六十九冊目『組織の違和感』
「府雨の読書日記」六十九冊目『組織の違和感』
『組織の違和感』
著 勅使川原真衣
新宿のブックファーストに並べてあったので、サイン本を買いました。
立ち読みして、最近悩んでいたことと関連するかな? と思って。自己啓発のうちに入る本で、あまり読むことのないタイプでしたけど、困っていたので、何か手掛かりがあればと。
違和感という言葉は昔から好きです。タイトルの「組織の違和感」については、組織という言葉への理解が皆無なので、半分はわからないですが、違和感については色々考えてきました。
なんか変だな、と思うのはもちろん学ぶ上で重要なスキルですし、違和感がなくなったら終わりと言えます。
この本で書かれていた違和感の解消には、能力主義への抵抗という側面があると、筆者も書いていました。
一方で学びには、言語化されず、提示もされず、淡々と言われたことをやり、年月が過ぎると「ハッ、そうか」と肘を打つことがあるかと思います。
師匠が違うのか、時代が違うのかわからないですけど、違和感を抱え続けて、何も教えられないという提示の仕方もあると思うのです。
柔らかさと硬さというのか、組織と個人というのか、相性と能力というのか、属人的な性質とその人の行為そのものというのか。
存在を肯定する。性質に基づいた相性を組み合わせる。割とパキッとした本書の表現に、肯定できない時は? 相性以前にショートカットキーのControl Cくらいはせめて……、とか思うのは、いけないのでしょうか。
家族なら、純粋に肯定(あるいは否定したり)することが許されるでしょうけど、友達や同僚の存在を、僕たちは肯定しなくてはいけないのでしょうか。
あるいはそれは、コードとして「否定しない」という程度の意味なのでしょうか。
自分には担えない相性的な壁から、他の人に任せる形で退くのは、ダメなのでしょうか。
組織の、というからには管理職が専権的に考えることなのでしょうか。
という感じで、めちゃ悩みます。
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人間関係に対する見方が、人によって違うのも、最近すごく感じます。
自分にはそう思えないことが、普通に主張されていて、なかなか違うと言い出せない。
問題があって解決するというフレームワークから離れた、ちょっとしたエピソードが、理解されなかったりする。
「違うでしょ」
そう言われる時本当に違うのは「僕のエピソードが言いたかったこと」ではなくて「僕のエピソードそのものの曖昧な表現」だったりします。悔しい。
でも、保留することなのかとか、思うけどそれも単純な回答にはならないでしょう。
仕事だから、という言葉がどんなふうにも使えるように、諦めや義務感、言い訳その他の、全く本質的ではない説明に、いやというほど費やされるのを聞いて、やはりきちんと柔らかい部分に触れる言葉遣いをしなくてはならないんだなあとばかり、思う次第です。
それにしても本書にあった「観察」という言葉はかなり面白い。自分が人を観察したことがないことに、気づかされました。他人の言葉に反応してしまうのは、僕の悪い癖です。
どうして顔を背けたのかとか、そういうことの背景を透徹できれば、こんなに苦しむこともないのに。




