四十一冊目『知性について』
「府雨の読書日記」四十一冊目『知性について』
『知性について』
著 内田樹
二つ。
一つは、後書きであった、日本の知性が劣化しているという説。
僕はそう思わない。
もう一つ。学術は網羅的に対象を扱うことを要求している。そんなことは不可能だ。
同意します。
読んでいない本を言及されるのがわからないから、「わからない」と言うのは、勇気がない。
知らないことでも手持ちのリソースを使って、とりあえず手をつけないと、山は崩せない。
最初の一歩が完璧である必要なんてない。というか手をつけて進めたら、大体解決する。勇気を持てよ。
「あの文献は読みましたか?」
「あなたほど時間があるわけじゃないんです」
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最近ムッと来たことがあって、本書を読んでいるうちにどうでもよくなった。
僕の話が一般論として友達に切り捨てられたこと。
僕はとても気をつけて自分の論を組み立てているし、曖昧な部分も多いけれど、誠実であるつもりだった。
全く理解されていなかった。
その友達を説得することが、僕の任務ではないのだと、本書を読んで思った。
何らかの目的を持って友人関係を営んできたわけじゃない。というかそもそも友達なのか?
マンガ「葬送のフリーレン」のフリーレンみたいに、人情の機微がわからないなりに、コミュニケーションで人をトレースして、自分の話し方を変えて来たのに、なんか一方的に断罪されてた。
まあいいか。本書でも書いてあった。勝つために生きているわけじゃない。
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でもそれにしても内田樹は、いつも知性が崩壊していると思いたいらしいけど、そんなことない。頭がいい人は、周りがバカに見えるのかね。
頭のいい人悪い人の割合は、世代で変化するなんてはずはないのに。




