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第16話



 濃紺だった空が白み始め、丘陵から太陽が顔を出す。

 紅葉していた葉は散り、植物には霜が降りている。

 窓辺に立つ莉珠は移りゆく明け方の景色をぼんやりと眺めていた。

(今日もこんな時間に目が覚めてしまったわ)

 安永城の後宮にいた頃は太陽が昇る前に起きて里院(にわ)掃除をしていた。長年の習慣は莉珠の身体に染みついていて、そう簡単には抜けそうにない。


 大人しく寝台で横になっているのは居心地が悪い。だから窓を開けて外の景色を眺めているのだが、肌を刺すような冷たい空気が流れ込んでくる。

 秋の終わりを迎えてとうとう冬になった。

 姚黄国とは比べものにならない酷冬に身体は縮み上がってしまう。

(夜着のままでいたら風邪をひいてしまうわ。錦を羽織って(てん)の毛皮の襟巻きをした方が良さそう)

 これから冬本番だというのだからどれ程寒いのか莉珠には想像もつかない。

 襟巻きを巻いていると、遠くから甲高い鳴き声が聞こえてくる。


「ピィー」

 ハッとした莉珠は窓枠に手をついて身を乗り出した。そよ風で揺れる髪を耳にかけ、空を仰ぐ。

 雲一つない暁色の空を飛ぶ一匹の鷲――星星だ。

 星星は旋回していたが莉珠を見つけるや、すぐにこちらに向かって降下してくる。

「おはよう星星。今日のあなたも綺麗だわ」

「ピィー」

 星星は誇らしげに胸を張る。

 不思議なことに星星とは意思疎通を取ることができる。彼はいつも莉珠の感情の機微に敏感で、反応を示してくれるのだ。

 だから莉珠はつい、いろいろなことを話してしまう。

 彼の存在は誰にも言えない秘密を共有する友達のようで、とても心強かった。

(友達と言えば……)

 莉珠は如意を思い浮かべる。自然と笑みが溢れた。


 彼女との関係は宝飾品を渡したあの日以来、随分良くなった。というのも、如意とは毎日一緒に特産品の研究をしているからだ。

「ここでの生活にも慣れたし、特産品の研究もあってちょっとずつ楽しくなってきたわ」

「ピィー」

 それは良かったと言うように星星は嬉しそうに鳴く。

「だけど陛下とは一向に上手くいかないの。翠月の話だとずっと忙しそうだし。……最近はこの状態が最善なのかもって思えて来たわ」

 途端にすまなさそうに頭を下げる星星。


 莉珠は星星を宥めた。

「別にあなたを責めている訳じゃないのよ。落ち込まないで。星星は私の分まで陛下を支えてあげてね」

「ピィー」

「ふふ、良い子ね。そろそろ瑩瑩たちがやって来る頃だから行きなさい。また明日お話しましょうね」

 莉珠は最後に星星を一撫でして送り出す。

 星星は後ろ髪を引かれる思いで何度もこちらを振り返るが、最終的に羽ばたいていった。



 身支度を調え、朝食を済ませた莉珠は日課となっている如意がいる厨房へと足を運ぶ。

 宝飾品を如意に渡して以来、莉珠が身につけている高価なものといえば母の形見である翡翠の佩玉だけ。腕輪も耳飾りもつけていない。

 それを見た瑩瑩と玲瓏以外の侍女たちは、またしても莉珠にあらぬ噂を立てた。

「最近の王妃様は一気にみすぼらしくなったわね」

「内廷費を返還されたらしいけど、本当は陛下から予算を削られたんじゃない?」

「それも仕方ないことだわ。あんな貧相な鶏ガラな身体じゃねえ」

「……だからそれ、全部聞こえてるから」

 莉珠は離れたところで掃除をしながらひそひそと会話する侍女たちに苦笑しながらツッコミを入れる。

 音の聞こえる範囲が人一倍広いせいで、ここ数日の彼女たちの噂話は丸聞こえだ。

 内容は、もっぱら内廷費削減の話と莉珠が着飾らなくなったことについてである。

 莉珠自ら内定費を返還して着飾らなくなったのに、一部の侍女たちの間では惺嵐に削減されて宝飾品を取られたことになっている。


 玲瓏がことの経緯を説明した上で変な噂をするなと厳重注意をしてくれてはいるのものの、特定の侍女たちは信じていない。

(それも仕方ないわ。陛下が初夜以降一度も後宮に現れないんだもの)

 悪い噂を払拭するには惺嵐に来てもらうのが一番だ。けれど、そんな日は未来永劫ないだろう。

 だって、彼が好きなのは自分ではなく瑛華なのだから。


 再び侍女たちの話し声が聞こえてくる。

「でも、無駄遣いせずに倹約されているんだから良いじゃない。現に王妃様の簪と歩揺に使われているのって造花でしょう? 贅沢三昧されるよりよっぽどマシだわ。それにあれなら私たちも真似できるし、可愛いと思わない?」

