『深夜3時のフォロワー』
俺が《@_nobody_》の名前を初めて聞いたのは、大学の食堂だった。
「なあ、お前、変なアカウントからフォローされたことってない?」
唐突にそう言ったのは、同じゼミの川原だった。
アイスコーヒーを片手に、いかにも冗談めかした顔だったが、どこか妙に真剣味を帯びていた。
「……スパムとか?」
「違う違う。スパムじゃなくて……都市伝説的なやつ。夜中の3時にだけ現れるフォロワーの話、知らねぇ?」
「なにそれ。深夜のテンションで作られたネタ垢だろ」
「いや、わりとガチでさ――」
そう言いながら、彼はスマホを取り出して1枚のスクリーンショットを見せてきた。
モノクロのユーザーアイコン、投稿ゼロ、フォロー・フォロワーもゼロ。ユーザー名は《@_nobody_》。
俺は思わず顔をしかめた。
「……なんか、目だけのアイコンって気持ち悪くないか?」
「だろ? でもヤバいのは見た目じゃない。フォローされたの、午前3時ちょうどだったんだ」
「……たまたまじゃね?」
「しかもな、これにフォローされたあと、変な夢見るって話がネットに載ってる。で、その夢を見たやつらが、数日以内に――消える」
俺は笑いかけて、途中で言葉を止めた。
川原の目が、冗談のそれではなかったからだ。
「消えるって……事故とか?」
「事故もあるし、失踪したって話もある。生存確認されてないやつも、何人かいるって。そいつら、共通して"こいつをブロックしてた"らしいんだ」
「……ブロックしなければ大丈夫ってこと?」
「たぶんな。でも、そもそもフォローされないのが一番だな。俺もスクショ撮っただけで通知は来てないし」
その時の俺は、まだ信じていなかった。
都市伝説は都市伝説。
どれもSNSにありがちな、作り話のひとつだと。
だが、その三日後。
俺は、"そいつ"からフォローされた。
***
深夜、午前3時ちょうど。
レポートを書き終え、ため息まじりにスマホを見たとき、通知が届いた。
「@_nobody_さんがあなたをフォローしました」
心臓が跳ねた。
脳裏に川原の話がよぎる。
冗談だと思ってた。だが、画面の中のそのアイコンは、確かにあのとき見せられたものと同じだった。
モノクロの目。投稿なし。フォロー0、フォロワー0。
これは……偶然か?
いや、狙われてる?
「……ふざけんな」
俺は笑い飛ばして、そのアカウントをブロックした。
怖くなんてない。
くだらない都市伝説に、振り回されるほど俺はガキじゃない。
でも――
その夜、夢を見た。
***
夢の中で、俺は知らない部屋にいた。
薄暗い蛍光灯。無音。壁も天井も灰色のノイズで覆われている。
視界の隅には、ずっと「3:00」の数字が点滅していた。
目の前のスマホが震える。
画面には、あのアカウント――《@_nobody_》からの通知が浮かんでいた。
アイコンの目が、画面越しにまばたきした気がした。
《みつけた》
誰かの声が聞こえた。
男とも女ともつかない、低く、こもった声。
まるで、耳の奥で直接ささやかれているような。
次の瞬間、ノイズが爆発するように視界を覆った。
そのまま、目が覚めた。
***
部屋は異常なほど静かだった。
スマホのバッテリーは完全に0%。
さっきまで100%近くあったはずなのに。
夢の記憶は鮮明だった。あれはただの悪夢か?
それとも――都市伝説の"始まり"?
翌朝、川原に会うと、彼は驚いた顔で言った。
「マジかよ……ホントに来たのか」
「見たんだ。あの夢も。……てか、お前の言ってた通りだったよ」
「……で、ブロック、したのか?」
「した」
川原は無言になった。
俺の目を見たまま、数秒だけ動かず、そして小さく息を吐いた。
「そっか。だったら、気をつけろ」
その言葉には、確かな重みがあった。
***
その夜、川原のアカウントが消えた。
正確には――削除されたように見えた。
名前を検索しても出てこず、共通のフォロワーにも表示されない。
俺が知っている限り、彼の行方を知っている人間はいない。
大学にも来ていない。LINEも既読がつかない。
警察に話すべきかとも思ったが、「SNSで呪われたかもしれない」などと口にした瞬間、信用を失うのは目に見えていた。
ただ、俺のフォロワーに、ひとつだけ見慣れない鍵アカウントが表示されていることに気づいた。
アイコンなし、投稿なし、意味不明な英数字のユーザー名。
開いてみると――
そのアカウントを、@_nobody_がフォローしていた。
俺の背中を、氷のような何かが這い回った。
名前はこうだった。
《backup_nobody_01》
その日から、俺は寝ないようにしている。
だが、人間の限界は近い。
まぶたが重くなり、意識が薄れていくたび、ノイズの音が聞こえる。
「次は、きみの番」
その声が、夢か現実かの境界を、少しずつ侵食してくる。
もうすぐ、午前3時だ。