第71話 おじさん、頼られる。
首のあたりから胸元にかけて、無数のアザが見える。中には男性の手形のように見えるものもあった。きっと、服に隠れているところにも、アザがあるのだろう。
俺は言葉を失ってしまった。
だが、聞かねば。
「おま……、それって。旦那さんに?」
かれんは頷いた。
「わかった。よければ、事情を聞かせてくれないか?」
歌恋はテーブルのジントニックを飲み干し、息を大きく吐くと、話し始めた。
「あのね。前に、旦那、浮気してるっぽいって言ったじゃん? 一日中、誰かとメッセしてる。でも、わたしが話してても、ずっとその調子なの。町内会のこととか、わたしが1人じゃ決められないから相談してるのに。しつこく聞くと不機嫌になるし」
「うん。それで?」
「夫婦で出ないといけない行事があってね。旦那がまとも話を聞いてくれないから、仕方なく、わたしが決めたの。そうしたら」
「うん」
「当日になって予定があったとか言い出して。きっと彼女と約束でもしてたんじゃない? でも、来てもらわないと困るからさ。それで「わたし相談したよね?」って言ったら、怒鳴られて、殴られた」
「それって今回だけ?」
かれんは首を横に振った。
「今回は特にだけど、今までもあった。いつも同じような感じ。とにかく、思い通りにならないと、わたしを殴るの。酔ってると、とくに酷い。わたし、いつか殺されちゃうかも。結婚する前は優しかったのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろ」
「それは辛かったな」
俺は歌恋の横に行き、肩を抱き寄せた。
聞いているだけなのに、胸が締め付けられるように痛い。
「ごめんね、こんな話。実はそれ以外にも……言えないこともあるの。でも、親にも誰にも相談できなくて。情けなくて、わたし、きえ……ちゃ…いた…い。ヒック。ハァハァ……」
歌恋は激しく肩を揺らしている。過呼吸気味だ。きっと、ずっと1人で溜め込んでいたんだろう。
俺は歌恋を胸に抱き寄せて、髪の毛を撫で続けた。
それにしても、DVとはわらえねーぞ。
プリン親父の俺がいうのもなんだが、不仲の中でも、暴力は最悪だと思う。自分より力の弱い者に手をあげるのは最低だ。
かれんは日常的に暴力を受けているのだろうか。
前に何かで読んだことがある。DVをする男は、つねに凶暴じゃない。暴力の後には優しくなったりする。これをハネムーン期と言うらしいが、この愛情の寒暖差にあてられ、女性は離れられなくなってしまうらしい。
だが、おれは確信している。
DVは、直らない。そもそも、やった本人も直後には本気で反省しているのだ。だが、頭に血が上ると、考えるより先に手が出てしまう。……病みたいなものだろうが、治るとは思えない。
かれんは、ただ俺に話を聞いて欲しいのだろうか。
否。
殺されるかも知れないと思うほど、追い詰められているのだ。もっと、具体的な救済を求めているのだろう。
かれんに聞いてみるか。
「かれん、それで、どうしたいの?」
「え。わかんない。わかんないよ。誰にも相談できないし。旦那のこと考えると怖くて、手が震えちゃうし、どうしていいか分からない。郁人くんが抱いてくれたら、その間だけでも、忘れられる……の…かな?」




