皆の頭の上に浮かぶ謎の数字、私に冷たい婚約者だけ桁が違うのですが……?
楠 結衣様主催、「騎士団長ヒーロー企画」参加作品です。
※投稿時間を見てください。マジでギリギリ滑り込みでした……。
「また来たのかエリナ嬢。ここは危ないから来ないようにと言った筈だが」
眉間に刻まれた深い皺。黒々とした眉の下からはギラリと光る淡い紫色の眼。口は不機嫌そうに緩いへの字を描いている。それでも元々整っているお顔立ちだから、まるで彫像のようにかっこいいけれど。
……でもやっぱりそんな怖い顔で婚約者に「また来たのか」なんて言われると、邪魔者扱いされているようで悲しい。
「あ、あの、お菓子を焼いてみましたの。騎士団の皆様に差し入れをと思って……」
私が言い終えない内に、大声でミゲル様が応える。
「差し入れ? 君が作ったのか!?」
「あ、あの……そうです」
緊張で震えそうになりながらも、なんとか言葉を絞り出した。
「へ、ヘンなものは入っていないですし、味もそんなに悪くはないと思います……」
「それは当たり前だろう!!」
「ひっ」
ああっ、差し入れに変なものを入れないなんて確かに当たり前だわ。またバカなことを言って彼を怒らせてしまった。ミゲル様の前では賢いとまではいかなくても、せめて慎ましくいたかったのに、私ってなんてダメなのかしら……。
恥ずかしさと悲しさで鼻がツンとしてきた。いけない。ここで泣いたらもっと愚かな女だと思われてしまうわ。涙をぐっと堪えて俯いていると、横からやたらと明るい声が割り込んできた。
「お~いミゲル、またエリナ嬢を苛めてるのか?」
「フィガロ、苛めてるとはなんだ! お前はあっちに行ってろ!」
「ふぃ、フィガロ様、こんにちは……」
「こんちは! 今日はどうしたの?」
フィガロ様はミゲル様の片腕で騎士団の副団長を務めていらっしゃる方。ミゲル様とは正反対で、良く言うと物腰が柔らかくて誰にでも気さくなの。私は思わずほっとした。
「あの、お菓子を騎士団の皆様に食べていただけたらと思って焼いてみましたの」
「えっ、エリナ嬢の手作り!?」
「は、はい 大したものではないですが」
恥ずかしくて顔が赤くなる。やっぱり図々しかったかしら。でも私の特技なんてこれくらいしかないし、騎士団長のミゲル様のお役に少しでも立ちたかったんだもの。
「えー! 絶対大したものでしょ! 前に貰ったクッキーもめちゃくちゃ美味しくてさぁ。団員のやつらも争って貪り食ってたもん!」
「本当ですか? 嬉しいです」
「ホントホント! いやぁ、こんな可愛い婚約者がいるミゲルは幸せ者だな! うらやましいぜ」
「えっ」
フィガロ様は軽いノリですぐこう言うことを仰る。さっきは「良く言うと」の例を出したけれど、悪く言うと騎士団員らしくない、ちょっとチャラい御方なのよね。
でも令嬢達の中には彼のファンも居るみたい。今、私は騎士団の演習場に見学に来たのだけれど、フィガロ様目当てらしい他の見学者がこっちを見ている。
「フィガロ、いい加減にしろ!」
「わっ、ミゲルったら怖い顔~。そんなに眉間にシワを作ってたらエリナ嬢も泣きそうになるわけだよ」
「!」
ミゲル様が怖い顔のままこちらを見た。
「こ」
「こ?」
「……怖がらせてすまない」
彼が軽く頭を下げて来たので私は慌てた。そんな、ミゲル様を怒らせた私がいけないのに! それに他の見学者も見ているところで騎士団長に頭を下げさせるなんて、いくら名ばかりの婚約者でも良くないと思う。
「あの、やめてください。私が悪いので! ごめんなさい!」
「え」
「これ、どうぞ! 失礼します!」
「あ」
居た堪れなくなってお菓子の入ったバスケットをミゲル様に押し付けると、私は逃げる様にその場を後にする。
「待って! エリナ嬢」
「お嬢様!」
振り返ると私を追いかけてきたのは私の侍女のココとフィガロ様だった。ああ、そうよね。騎士団長であるミゲル様が演習場の騎士団員たちを放り出して私を追いかけてきては仕事にならないもの。私もそんな事で彼の足を引っ張りたくはない。
