第9話
戸口に立っていたのは茶道具が入った箱を手に持つ、十三歳くらいの少女だった。
侍女にしては幼すぎるけれど、見覚えのある顔だ。
莉珠は少女をどこで見たのか思い出そうと記憶を辿る。
「はじめまして、王妃様。私は如意といいます」
小鳥の囀りのような可愛らしい声で如意は挨拶をする。
二つの髷を結った双丫髻は、ほつれ毛が一本もない。小さな鼻にくりくりとした水色の大きな瞳で、ぱっと見は小動物のようで可愛らしい。
「王妃様のためにお茶を用意させていただきます」
如意は茶道具の箱を机の上に置いた。
「ありがとう、いただくわ」
思案していた莉珠だったけれど、やはりどこで会ったのかは思い出せない。
如意は茶道具一式を空いている座卓の上に広げて準備を始めた。用意していた蓋碗に茶壺のお湯を注ぐ。途端に慣れ親しんできた茶葉とは違う、独特の香りが室内に充満した。
莉珠は瑛華にお茶を淹れさせられていたので、茶葉の香りには親しみがある。
(昨日瑩瑩が淹れてくれたのは、姚黄国で使われているお茶と同じだったけど、今日のは違うわね。どんなお茶かしら?)
莉珠が想像を巡らせていたら、目の前に蓋碗が置かれた。
「どうぞお召し上がりくださいませ」
「ありがとう。いただきます」
早速お茶に口をつける。
蓋碗の蓋をずらせば優しい華やかな香気が鼻に抜けていく。そして、これまで飲んできたお茶とはまったく違う味が口の中に広がった。
「如意、これは何というお茶なの?」
「玫瑰花と乾燥果実の棗、クコの実を入れています」
「玫瑰花?」
聞き慣れない言葉に首を傾げると如意が説明をしてくれる。
玫瑰花とはこの国の高山に咲く花。甘く香り高いことから蕾を乾燥させ、お茶として使われているらしい。古くから若さを保つために女性たちの間では愛飲されてきたようだ。
「お茶というけれど、茶の木の茶葉ではなかったのね。初めて飲んだわ」
どちらかと言えば、これは『花茶』という名称の方がしっくりくると莉珠は思った。
率直な感想を口にすると、たちまち如意がムッとする。
「茶の木が育たない過酷な環境なので茶葉はとっても貴重です。我が国でお茶と言えばこれが普通ですよ」
「そうなの? 知らなかったから勉強になるわ」
姚黄国で飲むお茶と言えば茶の木の茶葉を用いたものが一般的。それもあって、こういった茶外茶を飲むのは初めてだった。
乾燥果実を入れるというのも不思議な飲み方である。一体どんな意味があるのだろう。
(だけど、乾燥果実の味がぼやけて玫瑰花の味しかしないわね。きっと私の知らない何かがあるんだわ)
莉珠は如意のお茶を通して改めて文化の違いを痛感した。
(蒼冥国へ嫁ぐまでに文化風習を学ぶ機会があれば良かったのだけど。そんな暇はなかったから)
なにせ突然身代わりを命じられた挙げ句に眠らされ、次に目を覚ましたら馬車の中だったのだ。馬車の中で王荘が蒼冥国の基本情報は教えてくた。しかしその内容は概要にすぎず、そこに歴史や文化、風習といった深い知識はなかった。
(この国の王妃になったのに、私は何も知らない)
何とも情けない。こんな状態では王妃としての務めも果たせない。
莉珠が眉根をぎゅっと寄せて蓋碗を眺めていたら、如意が口を開いた。
「王妃様からすれば、このお茶は粗末で野蛮な味よね」
「えっ?」
敬語が取れた棘のある言い方に、莉珠はハッとして顔を上げる。
如意の瞳には剥き出しになった敵意が宿っていた。
蓋碗を見つめながら思い悩んでいたせいで誤解を与えてしまったらしい。
「野蛮だなんてとんでもない。あなたのお茶は美味しかったわ」
弁解したものの、如意は斜に構えた態度を取ってきた。
「無理しなくていいわ。この国に染まる気なんて端からないでしょ」
「そんなこと……」
「所詮あなたは姚黄国の間者だもの。この国の内部事情を調査するために嫁いできたんでしょ?」
間者と言われて莉珠は吃驚した。想像もしていなかった単語に困惑してしまう。
「か、間者なんて誰が言ったの?」
「誰も言ってないわ。でも叔父上が紅蓋頭を外さなかったんだからきっとそうよ。普通、夫婦になったら紅蓋頭は外すもの!」
