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第10話



 ◇


 風に当たるため、惺嵐は早朝から宮殿の屋根に登っていた。

 昔から一人になりたい時は、よくここに来て城下の景色を眺めている。

 高い内壁の向こうは軒を連ねた建物が整然と並ぶ。その先には城壁があり、美しい山容の棲雲(せいうん)山脈へと続いている。山頂は積雪しているようで、一面白色に覆われていた。


 惺嵐は棲雲山脈の頂をじっと見つめる。

(棲雲山脈を越えた先には大国の姚黄国がある。何本もの河に育まれた肥沃の大地では、豊かな作物が実る。……こことは大違いだ)

 向こう側とは山脈を境に気候ががらりと変わる。

 姚黄国は一年を通して比較的温暖で過ごしやすく、雨にも恵まれている。多種多様の作物が実り、食料には困らない。


 それに比べて蒼冥国は一年を通して昼夜の寒暖差が激しく、雨は滅多に降らない乾いた土地だった。耕地面積はそれほど多くなく、農耕技術の発達で昔より育つ種類も収穫量も上がったが豊作とはいえない。

 慎ましい生活は送れているが、国民の幸せのためにはもっと発展させたいというのが王家の願いだ。

 また、兄の代から特産品を生み出そうと模索してはいるものの、結果は芳しくない。

 惺嵐は兄を支えるべく、様々な知識を得るために旅をした。



 大国である姚黄国だけでなく、南にある伝統産業が盛んな国、時には砂漠を越えた先にあるオアシス都市国家まで渡り歩いていた。

 そこまで必死になって打開策を模索していたのは、惺嵐がこの国を心から愛しているからだ。雲一つない青天、乾いた土地でも力強く育つ作物の生命力。どれもこれもが惺嵐には愛おしい。

 自分は国王ではないし王位にこれっぽっちも興味はないが、この国の発展に貢献していきたい。


 そう思っていた矢先、突然兄の訃報を受ける。蒼冥国へ舞い戻った惺嵐は臣下に迎えられ、あれよあれよという間に王の座に就いた。

 それからの惺嵐は国王として様々な政策を打ち出した。各国で吸収した知識を元に農作物の生産性を上げ、騎馬術を取り入れて軍部を鍛えて防衛力も強化した。

 特に大国である姚黄国とは良好な関係を築くために注力した。


 もともと姚黄国は蒼冥国を蛮国と見下している。それは貿易商の横柄な態度からひしひしと伝わってきたし、使節団を送った時の官吏の反応からもそうだった。

 向こうはこちらを虫けらか、それ以下だと認識している。恐らく、攻め込めばいつでも潰せる小国だと高を括っているのだろう。

 ところが、その態度が一変したのはウシハ族の侵攻を防いでからだ。

 これまで一度も使者など寄越さなかったのに、彼と共に皇帝の親書が届いたのだ。


 親書には先の件に対する感謝がしたためられていた。そして次に、北部地域で暴れまわるウシハ族から互いの領土を守るのために同盟を結ばないかという提案が示されていた。

 そんな話を持ちかけられて心底驚いたし、どういった風の吹き回しかとも思った。

 後で調査して分かったが、姚黄国の北西部は長雨による被害がひどく、復興までに長い時間を要しているようだ。


 北部には辺境警備隊が敷かれているが、その人員のいくらかは復興へ手を回さなくてはいけない。要するにこちらと同盟を結んで、防衛力強化を図りたいようだ。

 蒼冥国もまた、長年ウシハ族にはやきもきさせられていた。毎年晩秋から冬にかけて北部の農村が襲われているのだ。

 これまで幾度となく煮湯を飲まされてきたが、北方の守りが強固になればこちらも被害を抑えられる。

 また、姚黄国と親交が深まれば、近隣諸国への牽制にも繋がるといううま味も出てくる。

 こちらにも利があると踏んだ惺嵐は、提案を了承した。それが三ヶ月ほど前の話である。

 そして惺嵐は、姚黄国の話を受け入れる代わりにある要求をした。


「まさか婚姻を申し込んでこんな結果になるとはな」

 額に手を当てる惺嵐は乾いた笑みを浮かべる。

 北から冷たい風が吹く。太陽が昇りきっていない時間帯である今は、夜と同じように寒い。春は強い風が吹き、夏は乾燥、冬は酷寒。もっとも過ごしやすいのは秋だが、秋も終わりを迎えようとしているこの時期は、夜になると厚手の羽織が必要になる。

 しかしこの寒さは惺嵐のざらついた心を落ち着かせるには丁度良かった。


「姚黄国の瑛華公主」

 惺嵐は唾棄する勢いで呟いた。

 真っ赤な婚礼衣装に身を包む、(うすぎぬ)の紅蓋頭を被った少女。

 二人きりになったあの時に、本当なら紅蓋頭を外さなければいけなかった。しかし、惺嵐は決して外さなかった。

 外せば()()()を受け入れることになってしまう。

 これは細やかな抵抗だ。

 やり場のない感情が胸の奥から込み上げてくる。惺嵐は吐き出すようにため息を吐いた。

 今さらこの結婚を白紙にはできない。送り返せば外交問題に発展し、この国を危険に晒してしまう。



「ピィー」

 不意に、どこからともなく力強い声が風に乗って聞こえてきた。

 惺嵐は空を仰ぐ。雲一つない空には、翼の一部が青い一匹の鷲が飛んでいた。

 強風にも負けず飛翔する身体。数里離れたところからでも目標を捉えられる視力。その能力は人が想像する以上に優れている。

 鷲は何度か旋回した後、急降下して鴟尾(しび)に留まった。


「おはよう、星星(せいせい)

