五十四冊目『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』
「府雨の読書日記」五十四冊目『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』
『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』
著 ジョナサン・マレシック
訳 吉嶺英美
働いている人の税金で、社会保障は成り立っている。
本当だろうか。
それは、働いている人の方が、働いていない人より偉いということなのか。
社会保障というのは、僕たちが時間を使って変化していくことを、あらかじめ組み入れた仕組みだ。
今、年間二百万しか稼げない人が、十年後二百億稼ぐことができるかもしれない。
でもその人の能力を育むためには、十年という時間を必要とする。
その人の人生を途切れないように支えるのが社会保障で、稼いでいる人が偉いのではない。稼げるように人を支えるのが、社会保障だ。
そういう意味では、今二百億稼いでいる人も、何かのきっかけで破産するかもしれない。働けなくなるかもしれない。
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社会保障を単なる金の問題と思ってはいけない。たとえお金がある人でも、政情不安定な世界で生きようとは思わない。
つまり、社会の成員が、他人に危害を加えない可能性が高いことも、社会保障の一つであり、多くの人は社会の成員として、それだけで多くの人を支えている。
それは、年収が二百億の人も二百万の人も、同じだけ社会を支えているということだ。安心して生活できる社会を作ることが、社会保障の本質であり、納税額だけが社会保障を成立させているわけではない。
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働くということに関して、本書では「働く人が偉い」わけではないことを説く。勤勉であることは、マクロ的には労働力の搾取の結果でしかない。
国力という基準で測れば、もしかしたら怠惰は、国の足を引っ張るお荷物かもしれない。
じゃあ、国力のために死ぬのか? 国力のために病むのか?
バーンアウトの本質はそこにある。なんのために働いているのか。それは、国家のためなのだろうか。
国力が衰えると、現在の福利が受けられなくなる。そういう人もいる。まるで先に国力があるみたいに。
福利(社会保障)は、人を脱落させず、成員として守り、成長を促し、自立を促進するためにある。
成員は国家のためにあるわけではない。
今の社会の複雑さは、適応の問題を如実に露わにしている。教育という福利は、国力を高めるためにあるわけではなく、個人の人生を支えるためにある。結果として国力は上がるかもしれない。
国力が下がったら、社会保障は成り立たない。違う、逆だと思う。社会保障があるから、人は安心して働き、技能を高め、国家に資する。
障害がある人に、なんの手当てもなかったら、医療費はむしろ上がる。でも手当があることで、社会的に自立し、成員として納税し、社会を支える。
無時間モデルで考えてはいけない。今この時の二百億と二百万ではない。時間を忘れてはいけない。
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仕事をして納税をすることが人生だという感覚を僕は持っていません。多額の納税ができるかどうかは、つまり、お金をたくさん稼げるかどうかは、ほとんど運だから。
こうやってちまちま文を書いている時が一番楽しい。でもお金にならないし、お金になったら怖いまであります。
本書は、体調を崩して仕事を休んだこの二日で読みました。バーンアウトしてたので。
八王子のくまざわ書店で買って、ちまちま寝ながら読んでいました。
一番面白かったのは、ベネディクト会の修道士さんが祈りを捧げる時は「仕事のことは忘れます」と言っていた部分。
プロ意識とかそういう言葉で縛らないでほしい。
僕が仕事をするのは、人に親切がしたいからだし、僕が仕事をするのは、生活習慣を作るためです。
村上春樹は推敲を「サービスではなく親切」と言っていました。
それは大切だ! 僕も推敲しよう。




