第17話
莉珠が観察している間に、星星は受け取ったのを見届けるとすぐに飛び去ってしまう。
「私への贈り物って認識でいいのかしら?」
きょとんとしていたら開いた扉から翠月がやって来る。
「王妃様に翠月が拝謁いたします」
「翠月、こんな時間にどうしたの?」
いつも翠月が挨拶に来るのは莉珠の身支度が終わる頃だ。お昼前に来るなんて珍しい。
挨拶を終えた翠月は小脇に抱えていた報告書を莉珠に差し出してくる。それは、返還した内廷費の使い方をまとめたものだった。
「王妃様が返還してくださった内廷費の使い道ですが、街道の整備の予算に充てさせていただきました。王都を中心に主要な街道は整備が整っておりますが、地方へ行くほど悪路が多くなりますので」
莉珠は枝を机の上に置き、報告書を受け取った。
幸いにも、必要最低限の読み書きは習っていたので文字は読める。
報告書には既に使用された金額や、これからどのように運用されていくのかが詳細にまとめられていた。
「国民のために使われているようで安心したわ。報告してくれてありがとう」
「いえいえ、国民生活が改善に向かっているのは王妃様のお陰ですから。ところで……」
にっこりと笑みを浮かべていた翠月は、視線を莉珠の隣にある枝へと向ける。
「そこにあるのは樹蜜ではありませんか?」
「樹蜜?」
初めて聞く樹種に莉珠はぱちぱちと瞬きをして首を傾げた。
「樹蜜は蒼冥国にしか自生していない固有樹です。秋になると樹がほんのりと黄金を帯び、冬になると樹液が出始め、春へ移る頃にはその糖度が増します。これを煮詰めて固めたものを樹蜜石と言いい、長期保存も可能なので山間部の地域では甘味料として重宝されています。味は砂糖のような強い甘さはありませんが風味は良いですね。庶民でも比較的手が届きやすく、春先になると西市でも売られていますよ」
たちまち莉珠の胸が高鳴る。
もしかしたら、この樹蜜石を使えばお茶の味が劇的に良くなるかもしれない。
すると、翠月の後ろから声がした。
「樹蜜石! 私ったらなんで気づかなかったの? 樹蜜石があるじゃない!」
丁度戻って来た如意が、盲点だというように手で額を打つ。
翠月の話を聞く限り、樹蜜石なら費用は抑えられそうである。さらに蒼冥国でしか採れないとなれば、お茶の付加価値は格段に跳ね上がる。
「如意、樹蜜石を使う線で試してみない?」
「ええ。今度こそ成功するかも!」
莉珠の提案に如意も強く頷く。するとそこで、翠月が小さく手を挙げた。
「僭越ながら申し上げますと、甘いお茶を敬遠する方もいらっしゃるかもしれませんので生薬を入れてみてはいかがです? 薬膳的な意味で販売すれば広く浸透すると思います」
莉珠と如意は顔を見合わせる。
薬膳茶として売り出せば、手に取ってもらえる客層が格段に増える。そして、普通のお茶として売るだけではほとんど印象に残らないだろうが、薬膳茶なら健康志向の人たちの目に留まりやすい。
「流石叔父上の側近! 私、もう一度食材管理人のところへ行ってくるね」
如意は興奮した様子で廊下を駆けていった。あんなに顔を輝かせる如意を見るのは初めてだ。
莉珠は翠月にお礼を言う。
「ありがとう翠月。あなたのお陰で抱えている問題が解決できそうだわ」
もちろん、これは星星のお陰でもある。彼が樹蜜の枝を持って来てくれなければ、完全に行き詰まっていただろう。次会った時にきちんとお礼を伝えなければ。
「いえいえ、これは私の助言というよりはへい……いえ、私のお陰ですね! はい、こちらこそお褒めいただきありがとうございます」
途中口籠もっていた翠月だったが、吹っ切れた様子でにっこりと微笑む。
「では私はこれで失礼いたします」
翠月を見送った後、莉珠は戻って来た如意と共にお茶の研究に没頭した。
それから五日後。
試行錯誤を重ねて求めていたお茶が遂に完成した。
玫瑰花と一緒に入れるのは、干した棗とクコの実。それから白木耳と生姜、松の実、菊花、樹蜜石だ。すべてが特産品という訳ではないが、蒼冥国で栽培されているものばかりである。