 惺嵐は慈しむように星星の背中を撫でる。

「最近相手をしてやれなくてごめんな。婚礼準備で忙しかったんだ」

「ピィー」

 子供の頃から一緒に育った星星。長い間一緒にいるためか、星星は惺嵐の言っていることを理解してくれている。とても聡い鷲だった。

 星星と戯れていたら、不意に背後で人の気配がする。


「寝殿や執務室にいないと思ったら、こんなところにいたのか。薄着で長居すると身体を冷やすよ」

 振り向けば、腰に手を当てた翠月が立っている。

 翠月は惺嵐の側近だ。各地を転々と旅をしていた頃に行き倒れていたところを惺嵐が助け、それから行動を共にしてきた。

 二人きりの時の翠月は、惺嵐に砕けた言葉を使ってくる。


「冬はもっと冷えるから大丈夫だ。それに今は星星と戯れていた方が心も安まる」

「じきに朝議が始まるんだから、支度してもらわないと困るよ。まあ、新婚ほやほやだからみんな奏事は控えてくれるだろうけどね」

 翠月の神経を逆撫でするような物言いに、惺嵐は渋面になる。

 鋭い眼差しで翠月を睨んだが、当の本人は涼しい顔をしていた。

「知ってるかい? 惺嵐が王妃様の紅蓋頭を外さず、初夜を行わなかったから後宮は大騒ぎになってるんだよ」

「俺の知ったことじゃない」

 翠月はやれやれという風に肩を竦めた。


「箝口令は敷いているけど、外部に事実が漏れでもしたら肩身の狭い想いをするのは王妃様だ。あと困るのは惺嵐だって同じだろ。やんでいた縁談話がたくさん来る羽目になるんだからさ」

 惺嵐は今年二十二歳になる若き王だ。国内外から縁談話が数多く舞い込んでいたが、今回の婚姻が決まってからはぱたりとやんでいた。

 翠月の小言に対し、惺嵐はやめてくれというように手を振る。

「縁談話が来たら即刻断ってくれ。これ以上妃はいらない」

「だったら王妃様を大事にしないと。いくら恋焦がれている赤眼の公主が嫁に来なかったからって、姚黄国の公主を嫁にと望んだのは君なんだからさあ」

 翠月の最後の言葉に惺嵐はぴくりと眉を動かした。


「俺が求めたのは莉珠公主だ。ここにいる娘じゃない。国境で彼女じゃないと分かったのに、どうして送り返さなかった?」

「それは……」

 翠月は困ったように視線を泳がせる。

 最後の部分は完全なる八つ当たりだと惺嵐も分かっている。


 大国の姚黄国から嫁いで来た公主が意に沿わなかったと小国の蒼冥国が突き返せば、外交問題に発展する。下手すれば戦争の火種になりかねない。

 姚黄国との兵力の差は歴然としている。長期戦に持ち込まれたら、こちらが敗戦するのは必至だ。だから赤眼の公主ではないと報告を受けても、惺嵐は婚礼の儀を執り行った。

 状況を受け入れなければいけないと頭では分かっている。だが心はまだついてこない。


 翠月は頬を掻く。

「言い分は分かるけど、こっちは国境で君の意中の相手かどうかを確認するので精一杯だった。それと顔を見てないのなら言わせてもらうけど、可愛らしい方だったよ。目の色は赤じゃないけど、きっと惺嵐も気に入るはず」

「容姿なんて関係ない。彼女じゃないなら、嫁いで来たのは瑛華公主か、公主に仕立て上げられた女官のどちらかだ」

 可能性としては後者が高い。前者は気位が高く傲慢だ。

 そしてもし前者なら、今頃はもっと勝手気ままに振る舞っているだろう。


(これでも予防線は張っていたんだがな)

 万が一にも瑛華が嫁いでこないよう、惺嵐はわざと醜男という噂まで流していた。

 徹底的に姚黄国側が取れる選択肢を潰しておいたはずなのに、脇が甘かったようだ。

「もう婚礼の儀も済んでしまったし、正式な夫婦となるために紅蓋頭くらいは外してあげたら? ずっとこのままって訳にもいかないだろ」

「それは……」

 惺嵐は言い淀む。翠月は畳み掛けるように続けた。

「憤る気持ちも分かる。けど向こうだって覚悟をもって降嫁してきたのは事実だ。その辺は組んであげるべきじゃないかい?」

 姚黄国は蒼冥国が野蛮だという偏見を持っている。そんな中嫁いで来たのだから、彼女の勇気は認めなくてはいけない。

 惺嵐は口を開き掛けては閉じるを繰り返す。そして最後に苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。


「悪いがあの娘を愛すことは一生ない」

 惺嵐は翠月を一瞥した後、星星に触れて術を唱える。

「惺嵐、今から朝議だよ?」

 困ったというように翠月が首後ろに手を置く。

 その間にも惺嵐に変化が現れ始める。青色だった目がほんの一瞬、金色に輝いたのだ。


「全員集まるまでにはやめる。だが今は、星星と共に空を渡りたい」

 そう言い終えると、惺嵐は翠月を横切って梯子へと進んでいく。しかし途中でぴたりと歩みを止め、振り向きもせずに言葉をつけ加えた。

「王妃には快適な暮らしを保障するように。贅沢な生活を望むなら、それも叶えてやればいい。腐ってもあの娘は大国の姚黄国から来たのだからな」

「御意」

 手短に命じた惺嵐は今度こそ屋根から降りていった。


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