五十三冊目『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』
「府雨の読書日記」五十三冊目『「わかってもらう」ということ』
『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』
著 川添愛
休みの日に友達と映画「入国審査」を観て(なお友達一時間遅刻)、その翌日髪を切り、暑さに参ってしまい、うまく眠れず、気づいたら起きたのが昼の十二時だった。
出社できず、眠りながら休む旨を会社に伝え、シャワーも浴びれずに、一日を始めました。
昨日までにだいぶ読んでいた本書を、起きてからパラパラとめくり、読了。
こんな体調で読んでしまったのは、著者にも申し訳ないとすら思います。
当然ながら寝ながら読んでいて、こんな例えも、実に申し訳ないのですが、「非常食」といった感じです(原神のパイモンではない)。
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三つ面白かったポイントがあります。
一つ目は、発表の際の準備の大切さ。
二つ目は、言葉の正確さを心がけること。
三つ目は、押しつけがましくならないこと。
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一つ目の、発表の際の準備については、たくさん失敗しているので、やっぱりそうだなと思いました。
スクリプトを作ってないことを後悔した発表が何度あるか。逆に原稿を作っておいて救われたことの回数も数え切れません。
発表の準備は、その場に対して敬意を払うことであり、自分の手なりで進めようとする慢心への大きな警告です。
記憶力に自信がなくて、なおかつアドリブ力もないのに、どうして「いける」と思ったのか……。
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二つ目は、自分の国語力に関するものです。
大意があっていればどんなワードチョイスでも伝わるだろうという、あまりのファジーさ。浮かんでくる単語が適切であるかどうかを判断せず、感覚で口にする軽率さ。文学部生だったのに二次試験国語二割の原因は、もう明らかかなと。
ある友達と話している時も、議論になると話が伝わらない。感覚を共有できている知り合いとだったら、話はスムーズに伝わるけれど、そもそも意見が違うから、その友達には話が伝わらない。
単語で引っかかるらしい。「外国人排斥」の話をすると「日本で外国人を『排斥』している人はいない」と言われる。その後で「外国人嫌い」ではないかと聞かれた。
僕の中では「外国人排斥」と「外国人嫌い」はほとんど同義だけど、彼の中では明確な区別があったらしい。
立場が違う人と話す時の、ワードチョイスは、とても重要だという話。
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三つ目の、押しつけがましさについて。
本書の一番いいなと思うポイントは、心理的な抵抗感や、マイナス方向の含意なんかにも着目しているところです。
意見の押しつけ、教えてあげている感、蔑視について、とても具体的に書いてあります。理論的な言及や、硬い専門用語がなかったのは、少し物足りなかったけれど、読みやすく、わかりやすい文章でした。
人間の言葉には自分の現状が見事に反映される。
調子が悪い時は卑屈になったり、追い詰められている時は逆に居丈高になったりします。
自分の言葉を、情報を載せるニュートラルなヴィークルにするのには、訓練が必要ということを、痛感させられました。
ニュアンスとか含意でコミュニケーションする前に、情報の正確さや言葉の必要十分性に気をつけることが、実に重要であることを感じざるを得なかったです。
弱っている人に向ける言葉選びは、火中の栗を拾うようなものです。いつ暴発するともわからない火遊びみたいなもの。だから、メガネをかけて、バケツに水を汲んで、対応しなくちゃいけない。
どんなコミュニケーションでも、向こうに含意の意図を読み込んでもらうことを期待するのは、無理というもの。とすればこちらは、含意に頼るのではなく、コミュニケーションのメッセージに、注力するべきなのだなと思いました。
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今日は一歩も外に出ずに、うだうだするのかな。
さっきシャワー浴びたんですが、特に元気になるわけでもなかった。




