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十二冊目『勇気論』

「府雨の読書日記」十二冊目『勇気論』


『勇気論』

 著 内田樹


 内田樹先生の本は、読みやすくて、いつもすぐ読んでしまいます。


 2024年10月8日15時くらいに買って、20時には読み終えてる。


 楽だし、面白い。硬いところがなくて、いつも文がよく練られている。そんなこと、古希を過ぎた大先人に、あえて付す必要のあることではないと思いますが。


 僕はでも、勇気が若者に欠けているという先生の印象は、やはり総論的なものだと、なんとなく反駁したい。


 わからないことの風が吹く中で、前向きな選択ができるのは、その風が順風だからではないかと。


 わからない、不安、孤独といった逆風が吹いている時に、体の向きが変わるのは致し方ないと僕は思います。コートで風から体を守るのは反射ですよね?


 昭和の時代、バブルの頃の順風満帆な日本というものを知らないで、その頃の先取の気風を回想されても、うーん? という感じです。


 勇気が訓練によって育てられる感性というなら、それはよくわかる。


 内田先生もことあるごとに、「わからないことをわかること」の微妙な感性に言及されている。


 そしてその訓練が、学校教育の場で完全に等閑に付されていることも、筆の及ぶところでした。


 勇気。自分の口で、勇気が振るわれた経験は、数えるほどしか言えないですが、その時は勇気なんて思いもしない、ごく当たり前の言葉や行動でした。


 勇気と相性のいい感性は、霊感ですね。読んでいたら関連する文はいくつかありました。


 論理を超越しているのに、論理的な推理……霊感。


 そのものを説明しているわけではないのに、それが大きな理論の例示となり、ピタピタとハマって理論を組み上げる。理論と具体例の関係を、霊感が結ぶ。(インスピレーションという横文字は嫌いです)


 先に配置した言葉が、新しい文を呼び、それが連なって一つの本に、小説や、物語になる。


 唯物的には説明できない現象が、あまりにも隅に押しやられていると、内田先生は危惧されている。


***


 勇気は、孤独の期間を耐え忍ぶ力だと、末尾に書かれていました。


 付和雷同しない力。


 でもそんなものがなくても、カッコ悪いだけで済むのだから、なくても大したことなくないですか? そうひねくれてみたい。


 人の目は気になる。孤独は怖い。力がない。そんな人の中に、勇気があるとは思えない。


 勇気がある人は強い人で、地道に力を蓄えた人が勇気を勝ち取る。


 弱い人は、きっと勇気を得る前に寿命を迎えてしまうんだ。


 そんなことを考えます。


 スポーツとか勉強が得意な人は、勇猛果敢でしょう。でもそうでない人は? 孤独に潰されてしまうだけじゃないの。


 そうすると勇気は先天的な資質のような感じがしませんか?


 と言うと、教育の価値を貶めている気がしますが。


 内田先生が「勇気がない」と言うのは、お前らは「学ばない」と言っているのと特段違いはなく、まあ、それは違うだろうなと、僕は思います。


 教育は普遍化する傾向にあって、様々な人が教育にアクセスしています。でも、僕たちは教育「システム」にアクセスしているから学んでいることになるわけではないと思います。今の教育システムに欠陥があるとは、僕はあえて言いません。


 悪口は誰でも言いますから。


 欧米のエリートと比べると、学部までの教育が主な日本の大学は不十分と、そういう言説が飛び交っていますが、僕はそれでも、システムが悪いとは思わないです。


 細かな違いに気づく霊感が、教育によって育成されないのに、不満に思ったりもしません。


 こういうのを、付和雷同型と言うのかも……、でもそれでいいです。


 答えを教えてくれない日本の教育システムで、僕は不自由したことがない。


 だって、答えは自分で発見しなくてはならないから。


 博学な「内田樹」の見識がいつ構築されたかわからないですが、まぁ五十を過ぎてからだと当て推量すると、僕はあと二十年はのんびり勉強していればいい。


 繰り返しになりますが、勇気が先天的で選ばれた人にしか持てない資質なのだとしたら、そんなものを『勇気論』として打ち立てる必要はないです。


 だから、勇気とは涵養できるものであり、それがあることで新しい世界が開ける、力の源なんだということでしょう。フロイトやマックス・ウェーバー、カミュの例を出して、ロジックの力では、新しいものは生まれないと内田先生は言いました。


 そういうものが日本にない?


 そんなことないでしょう。総論的な文脈ではそうかもしれませんが、目を見張る若者はたくさんいますし、多くのベテランが、夜に本を読み力を蓄えて、昼、若者を率いて仕事をしています。


***


 関係ない話なのですが、実は、僕は学校型推薦入試には、賛成の意見を持っています。


 僕自身は多浪して、国立の二次試験を経て大学に入りましたが、あの数年間、凍えるほど孤独だったことを思うと、他の人にその「勇気」を強いることはできません。


 二次試験の難易度は不要なまでに高過ぎますし、それで何が測れるのかと、疑問に思っていました。


 やりたいことをやって、大学に入れるのがいいじゃないか。僕はそんなことを思っています。大体、(実感的には)推薦入試組の方が、頭いいし。


 国立受験という、あまりにも勇気を要するような制度に、ボコボコにされた身としては、もう詰め込み型の入試で量産型を生み出すのは、やめにしませんか? と言いたい。


 論理国語と文学国語に分かれたから、文学が廃れるなんて、まさかテストに出たから勉強して、それが故に文学が隆盛するなんて、思っているのでしょうか?


 出版文化が廃れていく? 僕は本買いますけどね。総論で語るの困るなぁ。

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