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六十七冊目『老いのレッスン』

「府雨の読書日記」六十七冊目『老いのレッスン』


『老いのレッスン』

 著 内田樹


 内田樹の本は、ソフトドリンクのように飲みやすいです。多分長年(高校生の頃から)折に触れて飲んでいるから、飲み慣れているというのもあるみたいで、父親とかに薦めても「酒」が好きな父親は、美味しくないと言います。


 老人は首尾一貫していないという説を若者に対置して最初に述べていましたが、内田樹の不首尾一貫は、まだわりと若い僕でも、十分に血肉にし、体感するものでもあります。


 たぶん内田樹を読んでいて、育ててもらったからそうなっているのだと、想像する次第です。


 今日は、京王線でちんたら幡ヶ谷に向かう途中で、Jane Zhangの「第七感」を聴きながら読了しました。「第七感」に使われている語彙は、ある程度現代中国語なので、なんとなく意味がわかります。


 その『老いのレッスン』は一昨日多摩センターの丸善で買って、本当に漫画を読むみたいにあっという間に読み切りました。


 新年早々忙しくて、目が回りそうでしたが、とりあえず日常通院で病院に行く今日の電車の中で、この日記が書けることを幸福に感じます。


 内田樹から学ぶことは多く、その中でも最も自分に感が深いのは「自分だけが損をしている」と思わないマインドです。


 そのマインド自体は、直接本書に書かれているわけじゃないですが、右にいっても左にいっても、内田樹の文章から受け取れる、重要な資質に思えます。


 家族を養ったり、年下の親戚を可愛がるというのは、もしそういうことを「しろ!」と言われてもできない。


 自分だけが損していると思ったら、つまり利益衡量が始まったら、正直何もできない。


 僕は時々思いますが、「その人が好きだから」という理由で、何かをしてあげることは、少し損な思考に思えます。


 嫌いだからやらないというマインドに接続しますし、そもそも好き嫌いは遷移します。


 僕は好きな人も嫌いな人も、みんな人ですし、人には親切にするものという考えを内田樹と共有しています。


 自分に得があるのは「当たり前」です。親切が割に合うことは、わかりきっているから。親切は健康にいいので。


 こういうのは首尾一貫しているという論理の話ではなく、体感です(みたいなことを内田樹はよく言う)。


 あまり人を当てにしていないという意味では冷血なのに、親切。その整合性を気にする必要は、今のところないです。僕の話です。


 僕は、皿洗いをしている時に、家族を愛しているのか? と、思うようにしていたら、そのイメージがやがて、現実になったことに気づきました。


 僕は感情というものが欠けているタイプですけれど、感情というものをエミュレート(仮想空間で動かす)ことで、さまざまな実感を身につけてきました。


 感情そのものは、あまり僕には訪れないのですが、感情に付随する感覚は、習慣として実体化しているように思います。


 つまり、全てが腑に落ちてないと我慢できないという状況を、長い時間(十年くらい)かけて抜け出したような気がするのです。


 全てが腑に落ちてないと我慢できないのは、若者の特権的な感覚で、それが免罪符となって自分の行為を正当化します。


 正当化する必要のある行為は、そもそも正当ではないし、正当化する必要のある感情は、正当な感情ではありません。


 本書には「老い」にまつわる話として、現代の「姥捨」の話がありました。若者は「お荷物」を捨てたいがために、社会保障を切り詰める話をよくします。


 友人も「現役世代の負担」軽減を求めて日夜僕と「ディスカッション」します。


 僕は、現役世代が負担できる範囲でなら、負担してもいいと思っています。税金が重いと思ったこともありません。


 僕は低所得者ですが、ちまちま本を読む栄誉を賜っているので、それ以上のことを望みません。


 稼げる人が負担することの何が嫌なのでしょう?


 働けない人を養うのは、正直当たり前ですし、時間的に見れば誰でも、社会保障のお世話になります。つまり、いつかは働けなくなる。


 本書でもあるように、自分が老人になることを想像できない故の、朝三暮四的なリーズニングが、若者の中に幅を利かせている。


 僕は一日十五錠薬を飲んで医療的な社会保障の恩恵を被っています。でも、現役世代の負担に着目する若者は、僕が薬を飲み続けないと発症する病気にかかって十年以上になることを、想像できない。本当に想像できない。そういう友達に限って「府雨は別だけどね」とか恐ろしい差別をするのです。


