三十五冊目『水玉の履歴書』
「府雨の読書日記」三十五冊目『水玉の履歴書』
『水玉の履歴書』
著 草間彌生
友達が読んだと言っていたので、買いました。
十年くらい前、高校の修学旅行で、阿蘇に行った時、ホテルのテレビで草間彌生のドキュメンタリーを観ました。テートモダンでの個展を特集していたのですが、実に面白く、草間彌生の名前を、その時初めて記憶しました。
前衛であることや、進歩し続けること、自分を、何かの影響下にあると見ないこと。
それを自称することと、そうであることは全然違う。
唯一無二であったというのは、後から振り返ってみればわかることですが、自信を持ってそう言える彼女は、僕の羨望の対象でもあります。
何かを否定することと、何かを肯定することが混ざり合って、明晰な思考の中に結実する。
苦しみと戦うことで生まれる、肉体と精神の絶対的な経験。
思えば文体(語り口)は極めて平易で、なのにメッセージは脈絡を失わず心に届く。
愛という言葉を使って、胡散臭くない。それは彼女が、愛をよく知っているからでしょうか。
長老的な立場からではなく、常に前衛。前衛に立って戦っている。
課題が目の前にたくさんあり、それを一つずつ形にする。
モチーフの純粋さは、それが単純なアイデアというわけではなく、芸術家と密接に結びついている。
何かに忖度したり、買い手に迎合したりせず、描きたいものを描く。
それは、芸術家の理想ですが、そんなことできないのが普通です。
特に、現代日本の、心地よさを売り物にする、既製品的な経済を思うと、芸術家はその逆であり、草間彌生はまさに、自分の宇宙を切り拓いたわけです。
孤独ではなかったか。怖くはなかったか。そう思わずにはいられない。
日本的ではないように見えます。
僕たちがどうしても日本的にならざるを得ない時に、日本的ではない。
日本の何かを憎んでいたのか。日本とは何の関係もないのか。
そういう俗な興味をそそられてしまうけれど、超越や何かだと表現されても、足りないような気がしてしまう。
説明する以上のことを、草間彌生は成し遂げているから。
おそらく、描く絵画を解き明かそうとするのと同じくらい、草間彌生の人生を解き明かすことは難しい。
それは、ロジカルかそうでないかではない。話している言葉の明晰さによって勘違いしてはならない。
言語は後から付け足された。
生身の人間に起こることは、何につけてそうだけど。
生身の人間で居続けることができれば。