「あのさ、ミゲルは多分悪意はないから!」
「はい……ありがとうございます。でも、私はミゲル様の為に何もできないですし。差し入れも迷惑そうでしたし……」
「それは、あいつが言葉足らずと言うか、ちょっと誤解を受けやすいだけでエリナ嬢の事を迷惑に思ったりはしてない筈だよ!」
フィガロ様に慰められて情けない気持ちとありがたい気持ちが私の中でぐちゃぐちゃになり俯く。やっぱり婚約を申し入れようとした時にお父様を止めるべきだった。私みたいなお菓子を焼く才能しかない令嬢なんてミゲル様には相応しくないもの。
「あぁ~……」
フィガロ様の声から困ったなという雰囲気が感じられて、一刻も早くここを立ち去ろうと思ったその時。
「えーとさ、これ誰にも話しちゃいけない秘密なんだけど、守ってくれる?」
「え?」
「守れる? これマジなんだけど」
「あ、はい……」
何を言われるのか不思議に思いながらも頷くと、フィガロ様は私のすぐそばまでズイッと寄り、ココにも聞こえないような小声で囁いた。
「クピト通りのそばに住む魔女って知ってる?」
「? いいえ」
「通りの2番目の辻を西に行って五軒目の黄色いレンガの家だよ。毎週火曜と金曜日にしか店は開いてないから注意して。多分エリナ嬢の助けになるけど、絶対内緒でね!」
「あ、ありがとうございます……?」
「俺もう行かなきゃ、ぐずぐずしてたらミゲルに殺されちまう」
フィガロ様は「じゃあねー!」と元の道を帰って行かれた。私はぽかんとしてその姿を見送る。彼の話は何が何だか全く理解できなかった。わかったのは「絶対内緒」と「エリナ嬢の助けになる」という事だけ。私は迷った末にココに訊いた。
「ねえ、クピト通りって……確か、城下ではあまり大きな通りじゃないわよね?」
「えっ、庶民ばかりが住む下町ですよ! お嬢様、そんなところに何をしに行くんですか!」
「やっぱりそうなのね……」
でも、フィガロ様はチャラいけど嘘を言うような人ではないと思う。あのミゲル様の親友で、信頼されて副長を務めてる方なんだもの。その方が「助けになる」と言うのなら信じてみようと思った。
……ううん、多分私は藁にもすがる思いだったのだ。これ以上ミゲル様に嫌われたくなかったんだもの。
◆
私、エリナ・メイソン伯爵令嬢は王立騎士団の団長であるミゲル・ジオ・ラース侯爵様と婚約している。彼は今まで数々の女性を泣かせてきて、実際に婚約を結んでも解消してしまった事が何度かあるという噂だった。
でもある日、私の従兄弟の一人であるジャックが王立騎士団に入団できることになり、入団式を観に行った時にミゲル様の噂は間違いではないかと思ったの。とても大きな体をビシッと綺麗な姿勢でただした彼は頼もしくてかっこよかった。それに、薄紫の瞳は綺麗で誠実そうだし、あまり饒舌でもなさそうで女を泣かせている風には見えない。それなら横にいる副団長の方が軟派な優男といった風情でピッタリだわと思えたくらいで。
「団長様、かっこよかったわ……」
私がぽつりとそう言うと、お父様とお兄様が前のめりに聞いてきた。
「なんだエリナ、ああいうのが好みなのか!?」
「ラース侯爵家と縁戚になれれば万々歳だ! 今彼には婚約者はいないと言うし、当たって砕けてみよう!!」
「えっ」
私が戸惑っている間にお父様は縁談の話を持って行ってしまわれた。でもどうせ上手く行かないだろうしと思っていたら、なんとその話が受け入れられ、私とミゲル様の婚約は締結されてしまったの。その時は驚きつつも嬉しかったわ。
ところが、実際にミゲル様と話してみて初めて私は「数々の女性を泣かせてきた」の意味を理解したの。彼はきっと今まで女性を怖がらせて泣かせていたのね。お茶をしても、会いに行っても、いつも眉間に皺をよせてむっつりと不機嫌そうでほとんど話をして下さらない。何故私なんかと婚約を結んで下さったのかと不思議に思えるほど。
もしかしたら、女性がお嫌いだけれど侯爵として結婚し、後継ぎは作らないといけないと考えていらっしゃるのかも。そうだったら悲しい。別に私じゃなくても良いって事だものね。
