうだよな。じゃあ一緒に乗ってやるよ。エスカレーターみたいなものだから一度乗ればタイミングが分かるようになるさ。」
咲の背中に手を回して軽く推した。
エスカレーターなんて随分と懐かしい響きをよく覚えていたな、と自分の記憶力に驚く。
「わぁぁぁ、怖い!落ちる!」
俺にしがみつく様にして何とか乗り込む。
五月蝿いなあ、さっきの発言と言い、叫ぶと住民じゃないのがバレるだろう。
前に地上から来た二人は周りを慎重に見て最初から風通路に自分で乗れたのに、随分と鈍臭いのが来た。これは降りる時も面倒なことになりそうだ。
「どれくらい乗るのですか。」
「そうだな、ここからだと色半分くらいかな。」
「色半分?とはどれくらいでしょうか。」
「今、赤だから橙になるまでの半分の時間かな。」
「橙とか、赤とか、何なんですか。」
「時間読めないのか。朝、空が色づく頃が赤で橙・黃・緑・青・藍・紫となる。真っ暗な時間は特に呼び名はない。」
「カラフルな時計なんですね。」
「時計草は確かにカラフルだな。」
そんな事すっかり忘れていた。地上の時計は数字が並んでいただけだった。狂ったり止まったり不便だったのを思い出す。時計草は狂うことのない優れた時計だ。
エスカレーターと言い、時計と言い、今日は何だか地上の事をよく思い出す。
「家、高いですよね。そんなの用意してもらうなんて。私博士になんとお礼をしましょう、ここで私が出来る仕事なんて何があるのか分からないから家賃も払えないし。そう考えるとこれからの生活費どうしよう…。」
鈍臭いのに現実を受け入れて先を考える余力はある様だ。変なやつだ。こんなに早くから生活の心配をする奴は珍しい。しかも博士へのお礼なんて考えるなんてバカもいい所だ。あの人に自分の人生を狂わされたと言うのに。とは言え、言ってもどうにもならないので今は伝えずにおこう。今は不安要素は少ない方が良い。
「そろそろ終点だ、降りる時も気をつけないとまた足を取られるぞ。」
多分一人で降りられないだろう。咲の背中に手を回して立ち上がらせる。
「行くぞ、せいの!」
何とか降りることが出来たが危なっかしいのでしばらく一人で遠出は出来そうにないな。まあ監視するには丁度良い。
ざっくりとスクエアの説明をしたら再び風通路に乗って俺たちの家のある西に向かう。二度目に乗る時もやっぱり危なくて、降りる時にようやく何とか一人で降りられた。皆んな当たり前に出来る事がようやく出来ただけなのにドヤ顔をするので思わず笑ってしまった。
「ここが今日から君の家だよ。」
俺の家の隣の南側の家を当てがう。北側にも空き家があるが、昔シンさんが住んでいたこの家を案内する気にはなれない。そうだ今度の休みはシンさんの家を掃除しておこう。定期的に手を入れないと家は傷む。
「この部屋は靴を履いたまま、左の部屋に入る時は靴を脱いで使って。」
部屋の使い方を教えると、聞いていなかったのか、興味がないのか、全然関係ない質問をされる。
「家具はほとんど石なんですね。」
「樹は切れないからな。たまに老木が折れて木材として出回るけどかなり貴重だから手に入れるのはかなり難しいんじゃないかな。まあ、オレは石の方が腐らないから家具に向いてるとは思うよ。土に頼めば大概希望通りの形になるしさ。」
「木が切れないってどう言う事ですか。ノコギリとかで切れるでしょう?」
拘るなあ、家具なんて今どうでも良くないか。全然知らない世界に来たんだぞ。今気にするべきは家具じゃなくて自分の置かれた状態だろう。
肝っ玉が座っているのか、ただの考えなしなのか。
「そんな事をしたらここでは生きて行けないぜ。樹々に嫌われて仕事も難しくなるし、何かと妨害されるし。」
俺の様に…禍々しい昔の出来事が一瞬頭をよぎる。
「木ってそんなに強いと言うか、偉いんですか。」
「偉いっていうか、天界の主みたいなもんだから天界そのものを敵に回すことになる。」
「天界って何なんですか。この土地、この場所の事かと思ってましたけど、何か違う気がしてきました。」
家具の話から何だか急に確信に迫る話になって動揺する。コイツは何かを知ってて俺は鎌をかけられているのか?やはり本物の樹なのか?