 それは、その人にとっては単なる友達(特別)扱いなのかもしれません。僕にとっては健常者も病人も等しく人なのに、僕を「友達だからという理由で」配慮すべきと考えている部分において、差別だと感じるです。


 病気や障害、個別的な悩みから、孤独まで、人はそれぞれ負うものがあります。その重荷を分かち合い、負担できるところは負担するのが、人だと思うのです。


 そういう差別的な言動をしていいと思っているのは、病気や障害がその人の中で「お金」に換算されているからです。これは、間違いない。


 でも病気は端的に「苦しみ」であり「肉体的苦痛」です。その痛みを理解するのは、首尾一貫している言語操作よりずっと大切なことです。


 そうすると友達は言うでしょう。俺だって苦しみは抱えている。抱えていても苦役を担っている。


 仕事ができるのは幸福です。苦役でもなんでもない。病気がちな人は仕事ができない。それは何にもまして深刻な苦役です。その苦役を免れているのに、自分の健康を「損」だと思うのは、結構な勘違いです。


 能力があり、それを発揮できるうちは、誰かに助けてもらっていると思わないのは、わかりますけれど。


 能力主義、痛みへの想像力の欠如、個人主義。


 僕はそれらを希釈化するように高校時代教育されました。内田樹によって。


 それは、考えてみれば「世代」という共通で並行な時間と、教育という「世代間垂直的」な時間の絶えざる交渉でもあるはずです。


 情報の情報側面だけでなく、メタ情報的に誰がその情報を、一体いつ何のために言っているかを理解する必要があります。


 人は、おそらく「友達」や「味方」がどうして自分にとって親密なのかを直感的に知っています。理由なく、理由を付す必要もないと思っているか、あるいはある程度徹底した理屈によって。


 そういう人と付き合うことは実感できるけれど、年寄りがどんなふうにものを考えているかはわからない(僕もわからない)。


 それは大体世代間の同質性と差異によるものです。


 彼らは「なんとなく一緒」だと思ってその理由を探すまでもない同質の「友達」を贔屓し、それ以外の人を冷遇することに、なんのためらいもありません。


 それが実感だから。


 でも、実感に逆らう必要があることを、教育者は教えてくれます。内田樹とかね。


 その実感は、ある意味で架空のものです。だって考えていることが「わかる」友達と「わからない」老人を対比しているから。つまり、本来的に「人」の見地に立てば、わかるとかわからないとかという低い次元ではなく、他者は絶対的に自分以外であり、表出しているのは言語です。


 言語を介さない伝達ができるのは、自分と自分の精神だけです。それだってある意味で言語でやりとりしています。


 言語への無防備な信頼は、理屈好きの人に見られる「美質」ですが、僕は言語の情報表現は虚構にしか思えないので(冷血なのでパターンにしか見えない)、こういう他者観になるのでしょう。


 勉強が好きな人は、定義することを好みますが、定義という操作に僕は特段の内容的豊富さを感じません。


 だから哲学が好きではありません。


 内田樹は「議論する前に先んじて一義的な定義を要求する」哲学的操作に懐疑的ですが、まあ大体僕もそうです。面倒だし、楽に話ができないから。図式化するのも苦手です。図が読めないので。僕の話ですが。


 というのも「定義できるなら問題ない」わけで、定義できない議論をあらかじめ「わかっている」というのがそもそも前後の顛倒だからです。


 論理的で首尾一貫していることが、知性の証だと言った友達がいたことを思い出します。なんとなく可愛い。中学生みたいです。


 それは、自分のアトモスフィア(論理的で首尾一貫している)を共有している人としかコミュニケーションができないという、恐ろしい傲慢さだと思います。つまり、自分が知的に優越していることを前提に「サロン」を作ることで、他者を排斥する。


 包摂できないことを恥じない。


 内田樹は本書で「他者はわからないものだ」という至極当たり前の話をしています。ながながと。結婚とか友情とかそういうものをなぞって蛇行しながら。


 わからない人と一緒に暮らしたり話したりすることは、創造的な営みです。生成的であり発展的でもある。


 対置されるのは、固定的で変化のないソリッドな関係です。それがないと不安というのは、なんとなく昔から若者の特徴な気がします。


 たぶんそれは「勝ち負け」がある場所で、「正解」を追い求めてきた若者の内面化した好戦さがなす処世術で、それ自体若者世代の流行病ではあるのでしょう。


 受験はきつかった。思い出したくもない。崩壊していく無音に、臓器を持ってかれたみたいな、ぬめりを感じます。まあ、それはそれ。

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