そこで如意がどういった人物なのかようやく分かった。
彼女は四年前に他界した先王の娘。つまり惺嵐の姪だ。
どことなく見覚えがあったのは惺嵐と似ている部分があるからのようだ。
合点がいった莉珠だが、惺嵐だけでなく親族からも歓迎されていないことを知って悲しい気持ちになる。
「今回の縁談は陛下から持ちかけられたもの。私は間者じゃないわ。何の証拠もないのに決めつけるなんていけないことよ」
注意すると、如意の顔が真っ赤になる。
「うるさい! 王妃なら国の現状をもっと理解して行動しているはずだわ。何もしないでいるのは、この国を破滅させようとしている証拠よ!!」
如意の短絡的な意見に莉珠はどう答えていいのか分からない。まずは落ち着くように声を掛けようとしたところで、部屋の扉が開いた。
櫛を持った瑩瑩が戻ってきたのだ。
「お待たせしました。……って、なんで如意様がここに?」
見つかった如意はバツの悪い顔をすると莉珠から蓋碗を取り上げ、逃げるように出ていく。
「待っ……」
あまりにも俊敏だったため、呼び止める暇はなかった。
眉尻を下げた莉珠は小さなため息を吐く。
(私がもっと上手く立ち回っていたら良かったのに)
自分の要領の悪さに嫌気が差す。けれど、嘆いている場合ではないと実感した。
姚黄国から嫁いできたのに莉珠は惺嵐から紅蓋頭を外されず、初夜も終えていない。さらにまったく蒼冥国の知識がない。
これでは周囲の人間に悪い印象を抱かれても仕方がないと思った。
(ずっとこんな調子だと私に敵意を向ける人がどんどん増えていくわ。一刻も早く手を打たないと)
俯いて黙考していたら、瑩瑩が遠慮がちに尋ねてくる。
「あのう、王妃様。如意様と何かありましたか?」
意識を引き戻した莉珠は顔を上げる。目の前には気遣わしげにこちらを見つめる瑩瑩がいた。
話すべきか迷ったが一人で抱えていてもどうしようもないので、正直に打ち明ける。
瑩瑩は「なるほど」と相づちを打ち、櫛を座卓に置いてから莉珠の前で膝立ちになった。
「でしたらこの国について一から学んでみませんか? 私で良ければお教えします。父が礼部の人間なので、幼い頃から祭祀や礼制を学んできましたわ」
「でも、忙しいでしょう?」
居室の外に出たことがなく、声しか聞いていないのではっきりとは分からないが、この後宮の侍女は数が少ない。したがって、一人一人に割り当てられている仕事量は多い。
莉珠は瑩瑩に負担を掛けたくなかった。
「大丈夫ですわ。蒼冥国についてお教えするのも仕事の範囲内ですから」
胸を張ってみせる瑩瑩は自らの胸を拳で叩く。
そこまで言い切られてしまったら、お願いしないわけにはいかない。
「ありがとう。とても頼もしいわ」
「遠慮せずに何でも訊いてくださいませ」
救世主の登場に莉珠は目を輝かせて手をあわせる。
(身代わりだとしても、私はこの国の王妃になったんだもの。ここの人たちと分かりあえるようになりたい。だからまずは、しっかり学んでいかないと)
蒼冥国の文化、風習を完璧に吸収できたら、周囲のあらぬ憶測を払拭できるかもしれない。そうすれば惺嵐は莉珠を見直して、側に置いておけば役立つと評価してくれるかもしれない。
惺嵐からは初夜の時に愛するつもりないと宣言されている。莉珠も惺嵐の寵愛を得ようなどと思っていない。身の程は弁えている。
何故なら、求めていた瑛華ではないと知った惺嵐の絶望は計り知れないだろうから。
莉珠は佩玉の上で手を重ねて目を閉じる。
(お姉様のような美貌も教養もないけれど、私なりに償っていきたい。それくらいでしか、私にはできないから)
惺嵐の怒りが静まる日など永遠に来ないだろうが、莉珠は誠実に接していくつもりでいる。再び目を開けたら、瑩瑩が優しい笑みを浮かべて手を握ってくれた。
「王妃様は蒼冥国に来たばかりです。不安にならないでくださいませ。少しずつ頑張りましょう」
莉珠は頷いて瑩瑩が握ってくれている手を握り返す。
様々な不安を抱えながらも、その日から蒼冥国について学んだ。




