五十六冊目『哲学史入門Ⅳ 正義論、功利主義からケアの倫理まで』
「府雨の読書日記」五十六冊目『哲学史入門Ⅳ』
『哲学史入門Ⅳ 正義論、功利主義からケアの倫理まで』
著 古田徹也 児玉聡 神島裕子 立花幸司 岡野八代 ブレイディみかこ
編 斎藤哲也
児玉さんの『オックスフォード哲学者奇行』を読んでいたので、この本を見た時、一から三巻には目もくれず、四巻だけ購入。読みやすくて、勉強になりました。
柔らかい言葉で書かれていて、細かい字句解釈が不要で、とても読みやすいです。
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大学時代の友達と議論すると、必ず正義と平等の話になる。
キーワードは「正義」と「平等」。
僕はコスモポリタンのような立場になることが多く、友達は手続き的な正義を主張することが多い。
友達の場合、国境の内と外で、不平等があるのは容認される。国家にはそれぞれの目的や文化があるからか、内外の不平等は問題にされない。ロールズもその立場だったらしい。
無知のベールの話をしてくれたのが、その友達だった。
僕は、不平等というのは、あくまで不平等だという立場を取るし、実質的に差異があることを、無化することはできない。
でも、友達の立場が、学問的に一つの立場なのだということを知れてよかった。逆に僕の立場も、相対的に一つの立場でしかない。
でもそういう立場の違いは、人の経験や感覚により、例えば外国人嫌いみたいな、一つの見方によって、予断的に生まれてしまう。
アファーマティブ・アクションとかに対する意見も、僕と友達では180度違う。
弱さにエンパシーを持つ人間は、アファーマティブ・アクションを是とするし、強者は既得権を奪われることを恐れるゆえに、アファーマティブ・アクションを「不公平」だと言う。
対極ですね。
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倫理学にはあまり興味がなかった。
デレク・パーフィットの『重要なことについて』を積読にすることで、最近倫理力が上がっている気がする。
カントも読まないのに何を言っているんだか(ぽよぽよ)。
児玉聡の「功利主義」についての文章を読むと、自分は気づかなかったけど功利主義者なのかと思った。
何かを実質的に前進させることが好きで、手段と目的を混同する愚を犯すとしても、結果的な功利を希求する。手続き的な整合性をあまり気にしない。
昔、大学の先生(法哲学の宇佐美先生だった気がする)に「なんで功利主義はこんなに批判があるのに、今でも大学で教えるんですか?」と聞いたことがあります。先生は「不特定多数を相手にする政治の世界ではとても有用なんだ」とおっしゃっていました。
功利主義という考え方はとても無機質で、道具としての有用さがあるらしい。
先述の友達との会話を思い出すと、友達は、有能な人々に効率的に支援して、高いプロフィットを求めることを是とする。例えば、高校無償化より大学院無償化のような政策が理想らしい。僕はそれをビル型と呼んでいる。
僕は、高校無償化の方が大学院にインセンティブを与えるより、国力が上がると思っている。言い方は悪いけれど、足を引っ張る人を少なくすることと、高等教育に接続できる人を増やすことが、重要だと思うから。底が厚い方が、長上は高い。山型と呼んでいる。
そういう意味では僕は、Fラン大学を無意味だとは思わない。でも友達はいらないと思っている。
教育に競争原理を持ち込むのは、様々な意味で良くないと、内田樹は言っていた気がするけど、Fランを切ったら今度は偏差値四十の大学が、そしてそこを切ると次は日東駒専がFランになる。
僕は有効な知の創出も大事と思うけれど、大学生と大学の生態系の意味を考えるべきだと思う。
たとえそれが競争にはほとんど資することがなくてもだ。
競争を扱う時に、僕たちには倫理的に正しい競争なのかを考える必要があると思う。
例えば誰かが勝つことで失われる「人の感情」を、蔑ろにしてはならない。
勝負はほとんど「勝てる人」が勝っている。「勝てる人」は競争に勝ったと思っているかもしれないが「勝てない人」がどうして勝てないのかがわからない。
努力の量とか、才能の多寡で話が終わるなら簡単だ。
それだと、生得的に優秀な「勝てる人」に「勝てない人」はずっと劣後していなくてはならない。
それは「勝てる人」が作ったゲームのルールで負け続けるということだ。ルールを決めておいて、それに「勝てない人」を指弾するのは、そのルールが「勝てる人」にとって都合がいいからだ。
結果から掘り返してルールの設定を変えなくてはならない。僕はそう強く思うのです。
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二、三巻買っちゃった。




