第53話 椿の山のさくらと咲良。
わたしには親友がいた。
だけれど、いまはいない。
彼女のお墓は、北海道の大雪山の頂にある。
覚えている人もいるかもしれない。
『◯◯高校、大雪山遭難事件』
その年、大雪山は例年になく早い初冠雪を記録した。
彼女、山里 咲良は私の親友だ。わたしが、いじめられているのを助けてくれて。名前の音が同じだったこともあるのかも知れない。
そんなキッカケで、わたしと咲良は友達になった。
彼女は、わたしには理解できないような難しそうな小説をいつも読んでいて、すごくすごく優しくて勉強ができる子だった。
そんな彼女の夢は、お医者さん。
すぐにお医者さんが訴えられるこのご時世に。
立派な夢だと思った。
なんの夢もないわたしには、彼女は眩しくて。
わたしは、彼女に密かに憧れていた。
ある日、咲良の家に招かれた。
彼女の家は、古びたアパートで。
お嬢様然としたイメージとは、かけ離れていて。少しだけびっくりした。
ドアを開けると、小さな子供たちが抱きついてきた。咲良の家は母子家庭で、普段は、咲良が妹たちの面倒を見ているらしい。
「意外だったかな?」
咲良は、少し気恥ずかしそうにそう言った。
でも、わたしには、むしろ好ましく思えた。
咲良の部屋(というか、咲良の棚?)には、ラノベが沢山並んでいた。いつも小難しい本を読んでいると思っていたので、これも意外だった。
それから、わたしと咲良は、ラノベの貸し借りをするようになった。そのうち、咲良が、こんなことを話してくれた。
「わたし、ラノベのキャラになりたいんだ。大学生になったら、頑張ってバイトして、コスプレしてみたい。さくらちゃんも一緒にやろ?」
だけれど、咲良の夢が叶うことはなかった。
お医者さんも、コスプレも。
ぜんぶ、わたしのせいだ。
高2の時、学校行事で北海道に行った。わたしが通っていた高校では、ロープウェイを利用した秋の大雪山へのトレッキングが恒例だった。グループに分かれて、各々のタイミングでのぼる。
他のグループは5、6人だったが、友達の少ないわたしは、咲良と担任の先生との3人でグループになった。
バスで麓まで移動し、そこからロープウェイに乗る。ロープウェイで、山の中腹までショートカットできるのだ。その恩恵で、ほとんどの生徒にとって、大雪山は、初心者でも観光できる場所という認識だった。
その日の大雪山の天気予報は、降水確率0%だった。だから、私達のトレッキングは予定通りに実施された。ロープウェイからは、遠くの方に厚く黒い雲が見えたが、風下だったし。
きっと大丈夫なのだろう。
中腹の終点駅で降りると、あたりは晴天だった。遠くの暗雲もなくなっていた。
そこからは、山頂まで3時間、往復で5時間強のコースだ。30分ほど歩くと、大きな湖が見えてきた。青い湖面に、紅葉の準備をはじめた木々が映り込んでいる。
あたりは小さな盆地のようになっていて、高山植物が生い茂っている。視界に人工物がない風景は、生まれて初めてだった。
その奥には、天狗岳が見える。
これから目指す、山頂だ。
そこから1時間ほど歩くと、あたりに植物がなくなった。
「森林限界を超えたのよ」
そう言ったのは担任の先生だった。彼女は、まだ20代後半で、背が小さい。少し太めの眉が印象的な可愛いらしい女性だった。
先生の中では歳が近いこともあり、話しやすかった。今回も友達が少ないわたしを気にかけてくれて、グループに入ってくれたのだ。
そこからは、先生の話を聞いたりしながら歩いた。
先生は子供の頃にイジメられていて、その時の担任の先生が親身に話を聞いてくれたらしい。
『この話、わたし聞いていいのかな』
わたしは、なんだか少し申し訳ない気持ちになった。
だけれど、先生は前をまっすぐ見て言った。
「先生に会えなかったら、いまの私はなかったと思う」
そうか。
先生は乗り越えたんだ。
「わたしも、先生のこと好きだよ」
わたしも、咲良と先生のおかげで乗り越えられそうだよ。
先生は微笑み返してくれた。
「ちょっと止まって」
先生が足を止めると、先生のゆったりした三つ編みが揺れた。
わたしも足を止めると、目の前には絶景が広がっていた。紅葉と雪溪が同時に存在する光景。それは神秘的で、このあたりが『神の高原』と呼ばれている意味が分かった気がした。
「2人とも、あれ見える?」
そこから1時間くらい進んだ頃、先生がいった。わたしは、目を細めて先生が指さす方向を見ると、いつのまにか黒くて暑い雲が発生していた。
それは真夏の入道雲のように厚くて、その下は暗くて、光が差していないようだった。
「引き返しましょう」
先生の判断は早かった。
だけれど、ロープウェイを降りてから、既に2時間以上歩いている。アレに追いつかれることなく、逃げ切ることができるのだろうか。
山の天候は急変するというが本当だった。
気づくと、わたしたちはあの暗雲に巻き込まれていて、どんどん気温が下がっていくのがわかった。
まだ9月だったが、標高もあいまって、気温は低い。それが、目に見えて下がっていく。時々、風が吹くと、一瞬、あたりが真冬になってしまったと思うほどだった。
突然だ。
突然、信号二つほどの距離に雷が落ちた。
雷鳴は稲光とほぼ同時だった。
稲妻が、わたしの鼓膜をつんざこうとする。
わたしは思わずうずくまった。
すぐに、ピンポン玉ほどの雹が降ってきた。
辺りにドスドスと氷塊がおちる。
いくつかは、わたしの肩や背中にあたり、激痛が走った。
こわい。
こわい。
こわいよ。
すると、先生に手首をつかまれた。
「つばきさん、こっち!!」
だが、あたりはアッという間に霧に包まれた。
わたしは、叫んだ。
「えっ、先生。咲良は? ……何も見えない。どっちいったらいいか分からないよ」
辺りは真っ白で、何も見えない。
わたしは、ただ先生について行った。
すると、霧の先に咲良がいた。
よかった。
道はアップダウンがあって、景色の助けがないと、どちらが山頂でどちらが山麓かのかも分からない。
少し進むと、咲良が、ずっと先に見える岩を指差した。それは、人間の何倍もありそうな大きさの岩だった。
「あれ、……なんだろう」
わたしは、それに見覚えがあった。
「先生。あれ、天狗岩だよ!! わたし、ガイドブックで見たことある。あれを正面にみて左側が下山ルートなんだよ」
その時のわたしは、少しだけ気分が良かった。
たまには、わたしも皆を助ける英雄になりたかったのだ。
だから、ガイドブックに注意書きされていた、本当に大切なことを忘れてしまっていたのだと思う。