でも、それでも他の女性にミゲル様を譲りたくはなかった。だって、一目惚れだったのだもの。
◆
次の火曜日に私はココと共に城下町に出た。勿論令嬢だとバレないように、平民だけどちょっと良い商家の娘ぐらいに見える様に変装をして。
クピト通りは馬車が二台ですれ違うことが出来ないほどの小さな通りだった。そこの2番目の辻を言われた通り西に入るともっと小さな、馬車も通れない程の小路になってしまった。
「お嬢様、帰りましょうよ……」
「お願い、五軒先をちょっと見るだけだから。すぐ帰るわ」
私はココを何とか説き伏せ、黄色いレンガの家を探す。目的の店はすぐ見つかった。木の頑丈そうな扉に札がかかっている。近づいてみるとそれには「営業中」とだけ書いてあった。
……見るからに怪しくて、何のお店かもわからない。
でもここまで来たんだもの。手ぶらで帰る気になれなくて、私は扉を押した。そっと押したつもりなのにそれはギギィ……と重い音を立てる。部屋の中に漂うのは嗅いだことの無い、スパイスの様な煙草のような不思議な香り。
「おや、珍しい。お客さんかい」
小さな部屋の中をカウンターが仕切っていて、その上には水晶の原石や、色とりどりの薬瓶、奇妙な首飾り……と様々なものが置かれている。カウンターの両側はそれぞれ人ひとりが入れるだけの小さなスペースしかなかった。向こう側に座っているのは一人のおばあさんで、その服装からいかにも魔女という雰囲気だった。こちら側の壁には外国製らしき恐ろし気な仮面や、謎の棒(杖?)などが架けられていて、おばあさんの背中側の壁にはまた別の扉がある。
「見ての通り、ここは一人用だよ。お連れさんは外で待っておくれ」
「お嬢様……」
「ごめんなさい、ココ、待ってて!」
抵抗するココを扉の外に締め出し、魔女さんと対峙する。
「きっひっひ。お客さん、この店がどんな店か知って来たのかい?」
「あの、騎士団副団長のフィガロ様の紹介で……」
「おや、あの細面のボウヤかい! この店のことは絶対に秘密だと言ったのに。あいつにはお仕置きをしないといけないねぇ……」
「そんな! あの人はここが私の助けとなると教えてくださったんです。それに絶対に秘密を守ってとも言われてました。私、今連れて来た侍女にも内情を話さないで来たんです!」
私が慌てて言うと、彼女は皺だらけの顔をクシャクシャにした。
「きひひ。こんなに可愛らしいお嬢さんにそこまで言われちゃあ仕方ないね。今回だけは大目に見よう。お嬢さんはなにをお悩みなんだい?」
「あの、実は私の婚約者の事で……」
私は魔女のおばあさんに全てを話した。ミゲル様に一目惚れをしたこと。婚約者になれたけれど彼が冷たくていつも怒っているような顔をしている事。私が緊張のあまりつい変なことを言ってしまい、もっと怒らせてしまう事……。話しているうちに本当に悲しくなって、つい涙ぐんでしまった。
「そうかい、それは辛いねぇ。でもあのボウヤの紹介って事は、あんたは信用されてるんだね」
「……え?」
「うーん、あんたにピッタリなのはこれかな」
おばあさんはカウンターの下から何かを取り出し、金属製のトレイの上に手をかざす。ちりんと小さな音を立ててトレイに乗ったのは指輪だった。小さな薄紫色の宝石が付いている。思わずミゲル様の目の色みたい、と思ってしまった。
「綺麗……」
「気に入ったかい? それはあんたの本当に見たいものを見せてくれる指輪さ。満月の夜にこれを小指に嵌めて強く願うんだ。そうしたら上手く行くさ」
「……上手く?」
「そう。でも気を付けないといけないのは、この指輪に願いが通じるのは一度だけ。願いをかけた後に外してしまうと二度とお前さんを助けてはくれなくなってし……」
「し?」
「し……じっ」
急に魔女のおばあさんが息も絶え絶えにあえいだ。全身が細かく震え、目を見開き、手は宙をかいている。
「お、おばあさん?」
「じっ、持病の……癪がぁっ……!!」
それだけ言うと、彼女はお腹の辺りを抑えてばたりと倒れてしまった。
