第74話 前哨戦。
かれんは頷いた。
すると、神木さんは、一般的な手順を説明してくれた。
「離婚の際には、まず調停をするのが一般的です。だけれど、DVのケースでは、相手に問題意識があることが少なく、うまくいくことは多くはありません。ですから……。それと、費用は……」
初期費用は思ったより安かった。
成功報酬にかかわる慰謝料や分与についても、お金よりも離婚の成立を優先させるという方針になった。サクラが正義の弁護士さんって言ってたのは、あながち嘘ではないらしい。
実際に弁護士を目の当たりにして思った。おれの人生にも、弁護士になる選択肢はあったのだろうか。だが、司法試験の熾烈さに尻込みしてしまった。彼は、どれだけ強い思いで、弁護士になったんだろうか。
「……山﨑さん!」
「あぁ、すいません」
「北山さん。一緒に頑張りましょう」
かれんは、さっきから俺の手を握っている。神木さんは、それを見て、ため息をついた。
「山﨑さん、しっかり北山さんを支えて……いう必要はなさそうですね」
事務所からの帰り道。
かれんに、今後は、離婚が成立するまでは、個人的な内容の連絡はしない旨を伝えた。
かれんは、寂しそうな顔をした。
後ろを振り返ると、サクラが、うたた寝しているのを確認して、耳打ちしてきた。
「わたしが、辛くて挫けそうになったら、助けに来てくれる?」
「あぁ。約束する」
すると、かれんはニッコリした。
バックミラーを見ると、サクラの目が一瞬、開いたように見えた。俺は戦慄を覚えた。
ふと空を見上げると、雲が照らされてオレンジ色になっている。少し遅くなってしまった。
時間がないので、そのまま俺の車で、かれんが住むマンションに行くことになった。
かれんが荷物を纏める間、エントランスの近くに車をとめて待つ。
車の中で、旦那が戻ってこないか監視する。
すると、サクラがゴソゴソと動き出した。
「うーん……。あ、郁人。聞きたいことあるんだ」
おれは再び戦慄を覚えた。
「は、はい、なんでしょう……」
「かれんさんと……、した?」
「……黙秘権を行使します」
サクラはぷくーっと膨れた。
「あのねぇ。郁人、……めっ」
「ごめん」
「郁人のこと大好きだから、わたしの気持ちがこんなことで離れることはないけれど、りんごちゃんとかいるし。ダメでしょ?」
「はい……」
なんだかんだ言って、サクラは優しい。
「さくら、言いそびれちゃったけど、新しい髪型も似合ってるな。そういうの肩上ボブっていうの?」
「ごまかしたなぁ? でも、ありがと」
俺は、いたたまれなくなり時計を見ると、かれんが入って30分以上経っていた。
遅いな。
かれんにメッセージを送る。
「そろそろ18時だぞ。まだかかかりそうか?」
「ごめん。見当たらない物があって……」
まずい。
旦那が帰ってくるのは、大体、18時半から19時頃らしい。20〜30分なら、たまたま早く帰ってきてしまう可能性もある。
俺はハラハラしながら、車内で待った。
イヤな予感がする。
駐車場に黒いセダンが入って行った。
5分ほどすると、スエット姿の男性が出てきた。
ポストに立ち寄ると、一直線にエントランスの方に歩いて行く。
スエットに黒髪のツーブロック。トップにパーマをかけて、オールバックにしている。かれんに聞いていた旦那の容姿に酷似している。
たぶん旦那だ。
まずい。
荷物を持った歌恋と鉢合わせになっても、家で荷物を探している姿をみられても、どちらも最悪だ。
今日、家を出れなくなるだけじゃなく、気取られて更なる暴行を受けてしまう可能性もある。
だが、俺が出ていくのも……。
いま、顔が知れてしまっては、今後の活動に支障が出る。それに、そもそも連れ出せないんじゃ、殴られるにしても意味がない。
俺が迷っている間にも、旦那は、どんどんマンションのエントランスに近づいていく。