五十七冊目『ほんとうの中国 日本人が知らない思考と行動原理』
「府雨の読書日記」五十七冊目『ほんとうの中国』
『ほんとうの中国 日本人が知らない思考と行動原理』
著 近藤大介
最近本を読んでいなかったのかと、振り返って、しばらく小説を書くのに熱中していたことに思い当たりました。あと積分サークル見てた。
同僚が近藤大介のYouTubeを見て紹介してくれて、ちらちらと新書棚にあるのは知っていた本書を、手に取りました。南大沢の文教堂で買ったのです。
最近しばらく本を読み切ることができていなくて、何冊も買っては積み買っては積み。
本当は、『源氏物語』も読み続けたいのに、なかなか気持ちが上向かない。
そういう時は大概新書で、読み差しは何冊もあります。
僕は小説を読むのが苦手で、評論文ばかりになってしまっていて、ここの読書日記も、もうちょっと小説があればなぁと思っています。
中国の本は定期的に読みますし、小説の題材に採ったりもしています。中国語はちまちま勉強する程度で、まるで使い物になりませんが、この前銀座の時計塔下で無印良品の場所聞かれました。ダイレクトに中国語で聞いてくるから「そういうもんなのか!?」と思ったのですが、無事「まっすぐ行って左」と伝えられました。どやぁ???
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本書は、いわゆる中国「文化」物、ですね。考え方や思考パターンの大枠で論じていた。
もちろんそこには歴史とか経済とかも関わってくるのですが、文化と人間は必ずしも同じ挙動を示すわけではないし、抽出される人たちの母集団によって、結果は変わる。(当然ですが)
たとえば日本における日本人マジョリティの枠組みも、実は同じような粗さでスクリーンされていて、僕は「最近典型的な日本人見てないなぁ」と思います。
想像できる人間像が人によって違うから当然だとは思うのですが、そこには少なからぬ「人文学の妙味」があるはずで、人間を追究するのに、正直「文化」ほど当てにならないものはないと、僕は感じています。
東京に住むというのは、典型的日本人だと思うのですが、そこに「典型」は特にない。
わかるのは一人暮らしか、核家族かとか。子供が平均で何人いて、何人家族でやっているとか。車を持っているか持っていないかとか。
そんな程度のことで、彼らの精神をそこから推し量ることは、正直不可能に近い。
僕は、楽しみは「なろう」にしかないと言えるくらい、侘しい生活を送っていますが、たまにアキバに行ってフィギュアを買ったり、新宿紀伊國屋で本を買ったりします。
そんな僕が、どんな人であるかはきっと、読んでくださっている方も、あんまりわからないと思います。
矛盾している思考をすることもあるし、僕の中で結論が出ていないことを書いているのも、なんとなくわかっていただけるのではないかと、思うのですが。
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日本人と中国人が違う、というのは、はなからわかりきっている。
では、どう違うのか。僕はこれ、問いの立て方としては不十分な気がする。
客観的な違いより、日本人が中国人と、どう笑い合うかを考えるべきと思うのです。
一つには言葉を覚えることでしょうし、一つには話題を共有することではないでしょうか。
差異をことさら強調して、異文化コミュニケーションに持っていくのは、平成的で、どこか傲慢な気がする。
日本は小さくて、中国は大きい。
日本は競争が緩く、中国は激しい。
いや、それはわかるのだよ。僕はその先が知りたいんだよ。
知中派のおじさんたちは、いつも中国を上げ、日本を落とす。
保守派で中国語は「你好」しか知らない(論外、やる気あんのか?)おじさんたちはやっていることは日本を上げ、中国を落とす。
上げても落としても何も変わらないし、単なる「枠組み」のままなんだよな。枠組みの中の絵が欲しい。
中国と日本はこれから徐々に近づいていく。その時に、僕は何をすればいいのかが、知りたかったんだけど……。