「大変!!」
慌てて扉を開け、ココに声をかける。
「ココ、クピト通りに戻ってお医者様を呼んできて!! おばあさんが倒れちゃったの。早く!!」
「かしこまりました!!」
ココは走っていく。私はその間に何かできることが無いか考えた。お店のカウンターは端から端まで設置されていて腰よりも高い位置なので、カウンターの向こう側に私はとても行けなさそうだった。そこで向こう側の扉の存在に気づく。
「そうだわ!」
もしかしたら奥の部屋に誰かいるかもしれない。私は壁に架けられた奇妙な棒を取ると、カウンターに上半身を預けて腕を伸ばし、棒で扉をノックした。何度も、強くゴンゴンと。
「もー、お祖母ちゃんうるさいよ。何~?」
突然奥の扉が開いて年若い女性が入ってきた。そしてカウンターに乗りあがっている私と目が合う。
「……」
「……」
彼女は目を丸くしたまま、床に視線を落とした。私もハッとして、ヘンな姿勢のまま慌てて言う。
「おっ、おばあさんが突然倒れてしまって! 今お医者様を呼んでます!」
「きゃああ、お祖母ちゃーん!! しっかりして!!」
「持病の……癪がぁ……」
「お嬢様!! お待たせしました!!」
そこにココがお医者様を連れて戻ってきた。お医者様はおばあさんのかかりつけ医だったみたいで慣れた様子で「裏口に回るね」とお孫さんに言っている。お孫さんは私に涙目でお礼を言ってきた。
「あのっ、ありがとうございます!!」
「あ、実は今、この店で買い物をしようとしていて……」
「ああ、お祖母ちゃんの趣味で集めてるガラクタでしょ。なんでも好きなものを持って行っていいですよ!」
「お代は……」
「いいですいいです。魔女のまじないとか言っているけどどうせインチキなんで!」
「えっ……」
私はもう少し話をしたかったけれど、おばあさんの状況が状況なのでそういうわけにも行かず、取り敢えず指輪を貰ってお店を後にした。
◆
帰宅するとバスケットがラース侯爵家から返却されていた。その中に花束と手紙も入れられて。手紙をドキドキしながら開封するとそっけないお礼が書かれていた。
『差し入れ、感謝する。騎士団員たちや副団長も喜んで食べていた』
私はしょんぼりと手紙を見つめる。『副団長も』ってどういう意味? その『も』には、ミゲル様も喜んでいたと思っていいのかしら。でもそれならこんな書き方はしない気がするわ。思わずため息が漏れてしまう。
「……だめだめ!」
私が突然独り言を言い出したのでココがびくっとして「お嬢様、どうかされました?」と訊いてくる。
「あ、ごめんなさい。すぐ不安になってしまう自分がいけないなと思って。暗い女はミゲル様も嫌でしょうから」
「そうですよ、お嬢様は可愛らしいんですからにこにこ笑っているだけでラース侯爵様も十分なんだと思いますよ!」
「……そうかしら」
やっぱりまた暗くネガティブになってしまう。私はポケットの中に手を入れ、小さな指輪にそっと触れた。ちょうど明日が満月の夜だから、指輪に願いをかけてみようと思ったの。お孫さんはインチキだと言っていたけれど、物は試し、当たって砕けろだわ。
◆
「ミゲル様と仲良くなれますように……」
煌々と月明かりが照らす窓辺で、私は指輪を左の小指に嵌めて真剣に願った。何度も、何度も。
だけど指輪は何も応えてくれなかった。私は諦めてそのままベッドに入った。やっぱりインチキだったのねと考えると悲しい気持ちが込み上げてくる。
私ってなんてバカな女なんだろう。こんなものに頼ったりして。
ところが翌朝、状況は一変したの。
「おはようございます。お嬢様!」
ドアを開け、元気よく挨拶をしてきたココの頭の上に「88」という青く半透明な数字が浮かんで見えたのだから。私は寝ぼけているのかと思って、何度も目を擦った。だけど数字は消えてくれない。
「なんですかー? お嬢様ったらまだおねむなんですか? ふふっ。可愛い」
ココがそう言った瞬間、頭の上の数字が「89」に変わった。
「あっ!?」
私が数字を見ながら声を上げると、ココは私の視線の方向に気づき、上を見上げる。
