第58話 おじさん、日常に戻る。
温泉旅館から帰ってきて、2週間ほど経った。
あれかは、さくらとりんごは連絡を取るようになったようだ。
りんごは、さくらに色々と学校の悩みを相談しているらしい。俺としては、りんごに良いようにして欲しいところだが、りんごは人見知りというか、遠慮したがりで、なかなか俺には本心を話してくれない。だから、さくらと仲良くなってくれたのは助かる。
そういうわけで、俺はいま、さくらの家のベッドにいる。俺の右腕を枕のようにして寄り添ってくるサクラは、今日も可愛い。
旅行のあとから、さくらのことが可愛くて仕方ない。
だから、話しておかないと。
「さくら。あのさ、俺の子供ほしいって言ってくれたじゃん? でも、おれ無精子っぽくてさ。ごめん」
すると、さくらは、俺から視線を逸らすと、少し悲しそうな顔になって、口をつぐんだ。
……ひかれちゃったかな?
さくらは、眉を下げると目を細めて抱きついてきた。そして、顔をすり寄せてくる。俺の頬に、生温かい液体がついた。
汗? 涙? さくらは泣いているのか?
さくらは口を開いた。
「……じゃあ、もしかして、つむぎちゃんは?」
俺は頷いた。
そう。つむぎは俺と血が繋がっていない。
さくらは、上に這い上ってくると、俺の顔を胸の辺りで抱きしめた。穏やかに脈打つ、さくらの心臓の音が聞こえてくる。
「そっか。郁人。辛かったね。うん。郁人は頑張った。えらいよ」
さくらはすっかり先生モードだ。
なにやら、さくらは、右人差し指に顎を置き、悩むような仕草を見せている。
やはり、子供ができないことがショックなのだろうか。
「……ね。お尻に入れていいよ。郁人もしたことないって言ってたでしょ? わたしも初めてだよ。郁人にあげる」
そんなことで悩んでいたのか(笑)。
自分の心配より、俺の事らしい。
俺を元気づけようとしてくれる気持ちは嬉しいのだが、生憎、おれはそちらの世界には興味がない。
丁重にお断りすると、さくらは少し残念そうな顔をした。
「もしかして、さくら、したかったの?」
「ううん。でも、郁人に、なにか初めてをあげたかったの」
「じゃあ、今度、マッサージしてよ。性力が強くなるツボとか覚えてくれると嬉しいかも?」
さくらは笑顔になった。
意外にまじめだから、本気で覚えてくれそうだ。
「わかった。……ね。もういっかいしよ?」
さくらが際限なく求めてくれるのは嬉しいのだが、ちょっと体力的についていけない。無駄に浪費していた高校生の頃の性欲が戻って欲しい。
エッチもひと段落して、さくらが紅茶を入れてくれた。って、さくらは全裸で服を着る気配はない。まぁ、グラビアアイドル顔負けの身体してるからな。自信の表れだろうか。
俺は太鼓腹だし、あれほど堂々とはできそうにない。
さくらは、椅子に腰掛けると眼鏡をかけた。
「りんごちゃん。本人が希望しているし、転校がいいと思う。高2の今の時期だとバタバタしちゃうけれど、早い方がいいと思う。ウチの学校でいいなら、わたしも手続きについて調べておくよ」
「ありがとう」
「りんごちゃんと最後までしてるの? 正直、妬いちゃう。まだしてない? ほんとかなぁ。もし、そうなっても、わたしのこと捨てちゃイヤ」
そういうと、さくらはまた抱きついてきた。そして、不安を解消するかのように、上に跨ってくる。
数時間後、フラフラになりながら、さくらの家を後にした。パーキングまでの道を歩く。
もうあたりはすっかり暗い。
ほんと、さくらも、いい子だよ。
優しいし綺麗だし。
俺が独身だったら、結婚したいくらいだ。
もし、俺にバツがついたら、1番いい相手はサクラなんだろうなと思う。俺からしたら十分若すぎる相手だし。
綾乃やりんごには、こんなおじさんのことよりも、自分の将来を考えて欲しいし、瑠衣はよく分からんところがあるし。
って、まだまだしばらくは、おじさんに訪れたモテ期を手放すつもりはないけれど。
途中、時々使うカフェに立ち寄ることにした。
家に帰る前に、少しリフレッシュしたい。
大きめのココアを頼んだ。
ココアと言っても、都度、チョコレートを飾り、小さな鍋で作ってくれるので数分かかる。
凝った作りの店内を眺めながら出来上がるのをまつ。アーチは尖っていて、飛び出した梁が露出したゴシック調の造形だ。ステンドグラスも見える。
すると、店内の雰囲気にそぐわない金髪の店員さんがココアを運んできてくれた。金髪ではあるが、メイドさんのような制服がよく似合っている。
「お待たせしました」
店員さんと目があった。
おれはその奥二重に見覚えがあった。
名札に視線を落とす。
『神無月 詩』
見覚えのある名前だ。
旅館の仲居さん……?




