一冊目『力 美的人間学の根本概念』
「府雨の読書日記」一話『力』
『力 美的人間学の根本概念』
著 クリストフ・メンケ
この本は僕が神保町の東京堂書店でふらふらしている時に、ふと目に入って買いました。
装丁が綺麗で、ぱらぱら見た感じ、何言っているかもほとんどわからなかったけれど、「美学」について語っているということは、なんとなく伝わってきて、そもそも美学のなんたるかも知らない無教養な人間だったこともあって、新しい分野の開拓が、気がつかないうちに達成されて、嬉しかった。
昔からバウムガルテンが書いた『美学』、分厚い講談社学術文庫の本の存在は知っていて、でもその時はなんか「日本人の美学」みたいな、一般的な使われ方の「美学」なのかなぁ? と思っていて、『力』を読んだ後、それが他ならぬ「美学-Aesthetics-」について書かれた本なんだということがわかって、自分の視野の狭さに驚愕したことを覚えています。
訳された方の一人がたまたま大学の先輩で、しかも一歳しか歳が離れていないことを知り、敬服しました。
僕がなろうに小説を書いている間、その方は独文や英文と格闘していたんですね。すごいなぁ。
ちなみにサークルの先輩はその人とツイッター友達らしく、やり取りをしたことが何回かあると聞きました。先輩いわく、その訳者さんは、「筋金入りのゲルマニスト」らしい。
専門性がある人は羨ましい。
クリストフ・メンケさんが書かれた『力』に述べられていたことは、正直ほとんどわからなかった。それにもかかわらず、僕は「美学」の「ある型」を言語化することができるようになりました。
それは、美しさが存在している「場所」を、人間の感覚上に置くか、存在そのものに置くかという決定的な二項対立です。
曲解ではないかと言われると、確かにそうかもです。そんなこと『力』のどこにも、この「型」のような言葉遣いでは書かれていません。
でも、そういう抽象的な思考を「させてくれたこと」が、この本の妙味に他ならないと僕は思います。
例えば西田幾多郎の『善の研究』みたいな文学性が、『力』の訳文の中で躍動していた。なんか「好き、っ」って感じがしました。
文章が好きになるのって、哲学性ではなく文学性が働いているから。
ではその「文学性」って何なのかと問われると、うまく答えられないのですが。
西田の『善の研究』は、追いかけやすい論理と的確な具体例が(僕の中では)有名ですが、クリストフ・メンケの『力』は、氷の彫刻のような絶対的な透徹さ、メンケにしか見えない論理の特別さ、過度に親切でも、過度に不親切でもない文体が持つ距離感の絶妙さがありました。
つまり読んでいて面白かった。
僕はいわゆる文学を読むのは苦手で、哲学の方が好きなのですが、文学的脈絡のない哲学ほど読みにくいものはない、とも思っていて、その点で言えば『力』は、確かに文学的だった。「流れ」があり「勢い」があった。
言葉が、本という形になる中で、魔素を放出し、人を惹きつけるように変わることがある。帯びた呪力がかかわって、人の心を揺すり、人の行動を促し、現実の世界に変化をもたらす。それはすごいことだと思います。
たとえそれが、漫画やアニメ、アニメグッズやフィギュア、ライブや音楽のような大きな経済的波及効果でなくとも、確かに僕に『力』は響いたということです。
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読書日記、つらつら続けていけたらと思います。