表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/68

十冊目「夏の文学教室」

「府雨の読書日記」夏の文学教室


 夏の文学教室 七月三十一日

 安藤礼二

 朝吹真理子

 小野正嗣


 夏の文学教室というと、何か一般名詞に聞こえます。でも、それが五十九回を数える日本近代文学館の大きな催しでした。


 勤めている大学図書館のパンフレットコーナーに、その催しのチラシを差し込んで、あ、朝吹真理子出るんだ、と(敬称もつけずに申し訳ないですが)思いました。


 朝吹真理子好きなんですよねーと、およそほとんどの人がわからない謎のファンアピールをしているうちに、夏休み取って行ったら? と、隣の席の方に言われて、それをきっかけにいい試みかも知れないと思い、わくんくしながら夏休を申請し、紀伊國屋チケットカウンターでチケットを買い、気づいたら今日、有楽町のビックカメラ七階よみうりホールにいました。


 安藤礼二の本もなぜかたまたま古本で買っていて、読了は間に合わなかったけれど、マラルメという共通認識を獲得しておくことができ、佐々木中も知ることができ、かなり重宝しました。安藤礼二の『祝祭の書物』を読んだのですが、書き方から強面の方を想像していたところ、なんとも優しそうな方で、柔和でわかりやすい話に、何度もうなずいてしまいました。


 個人的にはやはり朝吹真理子について書きたいです。


 原稿と水を用意するという間を最初に置いて、「大好きな詩人について話したい」と前置きして、かなり引き込まれました。夏に読みたくなる本だという、西脇順三郎。それについて講演されることはわかっていたので、一応ファンの端くれとしては、岩波文庫の著作を買って講演に用意して臨みました。


 西脇順三郎の理解としては、最初の段階では、かなり外国語的単語の使い方をする人だという印象。植物の名前が列挙されるあたりに、とてつもなく英詩を感じました。


 詩を講じる際に朝吹真理子は発語(声に出すこと)の妙についてとてもしっとりと言葉にしていました。「言葉が美味しい」と。


「言葉が美味しい」というのは、案外普通の表現でもあり、やはり文学者として優れている言語感覚でもある、わかりやすくなおかつ奇異にも聞こえる、味の乗った表現でした。


「ふと誰かがかつて書いたものが、自分にやってくる」詩の現在性、個人性にも言及されていて、一つ一つが珠玉の言葉で、僕自身は本当に朝吹真理子に惚れ惚れとしてしまいました。


「一行一行の全ての言葉が屹立して存在している。自分が考えるさまざまなことが、一行に入っている。気が遠くなるような時間が入っている」と朝吹真理子は言います。


「詩は季節を表しているのではなく、季節そのものなのだ」とも。最初に夏に読みたくなるというふうに置いた前置きが、レトリックとしてドライブする。


「一行読むたびに何年何回とめぐる夏」


「不安があるたびに物語ではなく詩を求め永遠を表す詩に触れることで逆説的に生きている時間を実感する。文字の中に溶けて消える心地になり、永遠の中の一瞬に触れる」


「もういなくなった人を思って、あるいは新しい気持ちで読む」


「詩を読むことで多層的な時間を生き、魂が救われる」


 文学者の真髄というか、フックを効かせることもせず、地の文でこう言ってのける。裏打ちされた言葉への経験値が高すぎることに恐れ慄きます。


 音読する習慣のことも話されていて、僕も音読しようかな、詩を読もうかなと、そんなこと誘われてもいないのに引き込まれて思いました。


「発語することで詩は言葉は生まれ直す。新しい水で泉が満たされるように」


 比喩だと気づかないくらい、当たり前に言われて、ああ、そうだなと思いました。


 また「文字面の音」についても言及されていました。僕は、女流作家に特有のひらがなへのこだわりだと勝手に思っていたのですが、「音の顔」「文字のグルーヴ」と言われると脱帽です。


「小さな川になってどこかに流れる。言葉が流れていく。散歩道が永遠の10分になり、本を読むその10分に、生きていた人と生きていた時間が展開する」


 そうして行き着いた講演の最後に、極上の音読で西脇順三郎を読んで、あまりの濃密な時間に、言葉もなかったです。


 一番前の真ん中で朝吹真理子を見ていましたが、もう少し目が良ければと、メガネの身としては悔しかった。


 日記を書くために、めちゃめちゃメモを取ったけど、正直ずっと聴いて見ていたかった。


 隣の「毎日が夏休み(小野正嗣談)」なおばあさんが、聞こえねえと唸っていましたが、あれが聞こえないのは耳が悪い。あんなにいい声だったのに。


 文学は工芸のように形がある、質感があり、肌触りがあり、美味しい。


 声が極上の美味しさだった。言葉の芸術が、料理のように形が残らないのを、悔しいと思うべきか、それとも、だからこそそれに愛おしさを感じるのだと思うべきか。


 夏休取って行ってよかった。あんなに美しいなんて、反則だと思う。


 何とか個人的な記録として、日記として、今日を記します。


(朝吹真理子は西脇順三郎を「西脇」と読んでいましたが、僕は、朝吹真理子を朝吹とも朝吹真理子先生ともうまく言えず、フルネームで呼んでいます。なにかお作法があるのかもしれませんが、府雨は存じません)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