第7話
婚礼の儀が終わり天藍宮殿に戻った莉珠は、準備されていた祝宴に出席した。大勢の人たちが入れ替わり立ち替わりやって来て、寿いでくれる。
会場は踊り子が舞を舞い、楽団が音楽を奏でて非常に盛り上がっていた。
そうして祝宴がお開きになると、賓客を見送る惺嵐から先に居室へ戻るよう勧められる。
朝からずっと緊張していたことに加え、長旅の疲れもまだ取れていない。莉珠は惺嵐の言葉に甘えさせてもらった。
通された居室で待つように言われ、莉珠は窓際にあった台座へ腰を下ろす。
莉珠は誰もいないのを良いことに、顔の前に垂れている紅蓋頭を手で捲り、辺りを観察する。
「とても広くて綺麗なお部屋」
室内は紫檀の家具で統一されている。福寿宮のように象嵌や瑪瑙などを使った煌びやかさはないが、疲れを解きほぐすような落ち着いた設えだった。
「あとはこの紅蓋頭を陛下に外していただくだけだわ。これで正式な夫婦になる」
莉珠は手の甲に当たっている紗の紅蓋頭を眺める。
姚黄国と蒼冥国では婚礼の儀の内容が少しだけ異なっている。姚黄国で花嫁の紅蓋頭が外されるのは、婚礼の儀で花婿と初めて対面した時。しかし蒼冥国で花嫁の紅蓋頭が外されるのは、居室で二人きりとなった時――つまり新婚初夜の時だ。
紅蓋頭を外された先を意識した途端、緊張から心臓の鼓動が早くなった。
夫婦となった男女が最初に行う営み。莉珠とてそれが何たるかは知っている。
というのも、以前瑛華から話を聞く機会があったからだ。
(お姉様曰く、初夜は今まで経験した痛みなんて比べものにならないほどの激痛で、中には痛みに耐えられなくて気を失った人もいるらしいわ)
瑛華は莉珠が怖がるようわざと誇張して話していた。その効果は抜群で、彼女の話を思い出した莉珠は小刻みに震えている。
痛いとは、気を失うほどの痛みとはどれほどだろう。鞭で打たれるのと同じかそれ以上か。不安で堪らない。
今朝方、瑛華の恐ろしい話を思い出した莉珠は、婚礼衣装を運んできた玲瓏に意を決して尋ねた。
柔和に微笑む玲瓏は、こういった重要な局面では男性に身を委ね、何をされても受け入れたら大丈夫だと教えてくれた。
「陛下はお優しい方なので心配は入りません」と励ましの言葉も添えて。
玲瓏の言葉を思い出した莉珠は、胸の上で手を重ねてふうっと息を吐く。
(何をされても身を委ねて受け入れる。心の準備はできている、はず……)
不安で押し潰されそうになっている自分を励ましていると、外から足音が聞こえてくる。
莉珠が入り口へ身体を向けると、程なくして部屋の扉が開かれた。
入ってきたのは夫になったばかりの惺嵐だった。
蒼冥国に来て最初に思ったことだが、この国の人は男女共に骨格がしっかりしていて背が高い。例に漏れず惺嵐も上背があり、見るからに頑健そうな体躯をしていた。
そして、さらさらとした艶のある黒髪にすっと通った鼻筋、くっきりとした二重に青色の瞳。全体的に彫りが深く、整った顔立ちをしている。
精悍で野性的にも見えるが、惺嵐が美丈夫であることに違いはない。
莉珠は台座から立ち上がり、改めて挨拶をした。
「本日はお疲れ様でした。陛下にご挨拶申し上げます。姚黄国から参りました、瑛華でございます」
惺嵐と公式の場以外で話すのはこれが初めて。少しばかり緊張してしまう。
蒼冥国でも姚黄国でも、婚礼の儀が終わるまで男女が顔を合わせるのは縁起が悪いとされている。よって、莉珠が惺嵐と顔を合わせる機会は今までなかった。
そもそも、荷ほどきやら花嫁支度やらで忙しくしていたのでそんな暇はなかった。
けれど今はいくらでも話ができる。
惺嵐とは良好な関係を築いていきたい。
(私はあなたが望んだ相手じゃない。だけどそれ以外では誠実でありたいわ)
無意識のうちに邪針が打たれた右腕に触れる。体内にこの針がある限り、誰かに災いは降りかからない。
自分を落ち着かせた莉珠は右腕から手を離した。
「未熟者の私ですが誠心誠意、陛下にお仕えします。どうぞよろしくお願いします」
莉珠は右腰辺りに手を重ねて膝を曲げ、頭を下げる――蒼冥国の女性が王族に取る礼だ。
すると、扉の前に立っていた惺嵐がゆっくりとこちらに近づいてきた。
惺嵐は莉珠の目の前で立ち止まり、見下ろす形でこちらを眺めてくる。ふわりと揺れた空気から仄かに白檀の香りがする。惺嵐からのものだろう。
莉珠も顔を上げ、紅蓋頭越しに彼の顔を見つめる。
穏やかな表情を浮かべていた祝宴の時とは打って変わって、今は無表情だった。
何を考えているかまるで分からない。だが、莉珠は彼の表情から寒気のようなものを感じ取った。
(どうしたのかしら? 陛下は私の夫で、これから初夜を迎える相手なのに)
これは初夜の不安から来る恐怖なのだろうか。はたまた無表情の惺嵐から来る恐怖なのだろうか。
とにかく莉珠は己を奮い立たせ、固唾を呑んで惺嵐の次の行動を見守った。
二人の間に沈黙が広がる。しばらくして、惺嵐が簡潔に尋ねてきた。
「おまえは私が望んだ花嫁ではないな。何の真似だ? どうしてここに来た?」
「えっ?」
問われた内容に理解が追いつかず、莉珠は一瞬固まった。
一拍おいて、止まっていた思考が急速に動き出す。
ドッドッと心臓が強く跳ねた。
(まさか陛下は、私が身代わりだと気づいているの?)