「んっ、なんですか? 何も見えませんけど」
「えっ……」
私は思わず左手の小指を見る。小さな薄紫色の宝石がきらりと光った気がした。
「おはようエリナ。今日も可愛いな」
「エリナ、こないだの菓子は騎士団に大好評だったとジャックが言ってたぞ。どんどん差し入れをしたらいいんじゃないか?」
「エリナ、今日もクッキーを焼くの? 私も手伝おうかしら」
お父様、お兄様、お母様の頭の上には「100」の数字が浮かんでいる。他の使用人たちも皆70以上の数字だった。
「クッキーも焼こうと思いますけれど、今日はその前にちょっと宝石商に行ってきます」
「昨日も城下町に買い物に行っていたらしいじゃないか。それよりもラース侯爵家と交流をはかってだな……」
小言を言っているお父様の上の数字が何度も「99」に減ったり「100」に戻ったりと忙しい。もしかしてこれって……。
「大丈夫です。明日は必ず騎士団の見学に行きますから!」
私がそう言ってにっこりと微笑むと、お父様の数字は「100」で落ち着いた。
◆
今日の私は令嬢らしい格好で伯爵家の馬車に乗り、ココを連れて宝石商の店に行った。事前の約束がなかったにもかかわらず、宝石商は愛想よく私を出迎えてくれた。ただし頭の上の数字は「35」だけれど。
「突然ごめんなさい。この指輪の石、何の種類かわかるかと思って」
「では鑑定させていただきますね」
「あ、それが、事情があってこの指輪は外してはいけないの」
「はあ……?」
宝石商とココが同時に目を丸くし、理解不能と言う顔をした。宝石商に至っては数字が「33」に下がっている。
「あ、ごめんなさい。素晴らしい鑑定眼をお持ちのこちらのお店なら私が指輪を外さなくてもわかると思ったのだけれど、流石に無理よね。帰りますわ」
「い、いや! 拝見します!」
宝石商の数字は更に下がり、「28」までになった。彼はムキになって私の小指を眺める。
「……こほん、おそらくアメジストだと思いますがこのままでは何とも」
「いえ、それで十分ですわ。流石ですね。私、結婚式の時に身に着ける宝飾品を考えないといけないんですけど、こちらのお店なら信用できると思いましたわ」
「宝飾品の選定について、ラース侯爵にお口添えいただけると!?」
宝石商の頭の上の数字が「65」までグワーッっと上がったのを見て、私は笑いそうになってしまった。
◆
家に戻った私はお菓子を焼いて、翌日に備える。あの魔女のおばあさんは、この指輪を「一番見たいものが見れる」と言っていた。私は「ミゲル様と仲良くなりたい」と指輪に願ったのだから、多分これは人の気持ちが見れる魔法なのだろう。
頭の上に見える数字は、多分機嫌の良さか、私に対する好意を表しているのではと予想できる。家族の皆が「100」なところを考えると、機嫌よりも好意の方が可能性が高そう。
「うふふっ」
私は指輪を見ながら顔がにやけるのを止められなかった。いつも不機嫌なミゲル様の数字を見ながら、少しでも機嫌が良くなりそうな物や言葉を探っていければ、いつかは彼と仲良くなれるかもしれない……という希望が湧いたんだもの。
◆
「また来たのかエリナ嬢」
差し入れのお菓子を持参して演習場に行くと、ミゲル様からいつもの迫力あるセリフを聞かされた。普段ならここでびくっとして涙ぐんでしまうのだけど、今日の私はひと味違う。ここでめげずに少しでも仲良くならなくちゃ! と大きな彼を見上げたの。
「……せっ?」
私の口から変なイントネーションで疑問の声が漏れた。だって目の前のミゲル様の頭の上に浮かんでいた数字は「1,059」だったのだから。
えっ、これ、せんごじゅうきゅう? 1.0じゃないわよね!? というか、最高値は100だとばかり思ってたわ……。
さっきまで余裕綽々だった私は頭の中が真っ白になり、ただミゲル様を見上げるだけになってしまった。と、こちらを睨んでいる彼の頭の上の数字が「1,072」に増える。えっ、一気に13も上がったのだけれど!? 私、何もしていないのに!
