十六冊目『羅針盤なき航海』
「府雨の読書日記」十六冊目『羅針盤なき航海』
『羅針盤なき航海』
著 張競
先日同僚三人と、神保町の古本祭りに行ってきました。
なかなか欲しい本が見当たらず、欲しいと思った本は少し高かったりと、思うようにはいかなかった。混んでたし。
今回の『羅針盤なき航海』は、祭りで買いました。
立ち読みした時に、文系頭脳の消失について、危機感を抱いている文が目に入り、新しい本ということもあって、三百円で買いました。
実は、読んでみるとそんなに面白い本ではなく、よく言われていることを整理して述べている、一種の教養本だということがわかりました。哲学書とか、専門書ではなかった。
筆者の張競先生の本を、大学時代一冊買っていたことを知って、そんなことがあるのか、なるほど面白いなと思いました。
それは『恋の中国文明史』という本で、同じ人が書いたとは到底信じられず、ほほお、と、思わずため息が出ました。
結果的には、優れた人文書を書く日本人が少ないことを憂う、という、立ち読みした部分が一番面白かった。他はちょっと飛ばし読みしちゃいました。
北欧で人文者(翻訳家や作家)に対する給付金があることを例にして、文系周りの層を厚くする政策を紹介していて、僕は、結構面白いと思いました。
個人的な感覚からすると、文学者も科学者も、好きなことをやっている人、と、使命感でやっている人、がいると思うのです。
使命感でやっている人は、当然ながら実力があるわけで、自分で研究費・印税を勝ち取ることができる。
好きでやっている人は、客観的な成果がない。誰も見向きもしないことをやって、楽しく貧窮に喘いでいる。
好きなことやってていいよマネーを配ったらどうなるかというと、これは想像ですけど、好きなことができなくなるような気がする。
安心して好きなことやっていいよ、というのは、文化の層を本当に厚くするのか。
むしろ在野の飢餓感が、好きなことを本当に面白くするんじゃないのか。
芸能に、文化に、お金を撒くというのは、個人的には少し違和感があります。不安を纏った欠けた心の中に、文化の種は潜んでいると思うから。
それに、好きなことやって生活していたら、お金がなくても平気です。
お金をもらったら萎えることだって、世の中には数多ある。
もちろん、大きな視野を持って、日本の文化レベルを高めようとするなら、思い切った文化文芸保護政策も有効かもしれません。
でも、いまさら文芸雑誌に寄稿する人に一律にお金をあげたって、奇妙なバラマキにしか映らない。
文学の書き手は有閑階級でもなければ、有閑階級にする必要もありません。
くだらない仕事をして、疲弊して、本を読んで、書いて、孤独で、なんの権威もなく。それでいいと僕は思います。
最近くだらない仕事はしたくないという人がそこそこの人数いるみたいですね。僕もそうですが、くだらない仕事は、大切な仕事です。例えば、教員には雑務が多いとか、勉強する時間がないとか。ふむふむ。どうやらツイッター(X)は見る時間はあるようです。本読めよ。こっちは、教員の五万倍くだらない仕事して、なんとか空いた時間で本読んでんだよ。いいなぁ、学生を教えるとか、そんな素敵な時間に浴することができるの。エリートかよ。
もちろん、文系で修士号博士号を取りやすくする政策は重要です。学部で学歴を終える人が多いと、国力は増強されない。
大学において、そういう人は、使命感を燃やして戦っているから、支援は急務だと思います。
でも、好きでやっている人は、お金を配られても大したことには使わない。
少しアマチュアに寄った考えでしょうか。
こーゆーやつがいるから、日本独自の思想が生まれないんだよなー、そう言われても文句はないです。
でも、お金を配ることを文化保護生活の第一に掲げるのが、本当に文化を育成するのか。お金が中途半端にある、ポスト奪い合い競争社会は、なまじっかなまぬるい文芸・研究を、生み出すだけじゃないのか。
お金を目的にした文学研究、文化振興ほど、気持ち悪いものはない。
ペンと紙代くらいは、喜んで受け取りますけれども。