まだよく素性が分からない以上、適切な情報共有に留めなくてはいけない。俺の知る天界の真理を伝えない様、細心の注意を払って答える。
「間違ってないよ、この場所の事だけど天界には意思みたいなものがあってオレらはその手の中なのさ。その意思を大いなるチカラって呼んでる奴らもいる。」
そろそろ納得して欲しい。まるで質問が止まらない子供の様だ。何で何でと聞かれる側の事も考えて欲しいものだ。
「ここには神様がいるんですね、そして木々はその使徒なのかも知れませんね。」
「まあ、そんな感じかな。で、その樹々と話せるのが樹な訳よ。だからここの長なのさ。それより,家の使い方教えるな。時間ないからパパッと伝えるから質問あれば後で聞いてくれ。青の時間くらいに帰宅するからその頃にうちに来てくれたら教えるよ。」
この場を去りたいと言う雰囲気を醸し出してみるが全く伝わらない。やはりただの考えなしか。
「あの、アンセさんの家って何処なんですか。」
空気が読めないのか、敢えて無視しているのか。俺の意向は全く伝わらないし、返ってくる質問が俺の発言とことごとく関係ない。でも天界に来て初日の人間にキレるわけにもいかない。色々と後が面倒になる。
「あれ?言わなかったっけ?隣だよ。通ってきただろ。あと、アンセさん、じゃなくてアンセでいいから。」
「分かりました。今何かを作ったり、洗ったりする材料も予定もないので帰宅したら教えてください。お仕事に支障が出たら申し訳ないし。」
何で急に何かを作る話になるんだ?全く脈絡がない。
ともあれ話は急展開を迎え俺は解放される。なんだかんだでこのまま話続けられたらどうしようかと思ったので助かった。
今まで地上から二人ほど迎えたことがあったが、初日はどちらも家に着く頃からパニックになって放って置けず一日べったりだった。だから今日もそのつもりで仕事は休みにしてある。
どう時間を潰そう。急に出来た休みに戸惑うがそんなことはお首にも出さない。
「おお、助かる!じゃあ、まぁ、この辺散歩でもしてたら。お腹空いたらオレんちの冷蔵庫からなんか食べてて良いから。まだ金もないしご飯食えないだろ。仕事見つかるまで養ってやるよ。出世払いでいいからよ。」
「ありがとうございます、そうさせてもらいますね。」
やっと子守から解放される。今日は久しぶりにぶらぶらするか。それくらいの褒美があってもいいと思う。昼飯は冷蔵庫に入れてあるから勝手に食べるだろう。
のんびりとスクエアに向かう。青の時間に帰ると言ってあるから時間はたっぷりある。そう言えばのんびりしようと思えたのはいつぶりだろう。ずっと仕事を詰め込んで暇な時間を作らない様にしてきた事に今更気がついた。
やることがなくてスクエアで店を見て回る。休日も仕事人間だった俺は急に時間が出来ても何をしたらいいのか分からない。
スクエアを何周もぐるぐるしていると咲に似てる人がバッグを見ているのが視界に入る。思わず身を隠す。
まさか、な。あの状態で風通路に乗って来たのか。
注意深く近くによってみるとやっぱり咲だった。
すごい順応力と言うか行動力と言うか。さっきまで風通路に乗れなかったのに出掛けてきて無一文で買い物しようとしている。
咲がどうするのか気になって様子を伺う。店のおじさんはすっかり咲にバッグを売るつもりの様だ。咲はそれを知ってか知らずかおじさんの話に夢中だ。
しばらく見ていると優柔不断なのか、おじさんの商売根性との我慢比べをしているのか、いつまで経っても買う物が決まらない。見ているこっちが疲れてくる。まさかタダで貰おうとしているのか?この世界にもお金は存在するから無一文では買い物は出来ない。店のおじさんも痺れを切らし始めている。
…いやいや、俺には関係ない。
最後は咲でも店のおじさんでもなく俺が我慢できなくなって仕方なく咲に話しかけるとビクンっと飛び上がって驚いたのが小動物の様で思わず笑ってしまう。笑うのは今日二回目だ…
「びっくりさせないで下さいよ。ここで何しているんですか。」
何しているかと聞かれると何もしていなかった。唯一やったとすれば咲の観察くらいだ。
「…折角買ってやろうってのに失礼なやつだな。昼飯を買いに来たんだよ。そしたらお前がずっとそのバッグを見ているから声をかけてやったのに。買ってやんないぞ。」
買う気は無かったのについ余計な事を口走る。俺らしくない。でも咲が店主に面倒をかけてしまうのは申し訳ない。咲を呼び出したのは俺ではないが、世話係としては尻拭いしなくてはならないだろう。
「失礼しました、買っていただけたら嬉しいです。こっちの大きい袋も買い物する時に便利かなと思うのですがどう思います?」
調子に乗るな、俺は一つしか買わない。店主に迷惑がかけないために声をかけたのだ。
咲が可愛い子ぶったおねだりをしてくるがそんなおねだりは全然俺には効かない。天界に来ると皆んな美男美女に生まれ変わるから美人なんて見慣れている。
「はあ、お前なあ。」
心の声とは裏腹に口から出たのは自分自身の諦めのため息だった。
値段をチラッと確認するとそんなに高くはない。
「今回は特別だ。」
何故か俺は2つのバッグを買っていた。
「え、いいの?嬉しい!」
咲が満面の笑みで喜んでいるとお店の人が、仲のいい恋人に私からもプレゼントだよ、と言って俺をチラリとみて小さなお財布をおまけしてくれた。先の見えない買い物が、急に二倍の売り上げと言う着地になったお礼に違いなかった。
大体、俺は咲の恋人で何でもない。ここに慣れるまでのただの世話係だ。リップサービスのつもりだろうが余計なお世話だ。
「ありがとうございます!」
咲は店主の言葉には全く反応せずに店の人にお礼を言う。いや待て、最初にお礼するなら俺にだろう。
「おいおい、オレにはお礼まだだけど。」
「あれ?そうだっけ。ありがとうございます。」
何なんだ、失礼じゃないか?俺が居なかったらバッグは買えなかったのに。
何なんだ…面倒見ているのに報われないこの感覚…
この感覚には覚えがある…俺の苦手な何か…そうか…咲はネコに似ているんだ。
自分の興味あるものに全力で、それを叶えてくれる人に懐くが用が済めばポイ。折角ネコのいない世界に来たのにネコみたいなやつの面倒を見ることになってしまった。これから暫く振り回されるのかと思うとゲンナリする。
「調子いいんだから。ほら、無くすなよ。」
書きたかったアンセからの目線。本編終わらないのに書き出してしまいました。




