頑張りは無料じゃない
午後7時。
コピー機の前に、ひとり残る女性社員の姿があった。
吉村 綾乃(よしむら・あやの/28歳)。
入社6年目の中堅社員。
真面目で、笑顔を絶やさず、誰よりも「気が利く」と評判だった。
だがその実態は、**“タダ働きの便利屋”**にされていた。
「綾乃ちゃん、今日も残ってくれてるの?ほんと偉いよね〜」
「○○課の分の資料、お願いできる?綾乃ちゃんなら気持ちよくやってくれそう」
「君みたいな存在が、会社を支えてるんだよ!」
言葉の端々には“感謝”があった。
だが、それは “業務”ではなく“好意”として扱われた努力に対するものだった。
残業申請は却下。
名もない作業は評価に反映されず、昇進は後輩に先を越された。
吉村が一度、直属の上司・**川合貴之(かわい・たかゆき/44歳)**に異を唱えたときのこと。
「いやいや、君は昇進より“縁の下”が似合うよ」
「誰かがやらなきゃいけない仕事をやってくれる人って、超重要だからさ!」
「だから、頼れる存在ってことで評価してるんだよ? 実質、昇進と同じくらい価値あるって」
――報われない“美辞麗句”。
それが彼女の働きぶりに貼られた、実質的な足かせだった。
その晩、善光寺の元に通報が届く。
「“誰かがやらなきゃいけない仕事”を、私がすべて引き受けています。
でも、それは“評価”ではなく、“都合のいい人”として扱われてるだけ。
昇進もなく、賃金にも反映されず、ただ“よく気がつく”だけの人間として終わるのが悔しい。
“がんばり”は、無料じゃないはずです。どうか、報いてください」
善光寺は呟いた。
「“優しさ”と“都合の良さ”は違う。
美談で搾取してる奴らに、“評価の正義”を教えてやるか」
⸻
翌日。善光寺は《東都リファイン株式会社》に乗り込んだ。
朝礼のあと、オフィスの中央で彼は名乗る。
「ハラスメント対策特殊部隊・善光寺善です。
今日は、“がんばってるのに昇進しない社員”に関する通報を受けて来ました」
上司の川合が顔をしかめて言った。
「いやいや、まさか吉村さんのことですか?
あの子は“サポート役”としてすごく貴重な存在ですよ。
昇進は適性の問題であって、本人もそれを望んでるわけじゃ――」
「本人が希望を伝えてるログがあるぞ」
善光寺は提出された過去の面談記録を読み上げた。
「次こそ昇進対象に入りたいです。
“裏方としての信頼”もあると思います」
そして川合の返答も。
「今はそのまま“縁の下”にいてもらえると助かる」
善光寺は一歩、川合に詰め寄る。
「“いてくれると助かる”ってのは、
“昇進させたくないから便利に使いたい”って意味だよな」
「そんな意図は――」
「じゃあ聞く。“気が利く”“空気が読める”“頼りになる”という理由で、
本来複数人でやる雑務を全部一人に押しつけて、
残業申請もさせず、評価対象にしなかったのは、なぜだ?」
「それは……」
「言っとくが、“感謝してるからハラスメントじゃない”なんて通じないぞ。
賃金の対価なく業務を依頼することは、
明確に**労基法第24条違反(賃金の不払)**に該当する」
「さらに、“昇進させないが業務は重い”構造は、
**間接的な昇進差別(間接差別:男女雇用機会均等法第7条)**に当たる可能性がある」
川合の顔色が変わった。
「“頑張る人に頼む”のは便利だが、
“報いずに頼み続ける”のは、ただの搾取だ。
組織的美談を貼って、責任と報酬はスルーする。
そんなもん、パワハラの進化形だよ」
⸻
調査により、吉村の労働実態が明るみに出る。
•営業資料作成、庶務、社内研修補助など複数部署の非正規業務を無償で担当
•川合の指示で、残業申請は事前許可制にされていた
•昇進推薦は上司による“主観評価”のみで排除可能
また、同じように裏方業務を担っていた他社員2名も、昇進候補から外されていたことが判明。
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《東都リファイン》は以下の改善策を即日発表。
•残業の全実績に基づいた賃金支払いの是正
•「縁の下評価制度」の廃止と業務貢献の定量評価への移行
•管理職による昇進判断の透明化と多角的評価体制の導入
•川合貴之を人事部付へ異動処分
さらに、吉村には次期課長候補としてプロジェクトの統括を任命。
これまで“裏で支えた”成果が、ついに表舞台で花開く。
送別会ではなく、“昇進祝い”の席。
そこで、吉村のもとに善光寺からのカードが届いた。
「“ありがとう”は、“評価”とセットでなければ、ただの自己満だ。
がんばりに値札をつけろ。
それが、次の世代の“がんばり”を守る盾になる」
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その夜、善光寺はカフェの片隅でパソコンを閉じ、立ち上がった。
「“やってくれる人”を便利屋にする社会は、そろそろ終わらせる。
報われない努力ほど、人の心を壊すものはないからな」
夜の街には、働きすぎたネオンが瞬いていた。