完全に想定外の状況に、ただただ私は無言で彼と見つめ合う。するとミゲル様の数字がどんどん増えていく。1,085、1,099、1,117……待って待って、理解が追い付かないわ!
「あ~! エリナ嬢、ようこそ!」
またまた横から明るい声が飛んできたので、私のフリーズは解けてホッと息をついた。横を見ると相変わらずフワフワした雰囲気のフィガロ様が笑顔で近寄ってきている。彼の頭の上の数字は「70」なのを見て、ミゲル様との差の凄さに思わず二人の顔を交互に見てしまう。
「……俺は邪魔だろうから、これで」
「えっ」
突然ミゲル様が変な事を言い出し、その場を離れようとした。頭の上の数字も急速に下がっていく。それでも「1,078」と桁違いなのは変わらないけれど。
「待ってください!」
思わず彼の腕にすがってしまった。今この場を離れてほしくない。だって。
「私、ミゲル様を邪魔だなんて一度も思った事ないです!! ずっともっとお話ししたいと思っていたのに!」
「えっ!?」
頭の真上からひと際大きい声が降ってきて、私はびくっと彼の腕から手を離した。なんて大胆なことをしちゃったのかしら。はしたない女と思われたかも。
「ご、ごめんなさい……迷惑でしたよね」
恐る恐る見上げると、そこには、真っ赤な顔のミゲル様が。そして頭の上の数字は物凄い勢いでガンガン上がっている。もう「2,782」まで到達……あ、そう思っている間に数字がまた上がって「2,927」に。ところがその数字と裏腹に、ミゲル様はとんでもないことを言い出した。
「……すまない、エリナ嬢。何か俺は聞き間違えをしたようだ。君が俺のことを怖がっていて、俺と話すのも迷惑だ、と今言ったんだよな?」
あまりにもひどい解釈に、私は間髪入れず反論してしまった。
「全然違います! 正反対です!! わ、私ミゲル様のことが大好きで仲良くなりたくって!!」
「あ、あああああ~……」
彼は頭を抱えると、大きな体をくしゃくしゃに折る様にしゃがみこみ小さくなった。顔は伏せているけど耳まで真っ赤だし、数字は依然として凄い速さで増えているので、彼が嫌でないことはわかる。そして横でフィガロ様がゲラゲラと笑いだした。
「ほらー、だから言ったろ? エリナ嬢は今までの女の子達とは違うってさ!」
「だから、違うからこそお前が彼女の事を気に入ってると思ってたんだ……」
「馬鹿言うなよ。今まで俺が好きでもないお前の元婚約者たちを慰めて、皆俺になびこうとしたからうんざりしていたのを知ってるくせに。それに俺はこれでも一途なんだよ。ちゃあんと他に心に決めた人が居るのさ」
「そう言う事は先に言え……」
「エリナ嬢と俺が両想いだと勝手に決めつけてたくせに、その事をハッキリ言葉に出さなかったお前に言われたくないね」
「……」
黙り込んだミゲル様の背中を、バンバンとフィガロ様が叩く。
「ほら、エリナ嬢が勇気を出して言ってくれたんだからさ、お前もちゃんと言わないと男が廃るってもんだぜ。団員にきちっと見本を見せてくれよ騎士団長様?」
「……」
彼はゆるゆると立ち上がると、私に真正面から向き直った。
「エリナ嬢」
「はっ、はい」
「好きだ。大好きだ。可愛い。初めて見た時から、一目惚れだった」
「えっ!?」
