五十冊目『ラーメンと瞑想』
「府雨の読書日記」五十冊目『ラーメンと瞑想』
『ラーメンと瞑想』
著 宇野常寛
丸の内のoazoの丸善で、サイン本が置いてあって買いました。宇野常寛『庭の話』はまだ積んでいたから、これも積むことになるような気もしつつ、パラパラと寝ながら読んで、数週間かけて読了。
登場する編集者Tが、未だにフィクションなのか、実人物なのか、ちょっとよくわからない。
というか、実人物なのははっきりわかるのだけど、会話の克明さと、その語りが、とてもマニアックで現実感が揺らいでいる。
編集者Tと宇野常寛の人間関係が、本当にこの本に書かれているようなものなのか、疑いたくなってしまう。
やりとりは、とても難解で、才走っている時の訳のわからなさがある。その辺は読み飛ばしました。
出てくるグルメ。ラーメンやとんかつなんかは、とても参考になりました。高田馬場には降りないので、なかなか行く機会はないかもしれないけど、週に何度も行ってしまう気持ちはわかるから。
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対等以上に、お互いが持っていない資質を交換するのは、実に面白いことです。それは、立場が違ったり、意見が違ったりする人を「包摂inclusion」するという意味ではなく、単純に「違う人」として、むしろ理解しない方向に現れます。
言っていることがわからないというのは、恐ろしく重要なステイタスで、自分の限界が露呈しているということでもあります。
宇野常寛とTさんは、意見が違ったり、コンディションが違ったりする。健康への意識から、精神的な習慣まで。その習俗を擦り合わせていき、「落とし所を探る」中で、自分の想像力を超えるアイデアが生まれる。綺麗事ではなく。
多様性と同質性は、実は相反するものではないと、僕はしばしば思います。
「同じ意見・違う人」もあるし「違う意見・近しい人」も、さらには「違う意見・違うタイミングの自分」もある。意見が固定的だと決めること、立場が変わらないと思うことが、他者同士の多様性や近しい人、内的な同質性を腐食させていく。
確固とした立場があるわけではなく、自分というハードに、異なる意見というソフトウェアを何個搭載できるか。
つまり、どれだけ多くの人のことを想像できるかが、とても重要で、面白いのは、その想像力を持つたった一人の友人との関係で、驚くほどソフトウェアが更新されていく。
宇野常寛とTさんのやりとりが、フィクショナルで不可解なものだったという僕の受容体の反応は、僕にとっては最も重要な事実だと思います。




