第2話
「いつまで手入れをしているの? おまえのせいでお気に入りの簪が挿せないのよ!」
福寿宮内の小さな離れにて。
莉珠が正座をして玉の腕輪や螺鈿の簪などの宝飾品を磨いていると、罵声と共に戸が勢いよく開かれた。
びくりと身体を揺らし、顔を上げる莉珠。
目の前には異母姉の瑛華が腰に手を当てて立っていた。
シミ一つない白くて陶器のような肌に、ぷっくりとした桃色の唇。鼻は高くもなく低くもない高さで、まどろむ猫のような瞳は榛色。濃紺を帯びた黒髪は頭上でくるりとした双鬟が結われている。
瑛華は目を奪われるほど美しい公主だった。
化粧もしっかり施されているため、その美しさに磨きが掛かっている。
けれど、今の彼女は柳眉を逆立て蔑んだ視線をこちらに送っていた。
「丁度終わりました、お姉様」
莉珠は瑛華の側まで寄ると、膝を床についてから顔を伏せる。磨き終わったばかりの簪を頭より高く持ち上げて差し出した。
莉珠が袖を通している衫襦や裙は色褪せた柿色。首には母の形見である翡翠の佩玉を提げているが、結い上げている黒髪には簪や櫛といった飾りの類はなく、紐で結ばれているだけ。
玉の腕輪と、水晶や金珠の首飾りをつける瑛華とは大違いだ。
瑛華はフンと鼻を鳴らしながら簪を奪い取った。
「まったく。これからお父様のところへご挨拶しに行かなくてはいけないのに。どうしてわたくしが簪を取りに足を運ばなくてはいけないの? それもこれもおまえがカメのように鈍間なせいよ!」
「申し訳ございません、お姉様」
顔を伏せたままの莉珠は淡々と受け応える。
余計なことを口にすれば瑛華の機嫌を損ね、躾と称して折檻される。現にこの部屋の入り口には、莉珠を苦しめるための水甕が置かれていた。
簪を頭に挿し終えた瑛華は汚物でも見るような目で莉珠を睨めつけ、同じ空気を吸いたくないと言うように口元を袖で覆う。
「朝から下女の娘の顔を見なくてはいけないなんて最っ悪だわ。ああ、卑しさが移ったらどうしましょう」
瑛華が言うように莉珠の母・蕎嬪は下女の出身で、後宮では洗濯や草取りなどの下働きをしていた。それなのに、どういう訳か父である皇帝に見初められたのだ。
皇帝に見初められた娘はどんな身分であろうと妃の位が与えられ、その子供は皇族として扱われる。しかし、莉珠は違った。
「おまえは下女の子以前に災いを呼ぶ赤眼で生まれてきた。そんなおまえを誰が公主として敬うの?」
「誰も……おりません」
小さな声で返事をした莉珠は、目を閉じて睫毛を震わせる。
莉珠の瞳は珍しい赤色で、姚黄国で一般的な黒色や茶色、榛色とは違う。とはいえ、赤眼が不吉かどうかは歴史を辿っても例がなかったため、莉珠が生まれた当初は皇帝も臣下も些末ごととして取りあわなかった。
――莉珠の周りで立て続けに不幸が起きるまでは。
蕎嬪は莉珠が四歳の時に不治の病でこの世を去った。
世話をしてくれていた乳母は井戸に落ちて溺死した。莉珠が五歳の時だ。
それから一年と経たないうちに数人の女官が不可解な死を遂げた。
莉珠と関わった者が立て続けに死んだという報告を受け、皇帝は天師を呼んで占わせた。
結果は「赤眼には災いを呼ぶ力がある」という内容で、将来厄災が必ず起きると断言されてしまったのだ。
いくら血の繋がった娘とはいえ、莉珠への愛情が失せた皇帝は疎ましく思うようになった。まだ幼く、守ってくれる後ろ盾もいない莉珠を闇に葬るのは容易い。
しかし、死に際に愛する蕎嬪から莉珠を大切に育てて欲しいと頼まれてしまったため、皇帝は約束を守るために生かすしかなかった。
目の上のたんこぶである莉珠に頭を悩ませていたら、瑛華の母である淑妃・雹雪が莉珠の後見人を名乗り出た。
理由は瑛華が莉珠の二つ上で歳が近く、雹雪の生家である蘇家の女子が道術に精通しているからだった。
特に雹雪は呪いや災いに対する術を心得ている。
皇帝は最初こそ渋ったが、自分の手には負えないと判断して彼女に任せた。
雹雪はすぐさま辟邪――災いを退ける念を込めた結界を後宮内に張った。すると、莉珠の周りで起こっていた不幸は、それを機にぴたりとやんだ。
これで万事解決したように見えるが、それは表向きの話である。
莉珠の存在は後宮外では秘匿とされ、以降は公主としてではなく下女のように働かされるようになった。さらに後宮内では、災いを呼ぶ公主――禍姫と蔑む名前で呼ばれるようにもなった。
瑛華は侮蔑の視線を送りながら頬に手を添える。
「お母様の道術がなければ、赤眼のおまえは永遠に柳暗宮から出られなかった。ここに来て働けるだけでも感謝しなさい」
福寿宮と柳暗宮一帯は、特に強い辟邪の結界が張られている。莉珠が安心して柳暗宮の外に出られるのも、これのお陰だ。
正座をした莉珠は額を床に擦りつける。
「お二人には自由をいただき、とても感謝しています」
丁度そこで、凜とした美しい女性の声が響いてきた。
「なかなか戻ってこないと思ったら。いつまでこんな場所に留まっているの?」




