二十冊目『フツウの男をフツウでない男にするための54章 男たちへ』
「府雨の読書日記」二十冊目『フツウの男をフツウでない男にするための54章 男たちへ』
『フツウの男をフツウでない男にするための54章 男たちへ』
著 塩野七生
塩の効いたオリーブのように、いくらでも食べられてしまいます。
三十年以上前に書かれたのに褪せない。
東京駅前のoazoの丸善で買った時、二冊あれば友達に贈れるのになぁと思っていたら、二冊棚にささっていて、なんてこった。いそいそと二冊買い求め、さっき(2024年12月14日)読了しました。
夜眠る前に、アラサーの寝物語として、目を通す日々。本当は、もう少し小出しにして、寝落ちするためにとっておきたかったのですが、僕は、早く読書日記を書きたかったので、初台のフヅクエで二時間くらいかけてラススパを極めました。
フヅクエ。地元からほど近いところに、こういう店があるのを知ったのは、柿内正午さんの『プルーストを読む生活』を読んでから。
ボーナスが入って、本に課金する日々。
こんなに面白い塩野七生の『男たちへ』を読むのを早めなければいけないほど、僕の読書負債(積読)はすごいことになっています。
塩野七生は『ローマ人の物語』を十巻くらいまで読んで、以来です。
文藝春秋に寄稿した文章を読んで、怖いなぁと思ったのが高校生の時で、『男たちへ』の中ではリベラルを自称されていましたけど、怖い保守のおばさま(平仮名で失礼します)という印象でした。
しかし果たして、塩野七生の美学が「わかる」男は、どれくらいいるんだろう。僕は、文学が好きだから、あるいは映画が好きな人も、幾分か共感する人はいる気はしますが、お仕事が人生の無趣味なおじさん(平仮名で失礼します)は、あんまりピンとこないような気がします。
当然ながら、塩野七生のこの本は、ハウツー本ではなく、文学的エッセイなので。
でもよく考えたら、こういう本を読んだ高校生は、自分のありようを改造しようと試みるかもしれない。はるか高みにいる塩野七生を、追いかける。追いかける。
追いかけるこころざしだけでも。
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透き通ったミネラル感の白ワイン、シンプルな塩味のアクアパッツァ、そしてオリーブオイルに浸る純白の温かいパン。まさか、そんなことあるか? と思っていましたが、やっぱり文章は地中海じみていて、そんなはずないと思って、吟味したんですが、日本では生まれようのない、キラキラと陽光の輝く文体。
自分の置かれた場所に、文体があるなんて、思ったことなかったですし、そんなの単なるブランディングだと思っていましたが、塩野七生の文体は特別で独特。
どんなところで生活するかで、摂取して咲かせる花が違うんだ。そんなこと、あります?
もしかしたら勘違いなのかもしれません。でも「一般的な文体だよ」と言われたら、「いや、そんなことない」だな。やっぱり独特で特別。
僕は文体を選びます。読めない文体はおそらくですが、文学になっているか、そうでないかで区別しています。もちろん、文学が好きなのです。リズムがあるかどうか。伝えたい思いがあるかどうか。
父に「今、塩野七生を呼んでいるんだ。エピソードが豊富ですごいんだよ」と言ったら、「すごい量のインプットをしているから、溢れてきているんだな」と返ってきました。
素朴な想像ですが、「特別」というのは、何かの「量」に支えられている。
調べ物が苦手で、いつもカレーみたいな、僕の書き物は、変革の時な気がしています。