以前の私なら、突然こんな事を言われても信じられなかったに違いない。けれどミゲル様の頭の上の数字は更に急速に上がっていてもう「4,824」にまで到達していた。これは信じざるを得ない。
「初めてって、いつですか?」
「君の従兄弟のジャックの入団式の時だ。彼の祝いに駆けつけてくれたろう?」
「えっ!? わ、私もです……ミゲル様に一目惚れで」
「嘘だろ……メイソン伯爵からは、そんな事は何も聞いていない。てっきり政略結婚で君の意思は無いものかと」
「……ああ……」
お父様をちょっぴり恨みそうになったけれど、冷静に考えればそうよね。「うちの娘が一目惚れしたので縁談を!」なんて言って申し込みをすれば、尻軽娘と誤解される可能性もあるもの。そんな事をわざわざ父親が言わなくても当人同士で打ち明ければいいのだし、その方がずっと仲良くなれるわ。
今、きちんと打ち明けるべきよね?
「本当です。私が一目惚れをしたので、父がダメもとで婚約の打診をしたんです」
「すまない……俺はなんて事を……今からでも、婚約のやり直しをできるだろうか?」
「やり直しも何も。私達、元々婚約者ですよ」
「ありがとう!! エリナ嬢、愛している!」
感極まった感じのミゲル様が私の左手を取り、両手で包み込んでぎゅっと握った。その瞬間中から「ぽきっ」と小さな音がしたの。
「あっ」
「あっ? 何か、壊してしまったか?」
彼がゆっくりと手を開くと、掌には指輪から外れた薄紫色の宝石が転がっていた。私はミゲル様の頭の上を見る。数字はもう見えない。
「す、すまない! これは修理に出すから……!」
オロオロするミゲル様を見て、私はにっこり微笑んだ。数字が見られないのは残念だけれど、今の彼を見ていれば数字なんて必要ないわきっと。
「ええ。大丈夫です。あと、もしよろしければ別にミゲル様に指輪を選んでほしいです」
「それって……」
「もちろん、一生大事につけるための指輪ですわ」
「エリナ嬢……!」
今度は彼は私をぎゅっと抱きしめてくれた。ちょっと苦しかったけれど、私はその一万倍も幸せだったの。もしも数字が見れるなら、彼の頭の上にはきっと「10,000」を超える数字が出ているだろうなって思えたから。
ご覧くださり、ありがとうございました!!
※ちょっぴり補足です。
ミゲルは今まで見た目や爵位で寄ってくる女性は多かったのですが、元来の愛想の悪さに皆怯える→フィガロの柔らかい態度とイケメンぶりに皆そっちに浮気しようとする→で二度ほど婚約がご破算になっています。フィガロ自身も親友が変な女に捕まったらマズイ!と、わざとハニートラップを仕掛けていた節がありました。
しかしエリナはフィガロに全く興味がないので、フィガロは今度こそミゲルが幸せになれるかも?と思って応援しつつ、実は後で自称魔女のおばあさんにエリナが何を言ったのか聞きだして裏工作をするつもりだったのです。
……つまり、魔女のおばあさんのほとんどの商品がインチキやがらくたなのに今回だけ本物だったというオチでした。
※2024/6/30
あさぎかな様よりコラージュFAを頂きました。ありがとうございます!
面白い!と思って頂けたなら、↓のお星様に色を付けて☆→★にしてもらえると嬉しいです。
また、↓のランキングタグスペース(広告の更に下)に他の作品へのリンクバナーを置いています。もしよろしければそちらもよろしくお願い致します。