第31話
毒を盛られた惺嵐は、莉珠の介抱もあって一週間後に回復した。特に樹蜜石がたっぷり入った生姜湯は惺嵐の体調を快方へ向かわせてくれた。
雹雪が言っていたように、樹蜜石には邪術の毒を相殺してくれる効果があるようだ。
侍医の診察によれば毒による後遺症もないという。とはいえ、数日後に予定されていた祭天の儀は改めて日取りを決める運びとなり、仕切り直しとなった。
惺嵐が療養している間、翠月が姚黄国への対応を迅速に行ってくれた。
被災地へ支援物資を送っているにもかかわらず、姚黄国はこちらに刺客を送りつける。恩を仇で返す国だと激しく非難した抗議文書を送ったらしい。
これにより慌てて姚黄国から使者が訪れ、謝罪の文書を持ってやって来た。
また、友好の証しとして金印が授けられたが、敏腕をふるう翠月は金印だけで件を片付けるのは不誠実で浅慮な対応だとして、姚黄国に八宝茶の取引を申し入れた。
ぐうの音も出ない使者は、八宝茶を姚黄国の市場に普及させると約束してくれた。
そしてこれは魂命術で偵察を行っていた惺嵐が教えてくれた話だが、襲撃の当事者である雹雪は皇帝の命によって冷宮送りに。実質的な幽閉が決まった。
後宮内で実権を掌握し、自分の思うままに振る舞っていたが、他国へ危害を加えて皇帝に恥をかかせたのだ。
いつも雹雪に甘かった皇帝も今回ばかりは顔に泥を塗られたとして、堪忍袋の緒が切れたようだ。加えて雹雪の生家である蘇家も連帯責任として中央官吏の職を解かれ、地方官吏として東の辺境へと一族全員が飛ばされてしまった。
空席となった後宮管理の仕事は再び貴妃の素純が取り仕切る様になったようだ。どうやら、長年患っていた病が治ったらしい。
後宮管理の権利を取り戻した彼女は、早速雹雪に取り入っていた女官や宮女たちへ暇を出した。さらに素純は瑛華の嫁ぎ先を取り持った。
とは言っても、我が儘で気位の高い瑛華は貴妃の提案を悉く突っぱねたらしい。その結果、もう提案する先がないとして貴妃は瑛華に出家を命じた。
惺嵐によれば穏やかな声で話していたそうだが、貴妃の表情は般若の如く凄まじかったという。
かくして、瑛華がどんなに泣き喚こうともその決定は覆らず、彼女は尼寺へと送られた。
「――というわけで、結果的に姚黄国の後宮の膿を絞り出せたというわけだ」
「陛下や翠月にはご迷惑をお掛けしました。ありがとうございます」
陽が昇り始める前。惺嵐に連れ出された莉珠は、天藍宮殿の城壁の階段を上っていた。まだまだ寒さが厳しいこの季節。莉珠たちの吐く息は白い。
莉珠は前を歩く惺嵐の背中を見つめる。しっかりとした足取りで階段を上がるその姿に、莉珠は改めて彼が生きていて良かった実感した。
「そういえば、最近翠月を一度も見ていないですが忙しいのでしょうか?」
惺嵐の介抱をしている間、莉珠は翠月と一度も顔を合わせなかった。
姚黄国への抗議対応に追われているのは分かるが、少しくらい顔を見せてくれても良かったのに。
惺嵐はこちらを一瞥して再び前を見る。
「翠月は実家に呼び出されて国に戻っている。いつ帰ってくるかは俺にも分からない」
「それは残念です。姚黄国と八宝茶の取引ができるようになったのは翠月のお陰なのでお礼を言いたかったのですが」
「心配ない。その機会は必ずあると断言しておこう。……まさかあいつが姚黄国の公子だったなんてな」
惺嵐が最後に何かをぼそぼそ呟くが、莉珠は聞き取れなかった。
「何か仰いましたか?」
「いや、何でもない」
きょとんとした表情で尋ねれば、惺嵐はフッと笑いながら手を振った。
長い階段を上った後、二人は見晴台に辿り着く。
棲雲山脈の間から暁色の太陽が顔を出し始めていた。陽光に照らされて、王都全体が輝き出す。
その美しい光景に莉珠は釘づけになる。
「わあっ!」
莉珠は感嘆の声を上げる。
飽きずにその様子を眺めていると、惺嵐に声をかけられた。
「莉珠」
呼ばれて顔を向ければ、いつの間にか彼の手には上等な木箱が抱えられていた。
「ずっと渡しそびれていたものがある」
惺嵐はそれを莉珠に差し出す。開けてみるよう促され、蓋を開けてみる。
上等な布の上に置かれているのは、禁色である紫の造花で作られた歩揺。花びら一枚一枚が精緻に作られている造花は、下へ行くほど色が淡くなっていて、とても典麗だった。
「陛下、禁色の品を私が受け取っても良いんですか?」
禁色は王妃でなければ身につけられない。これが下賜されるということは、惺嵐から妻であり蒼冥国の王妃として認められた証しだった。
霊廟で紅蓋頭を外してもらい、先祖の前で誓いを立てられた時と同じように嬉しくて堪らない。
惺嵐は木箱に入っていた歩揺を取り、莉珠の頭にそっと挿す。太陽の光に反射して、金具部分の真珠がきらりと光る。
「受け取っても良いかなんて訊くな。莉珠以上に勇敢で聡明な王妃はいないと俺は思っている。おまえは、俺やこの国に幸福をもたらしてくれた。決して手放すものか」
莉珠は惺嵐に強く抱き締められる。
白檀の香りにいつしか安心感を覚えるようになった。
「これからも王妃として妻として、私は陛下を愛し支え続けます」
莉珠は惺嵐を見つめた後、ゆっくりと目を閉じる。
どこからともなく浅春の風が吹く。
美しい紫色の歩揺がひらりひらりと揺れた。




