十八冊目『あなたの言葉を』
「府雨の読書日記」十八冊目『あなたの言葉を』
『あなたの言葉を』
著 辻村深月
こども新聞のために書かれたエッセイを読んでいます。
実は辻村さんの小説は一冊も読んだことがなくて、この本が、辻村深月に僕が触れた最初の本です。
僕は、この本を最初に立ち読みした時、まず間違いなく読み切ることができる本だと思いました。
読みきれない本を大量に抱えている僕としては、その直感は、かなり重要な感覚です。
その反面、内容が、すごくこども向けで、物足りなくなるかもしれないと、不安を覚えていたことも確かです。
でも、ナイフのような切れ味の良い作品を読むのとは別の、白米を食べて噛んでいるような、優しい味のする一葉一葉でした。
想像力の柔らかい(論理の全面的でない)あり方。真似をするということつまり、カタチから入ることの、本質的な祝福。そして純粋なおもしろさへの、全方位的な肯定。
肯定という言葉を使いましたが、それは実際には肯定でも否定でもない、問いを立てることと、その問いに道筋をつけることに対しての敬意を持った「肯定」です。
子供たちからの一つ一つの問いのそばにいてあげることが、豊かな想像力の源泉になっている。
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子供の時の記憶は、僕にはとても断片的で、大人になってからの思考に上書きされています。
今思い出せることは、あの時とても「違和感」がたくさんあったということです。
違和感は、言葉にまつわるものが多かった。
わかりきったことを言う親や、文脈を無視した挿話を入れる先生、特に大人に対して、不思議だなと思うことが多かったです。
卓越しているはずの大人が、こうも簡単に論理矛盾に陥る。
でもそれは、自分が絶対正しいという、自意識の過剰な現れだったような気がします。
二十八歳になった今は、よく、間違えることでハッとします。僕も同じような大人に、なったのかと。
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子供の時の漠とした違和感を、忘れたくないと、高校生の頃は思っていました。それが生の源泉のような気がして、子供の頃の疑問に、誠実に答えたかったからです。
自分に流れる時間に誠実であることは、何よりも僕にとって大切なことでした。
辻村さんは『あなたの言葉を』、このタイトルで記事を書きました。
僕は、この場所で、沈潜し、自由になれる。本当かどうかはわかりませんが、言葉の組み合わせは、無限だと、僕は信じています。
美学で、オリジナルなものは、神に帰するか人に帰するかは、重大な論争のようですが、人の口に上れば全てが、固有の音で響きます。
言葉に対する違和感に、言葉で回答する。違和感は僕の心の動きなのに、言葉は全ての人が使う道具であり、「空気」のようなもの。どうして心を言葉で説明できるのか。説明はいつも不完全で、でもどうして、不完全でいいのか。
劉慈欣の描く『三体』星人は言葉を介さずに心を共有する。どうして僕たちは言葉で、言葉で、……心を分かち合おうとするのか。
心と言葉の不整合に、僕はいつも、なんでしょう、なんというか、「不整合だなぁ」と、思うばかりなのですが。




