正義の終着点
午後5時すぎ、霞ヶ関にあるハラスメント対策特殊部隊の内部会議室。
そこに鳴り響いた通報は、予想もしない人物の名を告げていた。
「……対象者は、当部隊 本部長・善光寺 善」
告発者は、部隊内の若手職員3名。
共通する主張はこうだった。
「議論中に“お前らには現場の泥臭さがわからない”と一喝され、発言権を封じられました」
「反論すれば“偉そうにするな”“俺の背中を見て覚えろ”と怒鳴られました」
「提案しても“理屈だけならAIにもできる”と一笑に付され、全案却下されました」
さらに、若手女性職員からはこうも記されていた。
「“女は被害者側に立て。加害者側に同情するな”と一方的に決めつけられました」
「私たちの専門性や人格が、“正義”という言葉の下で消されていった気がします」
監察官が調査を開始。
1週間後、部隊全員への聞き取り・メールログ・会議録の精査を終え、正式な報告が下った。
■【認定された行為と根拠】
・威圧的かつ一方的な指導による、心理的圧力の常態化
・厚労省策定「職場におけるパワーハラスメント防止指針」における「精神的な攻撃」に該当
・労働施策総合推進法 第30条の2違反可能性あり
・若年層の発言封殺および、ジェンダーによる役割固定的発言(アンコンシャス・バイアスの助長)
■【社会的影響】
・正義を執行する機関のトップが加害者であった事実は、制度の信頼性を大きく損なう
・部隊の“声を上げる風土”が機能した一方で、“誰であれ例外ではない”という原則を証明したケース
処分内容はこうだった。
善光寺 善、本部長職を辞職勧告。
本人の希望により即時辞表提出が認められ、再発防止プログラムの受講後、職場からの退任。
その日の夜――
誰もいない対策部のオフィスに、善光寺は一人、机の上に辞表を置いた。
「……俺は、結局“正しさ”に酔ってたんだな。
守ったつもりが、誰かの声を踏みにじってた……」
気づけば手が震えていた。
信じていた“正義”が、最も大事な「人への敬意」を失っていたのだと痛感していた。
重い足取りでロビーを出たその瞬間。
エレベーターホールの前に、数人の人影が立っていた。
—
「……善光寺さん」
最初に声をかけたのは、元広告代理店の女性社員・鷺沢陽。
「あなたがいなかったら、私はきっと潰れてました。
あの時、あの言葉に救われたんです」
次に、元営業職・河合光。
「退職者にも尊厳があるって言ってくれた人、初めてでした。
だから新しい会社でも、今、部下を守れてます」
さらに、岡野千尋。かつて“現場の華”と嘲られた彼女は、今や一部署のマネージャーだ。
「善光寺さんの言葉があったから、私は今もここで戦えてる」
続々と現れる、かつての“被害者”たち。
彼らは口々に、善光寺が与えた「力」と「尊厳」の記憶を語った。
善光寺は、その場で崩れるように膝をついた。
握りしめた辞表が、ひらりと舞った。
「……ごめん。俺は、正しさに囚われてた。
お前らの声を、聞こうとしてなかった……」
その肩に、佐伯楓がそっと手を置いた。
「でも、あなたが築いたのは“声を上げていい社会”でした。
だから私も、あなたに声を上げられたんです」
善光寺の目から、初めて涙がこぼれ落ちた。
夜空に浮かぶ霞ヶ関の街灯。
その下で、元・本部長が一人、空を仰いだ。
「正義を振るう手は、時に刃にもなる。
でも、声を聞く耳さえ持ち続ければ――
人はまた、やり直せる……そうだろ?」
そして彼は歩き出した。
今度は“語る”ためでなく、“聞く”ために。
物語は、ここで終わる。
だがこの社会で“声を上げる人”がいる限り――
正義もまた、再び立ち上がる。
完。