第82話 ほんとの気持ちは夢の中。
ここはどこだ。
あっ、そうだ。
今日は、母さんの誕生日。
父さんとプレゼントを買いに行く約束してるんだった。
父さんとデパートにいき、婦人用品エリアを物色する。すると、店員さんが、キラキラした宝石のついたブローチをすすめてくれた。
父さんは、財布を出すと、腕を組んで考えて。数分、悩んでから言った。
「いや、別のにするのでいいです」
「父さん、あのブローチ。母さん好きそうだったよ?」
「うん。いいんだ。他のにしよう」
「父さん、お金足りなかったの? なら、僕のお年玉も使っていいから」
父さんは答えなかった。
俺は、そんな父さんを情けなく思った。
それから、数年後。僕はお年玉がなくなっていることに気づいた。
僕は父さんが嫌いだった。
大人なのに、ブローチも買えなくて。子供のお年玉に手をつけないと生きていけないような、情けない大人にはなりたくなかった。
父さんは、政治家だ。
いや、正確には、元政治家だ。
裏金を受け取って辞職した。
不起訴にはなったが、その後、再び当選することはなかった。
なんで忘れていたのだろう。
俺は進学に苦労した記憶はないが、こんな家庭環境で、なんの苦労もなく、子供を大学院まで通わせることができる訳ないではないか。
父さんは、地方出身で、苦労して政治の道に入ったという。辞めた後も何度か立候補したが、やがて、それを諦め、職を転々とした。
どんな気持ちだったのだろう。
その日は、結局、近所のディスカウントストアで、少し立派なドライヤーを買ってプレゼントした。俺は、母さんが可哀想だと思った。
だけれど、母さんは喜んでいた。
それは演技ではなくて、本当に嬉しそうだった。
その日の夜、父さんと一緒に風呂に入った。
僕は、父さんに聞いた。
「もう、政治の道には戻らないの?」
「そうだな。やり残したことはいっぱいだけれど、皆んなが父さんに政治をして欲しいって思ってないからな」
「ふーん。でも、それは父さんが悪いことしたからでしょ?」
父さんは、一瞬、天井を見上げたが、すぐに俺の方を向き直し、バツが悪そうに笑った。
「あぁ。そうだな。なぁ、郁人。もし、お前が、いつか世の中に理不尽だと思ったら……。いや、いい。父さんにガッカリしたからって、政治にもガッカリしないでくれよ?」
「いやだよ。政治家なんて嫌いだ」
父さんは、寂しそうに微笑んだ。
父さんは、俺が大学の時に死んだ。
生命保険に入っていて、俺も大学院まで行くことができた。
ある時、俺は母さんに聞いた。
「母さん。父さんが議員をやめたとき、情けなくなかった? 嫌いにならなかったの?」
すると、母さんは、俺を抱きしめていった。
「そんなこと、一度も思ったことない。いつも一生懸命で。みんなの事を考えていて。ひょうきんで。わたしは、お父さんと過ごせて幸せだったよ?」
「俺は、そんな風には思えないな。俺たちを裏切ったじゃん」
「そっか。あの人は……、少なくとも、わたしは裏切られたと思ったことないかな。少し要領が悪くて不器用だったの。ただ……、いつかアナタが父さんと同じ道に進むことがあったら、同じ失敗はして欲しくはないかな」
そんな母さんも俺が結婚した後に亡くなったんだ。
次の瞬間、俺は、……僕は真っ暗な部屋の中に一人ぼっちになった。暗闇から悪魔が飛び出してきて、どこかに連れ去られてしまいそうで、怖くて。うずくまって泣いていた。
「父さん、母さん。怖いよ……」
すると、目の前が明るくなって、ぼんやりとした人影が現れた。その人影はどんどんハッキリとしていって。
それは、手を繋いだ両親だった。
母さんは、ただ俺を見つめて微笑んでいる。
父さんは、バツが悪そうに頭を掻いていた。
2人は後ろを振り向くと、光の中に消えていった。俺は2人を必死に追いかける。
「郁人さんっ!!」
不意に何かに抱きしめられた。それは、華奢だけど力強くて温かい手だった。
目を開けると、ぼんやりした視界が、段々と鮮明になっていく。だが、見えなくてもわかる。これは、りんごとつむぎだ。りんごは、顔を涙でグシャグシャにしている。つむぎも、柄にもなく、目を真っ赤にしていた。
周りには、さくら。綾乃、ことは。そして、瑠衣までも。
ここは病院か。
どうやら俺は、入院しているらしい。
壁には、あの日、俺が来ていたスーツが掛けてあった。ボロボロだ。
あぁ。おれは蹴られたのか。
……ズボンが見当たらないな。
俺のそんな様子をみて、入口ドアに寄りかかっていた神木さんが口を開いた。
「意識が戻ってよかった。山﨑さん、1週間も寝たままだったんですよ。殴られろとは言いましたが、まさか、こんなことになるとは。すみません」
あれ。
カレンは?
カレンがいない!
「神木さん。カレンは。カレンは無事なんですか?」
「北山さんは、軽い怪我をしましたが、無事ですよ。今は、売店に行っていて席を外しているだけです」
俺は映画などで、何度もこんなシチュエーションを見たことがある。目覚めたばかりの患者にショックを与えないように、嘘をつくのだ。
彼女は無事です。
今日は、たまたまいないだけですよ……と。