十三冊目『ひとりあそびの教科書』
「府雨の読書日記」十三冊目『ひとりあそびの教科書』
『ひとりあそびの教科書』
著 宇野常寛
そろそろ夏も終わり、朝、毛布の中で体が寒さに縮こまる季節になりました。
僕は夏に、友達と北海道に行ってきたのですが、北海道大学に足を運び、生協で二冊本を買いました。今回はそのうちの一冊。
中高生向けと思われるこの『ひとりあそびの教科書』は、ずっと積読されていたのですが、ふと思い立ってページを開くと、あっという間に読んでしまいました。
(あっという間と言っても、一週間くらいですが)
夜寝るまでに、布団の中でページを繰って、幸福感に浸りながら、そのまましおりを挟むのも忘れて眠ります。
宇野常寛は、随分前に、京都に住んでいた頃、古本屋で『リトル・ピープルの時代』を買った以来で、かなり久しぶりかつ、かなりにわかなファンです。『リトル・ピープルの時代』は、しかも、仮面ライダーに興味がなかったから、村上春樹の評論を読んでから、後半は読まずに売ってしまいました。
宇野さんは、なんというか、正統なオタクというイメージで、羨ましいと思うことはめちゃめちゃたくさんあります。
昔は僕もよくアニメを観てマンガを集めていましたが、人生のステージごとに、趣味が変遷し、一貫したオタクになかなかなりきれない、カジュアルオタク(とすら言えないかも)として、どちらかというと、最近はリアルに重きを置いているからです。
深く、あるいは一貫して、一つの物事に向き合う集中力は、どこかに捨ててきたのかな、と、僕はかなり残念な気持ちになります。
まあそれはそれとして。
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宇野さんの文章は、先生のそれでも、先輩のそれでも、友達のそれでもなく、親戚の若いおじさんの語りのような、親身かつ親切な雰囲気が漂っています。
宇野さんのオススメするひとりあそびは、「走る」「虫取り」「旅」「蒐集」「ゲーム」など、どれも特段目新しいものではありません。
でも、それひとつひとつの楽しむコツはとてもわかりやすく、自然に理解できるロジックで、もちろん矛盾はありません。
どれも宇野さん自身が考えて実行したことが、ありのまま記載されています。
正直、走りたくなりました。
でも実はそれを実行するのは、少しばかり難しい。特にインドアな僕としては。
なんて言うと、「そういう人こそひとりあそびを楽しもう」と、背中を叩かれている気がします。
インスピレーションを刺激されることが、ひとりあそびには詰まっている、というようなことを、全文を通じて感じ取りました。直接の記述もあったかも。
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タイトルにもなっているひとりあそびの効能(というか肝)は、みんなに同調しなくてもいいということです。
誰かの反応を気にしたり、誰かの気持ちを自分の延長のように考えたりする必要なく、自分の心と体だけであそぶのが、何より重要です。
誰かの承認を得なくてはならないとしたら、いつも飢餓的な気持ちで、一日を過ごさなくてはならない。
ただ思うのは、一周まわらないと、そういう結論には至らないような気もするということです。
一度その承認をめぐる病を経て、それがワクチンとなって、ひとりあそびに回帰する。
難しいですね。ひとりでいることと、ひとりあそびをすることは、必ずしもイコールではないから。
あそびをする心理的コストが高くなって、動画やつぶやきに流れていく中で、ひとりあそびをすることは、一つの特権であり、優雅な営みなんでしょうか。
優雅かとかは一つも書いていないけれど、たぶん、ひとりあそびをすると、なんとなく体と心が喜び、健康になり、気持ちが晴れる。
あそぶとは、案外難しいことのようです。
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ああ、これはもういいな。そういうふうに、外部のものからふっ切れて、殼にこもるように蓄えたものを消化する。
ひとりであることを、孤独と、どうしても僕はそう考えてしまいます。
でも、それをわざわざ分けて説明する必要はないかもしれない。
孤独という言葉が排斥されるべき状況と感じられる理由は、なんとなくわかります。
主観的には孤独でも、客観的には単にひとりでいるということにすぎない。
空気を溜め込めば、海の深くまで潜っていくことができる。
空気が欲しければ海面に上がってくればいい。
そしてまた、深く深く潜っていく。




