第14話
◇
「今、なんて言ったんだ?」
惺嵐は翠月の報告を聞いて困惑していた。
その一方で、翠月は飽き飽きした様子で口を開く。
「だから、王妃様が内廷費の三分の二を国庫に戻してくれってお願いしてきたんだ。その話は一ヶ月くらい前の話だよ。ちゃんと報告書読んでる?」
初夜以降、後宮に足を踏み入れていない惺嵐は休みも取らず政務に勤しんでいた。
瑛華が癇癪を起こしたり暴れたりすれば、それ相応の対応をするつもりでいたが、大人しくしている分には問題ないと判断して放置していた。
そして先程、国庫の帳簿に目を通していた惺嵐は『内廷費返還』という記載に目が留まった。しかも金額は予算の三分の二。
惺嵐は帳簿を指で差しながらこれは何だと翠月に質問し、その答えを聞いて耳を疑った。
「信じられないなら、自分の目で確かめなよ」
翠月は後宮報告書と書かれた冊子を惺嵐の顔の前へ突き出した。
受け取った惺嵐はすぐに目を通す。
安永城の後宮で贅沢三昧し、利己主義の権化のような瑛華が自ら内廷費を差し出すなどあり得ない。けれど、報告書にはしっかりと『国民負担軽減のために王妃自ら内廷費の三分の二を返還する』と書いてあるのだ。さらに次の行には別の内容も添えられている。
その一行を読んだ惺嵐は冊子からガバッと顔を上げて翠月を見た。
「待て。瑛華は自分の宝飾品を如意に渡して特産品の研究費に充てているのか!?」
目を皿にしてもう一度見てみる。やはり内容は同じだ。
瑛華なら与えられた内廷費は是が非でも確保しておきたいはずだ。それが身代わりの女官だったとしても、瑛華らしさを貫き通すに違いない。
なのに彼女は国民のために自ら行動している。
不可解な行動に惺嵐は首を捻るばかりだ。もしや、内廷費を返すといえば自分が会いに行くとでも思っているのだろうか。
そこまで考えてすぐに首を横に振った。
初夜の時に瑛華には愛するつもりはないと伝えてある。今更、こちらの気を引くような真似はしないだろう。
(そういえば、近頃如意の姿を見ていないな)
兄の愛娘である如意は、彼の意思を受け継いで特産品の研究に勤しんでいる。いつも定期的に会いに来ていたのに、最近は姿を見ていない。
(これは瑛華の宝飾品を元手に特産品の研究に没頭しているな)
合点がいった惺嵐だったが、ふと違和感を覚える。
「……ちょっと待て。王妃を迎えたのにどうして如意がまだ後宮にいるんだ?」
先王の娘である如意は仕来り上、惺嵐が王妃を迎えるまでの間は天藍宮殿の後宮内に留まることが許されている。
しかし惺嵐が王妃を迎えた段階で後宮を出て、王都にある別の屋敷へ移らなくてはいけない。にもかかわらず、彼女はこの後宮に居座っている。
「えっ、気づくの遅くない? 惺嵐が王妃様の紅蓋頭を外さなかったから、如意様は王妃様が妻として認められていないと判断して独断で居座ってるんだよ。少しは王妃様を気にかけてあげたら?」
あまりにも惺嵐が瑛華に無関心なので、流石の翠月も苦言を呈する。
「瑛華には申し訳ないことをした」
愛するつもりはないが、彼女が何不自由なく暮らせるよう厚遇せよと玲瓏を筆頭に後宮で働く侍女には言いつけてある。
だがそれも口先だけで実際は冷遇しているようなもの。後宮の外部に広がれば、瑛華の地位は完全に崩れ落ちるだろう。
椅子から立ち上がった惺嵐は、足早に歩き出す。
「惺嵐、これからどこへ?」
腕を組む翠月が片目を瞑って尋ねてくる。
「決まってるだろう。後宮へ行って王妃に会いに行く。不快な思いをさせたのだから謝らねば」
「それなら大丈夫だよ。王妃様はそんな風に思ってない。だって、彼女は如意様と仲良く特産品の研究をしてるから」
「は?」
惺嵐はピタリと足を止めて振り返る。
「如意様は王妃様の話し相手として、惺嵐が後宮に留まるようにしたって話で手を打っておいた。だから誰も王妃様が冷遇されているとは思ってないさ」
翠月は瑛華の地位を守るために水面下で動いてくれていた。抜かりない働きに、惺嵐は安堵の息を漏らす。
「おまえは俺の側近をするより後宮管理の方が向いているんじゃないか?」
「俺に宦官になれっていうの? やだよタマなしなんて」
翠月は頬を引き攣らせて顔を青くする。
「絶対宦官にはならない!」と騒ぎ立てる翠月を横目に惺嵐は顎を引いた。
(俺が見聞きしてきた瑛華と性格や態度が全然違う。一体どうなっている?)
瑛華がどういう人物なのか惺嵐は大体は把握している。
それは外交上、顔を合わせたからではない。
惺嵐は怪我をした星星と共に、安永城の後宮にいたのだ。厳密に言えば、星星の身体に魂の半分を憑依させていた。
惺嵐は手のひらをじっと見つめる。
(蒼冥国が小国でありながら、どうして数百年も存続できているのか。それは王家に代々伝わる秘術、魂命術があるからだ)
魂命術とは、己の魂の半分を動物に憑依させて行動する力だ。自身の身体と魂の半分は天藍宮殿にありながら、残り半分を別の生き物の身体に憑依させ、様々な場所へと移動する。
術者の魂と動物には相性があり、惺嵐の相性がいいのは鷲だった。魂命術が使える王族は幼い頃から厳しい訓練を受け、十歳前後で操れるようになる。
一見便利にも見える術だが、その扱いは非常に危険だ。
発動と解除の条件は対象の動物に触れて術を唱えるだけなのだが、魂の半分を憑依させている間に怪我を負えば痛覚を感じる。万が一、憑依先が命を落とすと術者も命を落とすのだ。
それでも国防のために王家は術を使って定期的に他国へ偵察を行い、不穏な動きを見つけると直ちにその芽を摘んできた。
因みに王族全員が術を使えるわけではなく、その人数は限られている。惺嵐以外に秘術が使えるのは、亡き祖父と一番下の弟だけだった。
そして訓練をする度に祖父は二つの戒めを説いた。
一つ目は力を使う際は細心の注意を払うこと。
二つ目は力を誇示し、傲慢にならないこと。
それらは惺嵐の骨身に染みるくらいしっかりと刻まれている。
また、王族と術者の側近以外は魂命術について口外してはいけない決まりになっている。したがって、この力を宮殿で知っているのは翠月と如意だけだ。