第29話
何故雹雪の声が聞こえてくるのか疑問だったけれど、すぐに予想はつく。恐らく八稜鏡には予備があるのだろう。
それを王荘に持たせ、二人は連絡を取り合っているようだ。
「蒼冥国王に毒を塗った夜明珠を渡し、無事に倒れました。禍姫は酷く取り乱しておりましたよ」
「ご苦労だった。こなたの想定よりも禍姫はしぶとく生きているようだが、あの娘もじきに死ぬ。死に際としては最高の贈り物だろう?」
「淑妃様もお人が悪いですなぁ。それにしても、あちらの人間に解毒方法を教えろと請われましたが、そんなものはあるのですか?」
王荘の質問に雹雪が「あるにはあるが」と前置きをしてからくすりと笑う。
「邪術で作った毒の解毒には黄金の樹の蜜が必要。けれど手に入れるのは至難の業。あれは幻とされていて、こなたでもなかなか手に入らない。小国では不可能だろうね」
「黄金の樹の蜜……」
二人の会話を聞き、莉珠はハッとする。
(それってもしかして樹蜜のこと?)
樹蜜は秋になるとほんのりと黄金を帯びる。蒼冥国にしか現存しない樹で、その蜜は樹蜜石と呼ばれている。
そして莉珠はもう一つ、重大なことに気づいた。
「そういえば、淑妃様の邪針の毒で胸が痛かったのに、今は全然痛くない」
これは惺嵐が倒れて気が動転しているからだろうか。
莉珠は頭を振った。
「違う。これは如意が樹蜜石のたっぷり入った生姜湯を私に飲ませてくれたからだわ。だから胸が痛くないのよ」
生姜湯を飲んだあとはすぐに痛みが和らいだ。
雹雪が王荘との会話で莉珠がしぶとく生きていると言っていたのも、あの生姜湯が毒を消し去ってくれたからだ。でなければ、莉珠はとうに死んでいるはずだ。
「後宮へ戻って、樹蜜石を取りに行かないと」
しかし、寝殿から後宮にある如意の厨房までは時間が掛かる。
惺嵐の容体はどんどん悪化しているし、取りに行っている間にもしものことがあれば――その先を想像して怖くて行動を起こせない。
「一体どうしたら……」
焦燥感に駆られて途方に暮れていたら、懐から何かが床に落ちる。
それは、如意からもらった飴玉だった。
懐にはあと二つ飴玉が入っている。
(如意が樹蜜石で作ってくれた飴玉。この量で解毒できるかは分からないけど。やってみるしかないわ)
莉珠は藁にもすがる思いで包みを開き、飴玉を口の中に含む。
口の中の熱で飴が溶け出したのを確認した莉珠は、惺嵐の両頬に手を添える。そして躊躇うことなく、惺嵐に自身の熱を移した。
(お願い。どうか助かってください)
莉珠は強く願う。その間にも莉珠の熱で飴は溶け出し、惺嵐の口へと移っていく。
一つ目の飴を使い切り、莉珠は次の飴を口に入れる。
時間が経つにつれて小さくなり始めた飴に焦りを覚える。飴玉はあと一つ。
やはりこれだけでは量が足りなかったのだろうか。
最後の飴を惺嵐へ移していると、不意に誰かの手が莉珠の頬を撫でる。
驚いて目を開くと、はあっと熱い吐息が莉珠の顔に掛かった。
目の前には、血色の良くなった惺嵐がこちらを見つめていた。
「……随分と熱烈な看病だな」
「こ、これは単なる解毒の処置です。でも、でも……陛下が目を覚ましてくださって本当に良かった!」
莉珠は惺嵐に抱きつくと啜り泣く。
惺嵐は上体を起こして莉珠の頭を優しく撫でた。
「心配掛けさせてすまなかった」
惺嵐の腕の中で涙を流す莉珠は首を横に振る。
「すべては私に原因があるんです。陛下は悪くありません」
莉珠は惺嵐に自分の過去と雹雪の計略についてを語った。
「私が嫁いでしまったばかりに陛下を危険な状況に追い込んでしまいました。本当に申し訳ございません」
すると惺嵐は首を傾げる。
「どうして莉珠が謝る? 頭がおかしいのは淑妃の方だ。彼女は恨み続ける相手を間違えている」
「相手を間違えている?」
意味がよく分からず、今度は莉珠が首を傾げる。
「常識的に考えて、恨むべき相手は皇帝だろう。淑妃だけを一途に愛さず、他の妃に現を抜かしたんだ。制度上一夫多妻であっても、一人しか愛さないことはできたはずだ」
その考え方は目から鱗だった。惺嵐が言うように父が雹雪だけを一途に思っていれば、こんな悲劇は起きなかったのかもしれない。
惺嵐は莉珠の手を握り締め、真顔で言う。
「俺は莉珠しか愛さない。もし、側妃が入宮しても足を運ぶことはないだろう。まあ、その前に絶対容認はしないがな」
握られている手に力が籠もる。冷たくなっていた惺嵐の手は、今では温もりが宿っている。
その瞬間、莉珠の心臓が疼いた。じくじくと痛みを伴う。
けれど、これが邪針の毒でないことだけは確かだ。
莉珠は惺嵐をまっすぐ見つめた。
「私も。私も陛下だけです。陛下しか愛せません。この先ずっとあなただけを愛します」
口にできないと思っていた言葉。ずっと伝えたかった言葉が自然と口からついて出る。
惺嵐は嬉しそうに目を細め、莉珠を再び抱き締める。
「莉珠、俺もおまえを愛している」
白檀の香りに包まれた莉珠は、ゆっくりと目を閉じて惺嵐の温もりに浸った。




