七冊目『未必のマクベス』
「府雨の読書日記」七冊目『未必のマクベス』
『未必のマクベス』
著 早瀬耕
シェイクスピアの『マクベス』を翻案した当作品。大学の生協書店で買って、なぜか読了。
大学時代、読めた本は三冊くらい、その中の一冊。
文庫で買いました。
友達にも薦めて、好評を博しています。
香港が舞台です。
僕は、北京語(中国の標準語「普通話」)の勉強が好きですが、最近香港の人と話した時、香港で普通話は通じるの? と聞くと、「俺はわからん。英語ならいけるけど」と英語で会話した記憶があります。
じゃあどうやって行政文書をやりとりしてるの? と聞くと、「北京語と広東語、使う文字は一緒。無問題」と返されました。
好きな中国歌手に「等什么君」という歌手がいるのですが、「逐月尋歌」という歌は、歌い出し二行が広東語で、北京語とは全然違う。めちゃいい。
北京語には詰まる音「っ」がないという話を大学時代に聞いて、確かにないな、と後で勉強して確認。
香港の哲学者で「ユク・ホイ」さんという方がいます。彼の著作で翻訳されているものに『中国における技術への問い』という本があります。香港の思考フレームワークは中国と西洋の深いところまでアクセスできるらしい。
僕が生活的縛りの中で、考えることができない(理解できない)ことを、ぴょーんと手を伸ばして考える。
僕が足し算や引き算をやっている間、ユク・ホイさんは関数を使って演算している。いくつかの言語が、精密に彼の中で駆動している。
香港という場所で哲学をするのは、東京で哲学をするのとどう違うんだろう。
とかとか考えていたら『未必のマクベス』を置いてけぼりにしていた。
主人公の人間関係は、とても日本的な練れつつ皮相的なもので、僕はどこか「島耕作」を思い出してしまった。
人間関係が間接的かつ直線的。僕は、彼らの友達にはなりたくない。素朴すぎるし、理屈っぽい。
例えば安全のために高級ホテルを住まいにするとか、それって安全に対する逆説的な無関心であり、都市伝説なんじゃないのって思う。
それとは別の切り口から安全を脅かされるわけですし。
でも、プロットとしては説得力がある。面白いし。
そんなひねくれ読解は求めてないですか?