紅蓋頭をつけているのに、いつ顔を見たのだろう。
瑛華の似顔絵は送っていないし、瞳の色だって菱甘石で焦げ茶色。絶対見抜かれないと高を括っていた。
(でも、冷静に考えれば見抜かれて当然だわ。だって、美姫と謳われるお姉様と私はまるで違うもの!)
莉珠が瑛華と違う点は何も容姿だけではない。
滲み出る気品や立ち振る舞いなど、多岐にわたる。姚黄国の公主が美姫だという話と照らし合わせたら、紅蓋頭を外さずとも莉珠が偽物だと判断できたのだろう。
ここで莉珠が自分が偽物と認めてしまえば、姚黄国の面子は丸潰れ。さらに外交上で不利な立場に立たされる。
今後も両国の関係を良好に保つためには、どうにかしてこの場を切り抜けなくてはいけない。
背中に冷たい汗を感じながらも、莉珠は紅蓋頭越しに笑みを浮かべる。
「あら。陛下が要求したのは美しい公主である私で間違いありませんわ。あなたに望まれたから、私は嫁いだのです」
惺嵐が望んだのは美しい公主。瑛華が欲しかったのなら指名すれば良かったのだ。
これは瑛華や雹雪たちも言っていた。だから偽物と見抜かれたところでこちらに非はない。責任を取るべきは、要求を曖昧にした惺嵐の方だ。
莉珠は腕につけていた玉の腕輪を取り、自分の顔の高さまで持っていく。
「陛下から賜った玉の腕輪を、私は国を出る時から肌身離さずつけています。お疑いなら、こちらで本物かどうかお確かめください」
そう言って惺嵐の前に差し出した。
惺嵐は無言のまま腕輪を受け取り、もう片方の手で金細工の部分を撫でる。
「確かにこれは俺が姚黄国の公主に贈ったもので間違いない」
「ではっ」
「だがこれはおまえに贈ったのではない。あの人に贈ったのだ」
静かな声だが怒気を孕んでいるのがひしひしと伝わってくる。
玉を握っている惺嵐の手は、力が籠もり震えていた。
莉珠は息を呑む。何故なら惺嵐の表情には、切なさと愛おしさを綯い交ぜにした色が滲んでいたからだ。
莉珠は直感的に悟った。この人は瑛華を愛しているのだと。
後宮には厳しい規則があり簡単に外には出られない。けれど、瑛華は祭祀や儀礼などで外へ出る機会がある。
恐らくその時に惺嵐は瑛華と出会い、彼女を見初めたのではないだろうか。
(私、陛下を傷つけてしまったんだわ)
申し訳ないという感情が込み上げてくるが、何も言わなければ自分が身代わりだと肯定しているようなもの。
莉珠はすぐさま取り繕った。
「求めていた相手と違うと仰いましても、私は姚黄国の瑛華で間違いありません。そして婚礼の儀で誓いを立てたからには私があなたの妻であり、この国の王妃です」
身代わりを雹雪に言いつけられた日からずっと罪悪感で胸が苦しい。けれど両国が平和であり続けるためには、この感情に蓋をしなければいけない。
(陛下を騙した罪は必ず償っていくわ)
改めて心の中で誓う莉珠。
すると突然、惺嵐の手が伸びてくる。
「ひあっ……」
莉珠は思わず小さな悲鳴をあげた。
惺嵐が伸ばした手は紅蓋頭を掴む。その手は捲り上げるどころか、下へと移動して紅蓋頭をピンと張った。
「残念だがおまえを妻には望んではいないし、愛するつもりも毛頭ない。次の日もそのまた次の日も、私がここに来ることはないと肝に銘じておくことだ」
冷たく言い放った惺嵐は玉の腕輪を懐にしまう。そして、莉珠の返事を待たずして足早に去っていった。
一人残された莉珠は、ただ呆然と扉を見つめるしかできなかった。