蓋碗にお湯を注ぐと玫瑰花の芳醇な香りと共に乾燥果実や生薬の香りがする。
最初の一杯目は滋味深い味なのだが、二杯目、三杯目になると樹蜜石がお湯に溶け出してほんのりと甘い味に変化していく。
まだ改良の余地はあるけれど、当初のお茶よりも口当たりは劇的に良くなった。
「美味しい!」
莉珠は居室に如意を招いて淹れたばかりのお茶を飲んでいた。
苦労してようやく辿り着いた味にほうっとため息を吐く。お茶だけでも美味しいが、如意は朝から麻花を作って持ってきてくれた。小麦粉を練って油で揚げた素朴なお菓子だが、揚げたての麻花はさくさくとしていて美味しい。
甘さ控えめで作られた麻花は、莉珠たちの話が弾む頃には甘くなったお茶とよく合った。
「このお茶を今日は瑩瑩と玲瓏にも飲んでもらって感想を訊こうと思っているの」
「あら。それならまずはこの麻花と一緒に叔父上のところへ持っていったらどう?」
如意の提案に、莉珠は微苦笑を浮かべる。
「……陛下は会いたがらないと思うわ。だって、もうすぐ祭天の儀があるでしょう? その準備で普段より忙しくしてるって玲瓏から聞いたわ」
祭天の儀とは豊作や国の安泰を天に祈る儀式のことで、国王のみがそれを執り行える。重要な儀式の一つとあって、何日も前から政務と並行して準備に勤しむのだという。
(それこそ私のために割いてくれる時間なんてないに決まってるわ)
惺嵐とはもう何ヶ月も碌に顔を合わせていない。会話だって今更何をしていいのか分からない。
下手に刺激して機嫌を損ね、逆縁婚になりたくないので莉珠は大人しくしている。それに、最初こそ彼との関係をどうにかしたいと思っていた莉珠も、放置されるのに慣れてしまってからはそちらの方が気楽になっていた。
「今更、何かして陛下の機嫌を損ねたくないわ。ただでさえ私は毛嫌いされているし」
「そんなことない。このお茶を飲めば叔父上も瑛華様の努力を認めてくれるはず。私も一緒についてくから」
「ピィー」
丁度、話を遮るように外から鷲の鳴く声がした。
「あ、星星が来たわ」
莉珠は席を立って窓を開ける。最近の星星は朝だけでなく昼時にも顔を見せてくれるようになった。それに比例して莉珠の中で愛おしさが増している。
窓枠に降り立った星星に莉珠は話しかけた。
「お昼も会いに来てくれてとても嬉しいわ。そうだ、如意が麻花を作ってくれたんだけどあなたも食べるかしら?」
「ピィー」
こくんと頷くので莉珠は小さく砕いた麻花を食べさせてやる。
「ふふ、人間の言葉が分かるなんて星星は本当に賢い鷲ね」
星星は最近莉珠によく甘えてくる。今もうっとりとした様子で目を閉じて頭を莉珠の胸に預けている。
その様子に、如意は半眼になって星星を見つめた。
「ねえ、瑛華様。本当に叔父上は初夜以降一度も訪ねてこないの?」
「ええ、そうね。一度も顔を合わせていないわ」
「……へえ」
眉間に皺を寄せる如意。たちまち星星を見る目つきが虫けらでも見るようなものに変化した。
やがて、如意が星星の胴体を掴んで莉珠から引き剥がす。
「瑛華様、この鷲から離れて。今すぐに!」
「えっ? でも、どうして?」
「どうしたもこうしたもないわ。この鷲が陰湿で姑息なエロ親父だからよ。あまり心を許さない方がいいわ」
如意はそのまま星星を窓の外へと放り投げる。
ばさばさと翼を動かして枝に留まった星星は、不満そうな声を上げる。だが、如意はそれを一蹴した。
「会いに来るのなら正々堂々と来なさいよ。情けないにも程があるわっ!!」
如意はそのまま星星を閉め出した。頬を膨らませながら席に戻ると麻花を囓る。それからぐいっと残りのお茶を飲み干して、口元を手巾で拭いた。
「瑛華様は叔父上のもとへ行かなくていいわ。向こうから来させるから」
「えっ? だけど陛下を煩わせる訳には……」
「とにかく! 私に任せておいて!!」
「わ、分かったわ。如意の言う通りにするわね」
にっこりと笑みを浮かべる如意に気圧された莉珠はこくこくと頷く。
その日はこれでお開きとなった。