「確かに。あれなら私たちでも真似ができそうよね」

「今度、休みの日に作ってみましょうよ!」

 いつの間にか莉珠への噂話は流れていき、どんな造花を作るかで盛り上がり始めている。

 莉珠はホッと胸を撫で下ろした。それから立ち止まって、頭に挿している簪に触れる。


 実は、造花の簪は瑩瑩が考案してくれたものだ。

 王妃としての権威を落とさずに、倹約しながらお洒落を楽しんでいる姿を周りに見せれば、悪い噂も少しは抑えられると提案してくれた。

(どうやら瑩瑩の読み通りのようね。私には思いつかない方法だわ)

 瑩瑩のお洒落への執念と斬新な発想に改めて感謝の念を抱く。

 再び歩みを進めていると、厨房から香ばしい匂いが漂ってきた。中に入ると、如意が焼きたての(タオ)(スー)を皿に並べている。


 桃酥は小麦粉に卵やクルミ、蜂蜜などを入れて練り、丸く平らに成形して焼いたお菓子のことだ。

「如意、今日はお茶の研究はしないの?」

「ずっと同じ研究ばかりしていたら、段々気が滅入ってくるでしょ? だからたまには別のことをして気を紛らわせないと。ほら、瑛華様も食べて」


 如意は『あなた』でも『王妃様』でもなく、『瑛華様』と名前で呼んでくれるようになった。少し複雑ではあるけれど、それでも彼女が気を許してくれた証拠なので瑛華様と呼ばれる度に嬉しかった。

「じゃあお言葉に甘えて、一枚いただくわね」

 先王の娘が料理をするなんて信じられないが、彼女は元来料理好きらしく基本的にこの厨房で自炊をしている。

 莉珠は焼きたての桃酥を一口食べる。ほろりとした食感の中にクルミの芳ばしい風味と蜂蜜のほんのりとした甘さが口の中に広がっていく。

 あまりの美味しさに莉珠は感動を覚えた。


(いつもお姉様の茶菓を準備していたけど、自分が食べる立場になるなんて想像もしていなかったわ)

 幸福感に浸りながら食べ終えると、如意がもう一枚勧めてくれる。

(お菓子を食べて幸せそうにしていたお姉様の気持ちが今なら分かるわ。こんなに美味しいのね)

 甘い物が好きな瑛華は毎日ではないけれど、定期的にお菓子を食べていた。お菓子だけに飽き足らず、彼女は乳茶にも砂糖を入れるほど、筋金入りの甘い物好きだった。

(質の良い砂糖が手に入ったら、乳茶にたっぷりの砂糖を入れて飲んでいたわね)

 舌鼓を打っていた莉珠だったが、乳茶の存在を思い出してハッとする。

 うっかり手から桃酥が滑り落ちてしまった。


「どうしたの? 美味しくなかった?」

 莉珠が目を見開いて固まっているので、如意が心配そうに尋ねる。

 莉珠は首を横に振った。

「ううん、違うの。私、向こうでたくさんお茶を淹れる機会があったのにすっかり忘れていたことがあったの」

 莉珠は如意に乳茶について話した。

 要するに、今研究しているお茶も甘みを足せば美味しくなるのではないか、という期待が湧いたのだ。


「……なるほど。でも棗とクコの実の量を増やしても美味しくならなかったわ。それに砂糖は高級品だから手に入らない。同じように蜂蜜も高価だわ」

 如意の言う通り、砂糖や蜂蜜は特産品には向いていない材料だ。

「乾燥果実の種類を増やして甘さを補強するのはどうかしら? 単調な味が変化するかもしれないし、打開策が見つかるかもしれない」

 過酷な冬を越すために、蒼冥国では棗やクコの実以外の果実も長期保存するために乾燥させている。他のものと掛け合わせることで相乗効果が生まれ、美味しさが向上するかもしれない。

 如意は莉珠の言わんとすることを察してくれたようだ。

 囓っていた桃酥を口の中に放り込んで勢いよく立ち上がる。

「ちょっと食材管理人のところへ行って使えそうな乾燥果実がないか訊いてみる!」

 如意は莉珠に拳を掲げてみせると、急いで厨房から出て行った。


 残された莉珠も砂糖や蜂蜜の他に甘い材料がないか考える。

「お姉様が飲んでいた茶菓はどれも高級品ばかりだったから、あまり参考にはならないかも」

 姚黄国一の美姫であり、皇帝の寵愛を一身に受ける雹雪の娘でもある瑛華。周りに贅沢品が並ぶのは必然だ。反対に庶民的なものに手を出しているところなんて想像もつかない。

「何か使えそうな材料はないかしら」

 うーんと唸っていたら、コツコツと窓を突く音が聞こえてくる。

 莉珠が窓を開けると、星星が窓枠に留まっていた。嘴には枝が咥えられている。

「星星、それは?」

 尋ねると星星が窓枠に枝を置く。受け取れというように嘴で莉珠の方へ押してきた。

 その枝はほんのりと黄金を帯びていて、初めて見る樹種だった。


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