ジェンダーハラスメントは“無意識”の顔をしてやってくる
午後3時、都内の大手広告代理店。
ガラス張りの会議室では、淡々とした口調で会議が進められていた――ように見えた。
「……感情的になられても困るよ。こっちは数字の話をしてるんだからさ」
「いえ、私の意見は理論に基づいています。ただ──」
「いやいや、“女の子”がそんなムキにならなくてもさ。もっと柔らかく言えば?」
その瞬間、女性社員・鷺沢 陽(29)の表情が凍りついた。
誰もがその言葉に違和感を覚えながら、しかし誰も口を開かなかった。
会議が終わった直後、彼女はそっとスマートフォンを取り出し、ある番号にかける。
「……善光寺さん。……また、あの言葉、です」
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翌日午後。
広告代理店のフロアに、重く響く足音があった。
黒いロングコート。背には白く浮かぶ二文字――“対ハラ”。
善光寺 善。
ハラスメント対策特殊部隊・本部長。今日も「時代遅れ」を正すため、現場に降臨する。
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「お忙しいところ失礼します。10分だけ、お時間をいただきます」
「……どちら様で?」
「ハラスメント対策特殊部隊・本部長の善光寺と申します。御社における“無意識の悪意”について、通報を受けております」
「通報……? いえ、うちは健全な職場ですよ」
「その“自信”が、いちばん危ないんですよ。ジェンダーハラスメントは、悪意がない分、深く静かに腐っていく」
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会議室に呼ばれたのは、課長・部長クラスの男性陣。そして通報者である鷺沢。
善光寺は静かに録音データを再生した。
「女性は裏方の方が向いてるよな」
「男だったらリーダーシップがあるのに」
「ま、彼女は頑張ってる方じゃない?」
「……これは、“悪意があったわけじゃなくて”ですね」
「その“悪意がない”ってのが、一番タチ悪い」
善光寺の声が、鋭く切り込む。
「“女のくせに感情的”、“男のくせに泣くな”――お前ら、そういう言葉を、“冗談”や“昔からのノリ”で済ませてきた。でもな、それは全部、偏見を押し付けて、誰かの未来を閉ざす暴力なんだよ」
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課長が反論する。
「でも……実際、女性のほうが共感力高いって統計とかもありますよね?」
「統計と偏見を一緒にすんな。傾向は傾向だ。目の前の人間を“属性”で決めつけた瞬間、それは差別になる」
善光寺は、鷺沢の業績データをスクリーンに映す。
「彼女は昨年度、営業部トップ。プレゼン採用率、社内最高。なのに“女の子は裏方”だ?
お前ら、見てんのは“成果”じゃなく、“性別”だろうが」
部屋の空気が凍りつく。
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「男女雇用機会均等法第6条では、性別による役割分担の固定化を禁じてる。
“指導的立場に女性を登用しない慣習”は、厚労省のガイドラインでもハラスメントと明記されている」
「さらに言えば、昇進や業務配分に差があれば、労働施策総合推進法や男女共同参画基本法にも違反の可能性が出る。
企業の“無自覚”は、いまやリスクだ」
部長の一人がつぶやく。
「……でも、昔はこれが普通だったんだよな……」
「“昔”を理由に、今の足を引っ張るな」
善光寺は一刀両断する。
「今は“能力の時代”だ。性別や年齢じゃなく、“何ができるか”で評価する。それが現代社会の最低限のマナーなんだよ」
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そして、彼は優しい声に変える。
「“無意識の偏見”をゼロにするのは、難しい。でも、まずは“気づく”ことから始めればいい。“言葉を選ぶ”だけで、誰かの未来は変えられる」
「“女の子”じゃなくて“〇〇さん”。“男のくせに”じゃなくて、“あなたらしい考えだね”」
「言葉は、誰かを切る刃にも、誰かを飛ばす翼にもなる。お前ら、翼になれ」
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会議後。
鷺沢が善光寺に頭を下げた。
「……本当にありがとうございます」
「礼はいらねぇ。その代わり、ひとつだけ約束してくれ」
「はい」
「お前が部長になったとき、同じことを部下に繰り返さないって。それだけだ」
「……絶対に」
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数週間後、《シンセリア》では無意識バイアス研修が導入され、評価制度の見直しと社内相談窓口の強化が始まった。
鷺沢は次期プロジェクトリーダーに正式に任命され、社内には静かだが確かな変化が芽吹き始めた。
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夕暮れのオフィス街を歩きながら、善光寺はつぶやく。
「“あたりまえ”ほど疑え。“正しさ”ほど見直せ。
……それが、今を生きる大人の責任ってもんだろ」
今日もまた、白文字の「対ハラ」が風に揺れていた。