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撃墜通勤戦線(前編)

作者: 光潤 景

レースと言うテーマで表と裏との闘いを描写した本作品は、少し諄くもあるが一貫性を持たせるための説明だと考えて頂きたい。戦闘描写が最初と最後に留まるもその理由のひとつである。一人のドライバーとそれに関わる一人の女性で話は進められるので読み易く、主だった登場人物も少な目の設定となっている。最後まで辛抱強く読んでいただければ、謎が解ける事による清涼感を味わう事が出きるはず。

                        1


こまどりのリア・ボーンは、新型ダリヤ社のそれとは世代デザインが違っていてパワー・ブレッドに十分耐え得るものではなかった。被弾した桜見は「くっ!」と小さくつぶやくと、なお後方から追いすがるブレッドの射出音を聞きながら、リヤ右ダンパーに数発小穴の開いたこまどりのセカンダリー・スロットルを目いっぱい踏み込みタービンを全開にする。ライト・ウエイトで瞬発性の高い駒鳥社のビークルは、急加速の為、ノーズを高く引き上げると後方から発射されたダム・ポイント弾を乾いた路面で鋭く兆弾させ、スピード・ステージ右端に設置されたセーフティ・ゾーン看板を、跡形もなく粉砕させた。トリガーを絞ったまま、こまどりのほんの数メートル後方を撃墜体制で追従するフィーメール・ドライバーはCPアテンドの減点採用アラームを聞き「ちょこまかにっ!」と金切り声を上げトリガー・バーを開放する。瞬時にバック・ランドを確認した桜見は、正面のコーナー限界角度の計算値をカペラ・ゴーグルで読み取り、アーム・ステアリングの位置決めをした。

(この距離と角度なら狭い方から来るに違いない)

全く逆方向の計算予測値を容易に思いつくのが、桜見の圧倒的な戦略思考センスだった。桜見は後方機砲の照準を、右ガード・レール端のわずかな隙間に合わせた。追尾して来ている最新型アットムⅢをそのまま待ち伏せ、こまどりのレーザー・サイトに誘い込む。二戦連勝続き、お決まり通りの自勝戦を、自分で完璧な判断とスピードで計算したフィーメール・ドライバーは、かなり優位な位置で、こまどりを追撃していたつもりだった。

「いまどき駒鳥社のジャンプ・ビークルなんて……」

裏をかいたつもりで新型二二〇三のレーザー・サイトを使い、こまどりを機砲照準に入れ込んだドライバーは軽薄そうな唇を舌先で少し濡らすと、桜見が待ち構えている狭いガード・レール脇へレーン・チェンジし、レーザー・サイト『確定』ボタンを押す。

「そんなポンコツは今時流行らないっ」

きわめて冷静にふるまったつもりで開放していた指先を再び緊張させ、目の前のこまどりブローと引き換えに入ってくるであろう、ここ数年間の歴戦勇者を粉砕するスーパー・ボーナスをすばやく計算したまま、ドライバーはアットムⅢを自分の意志とは違う逆方向へ回転させてしまう。メット・グラス奥で(えっ?)と言う表情のまま、最新型ビークル、アットムⅢは左フロント・エアー・ダクトから右サイド・バッフルまで、こまどり後方機砲から射出された重機貫通ダム弾に煙を噴き、ハイ・スピード・ステージ脇のショック・アブソバ下へ、さらに数回、まばゆい光沢で光輝く優雅な最新のモデル・ボディーをスピンさせ、軌道下へその姿を消す。保護用フル・バックの機械衝撃をまともに受け思考イメージが薄れる中、撃墜されたドライバーがヘルメットの奥、リアル・フォンで確認するボディ前部の破裂音より、さらにけたたましく誇張されたライブ音響が街中随所に設置されているライン・ビュー、イメージ5から絞り出されると、早朝にも関わらずほぼ街中の人々が歓声を上げる。

「またやったぜっ!なんて凄いおんぼろビークルなんだっ!」

機械の様に冷酷なまでの計算でアットムⅢをヒットした桜見は、気分を落ち着かせ、およそ時速二百キロ巡行のままステージを約二キロ疾走した後減速し、戦線終了のサインとなる、ひとつひとつゆっくりと落ちてゆくステージ・ライトの薄明かりの中、今日も退屈になりそうな地上での内勤スケジュールを思い起こした。さらに、数キロ先に設置されてある離脱用コアでのアプローチ準備にかかる。ランニング・レーンで戦跡を読み取らせた桜見は、平行して走る通勤路線に一番近い一般ハイウェイに接続しているシャドウ・ランプ速度にまで減速し、トラフィック・スピードを読み取らせ、朝の職場へ急ぐ車列へこまどりを滑り込ませるための手順を踏んだ。撃墜からここまでわずか三分。

シャドウ・ランプはドロップ・ビークルを一般車に気づかれないゴーストで適度な車間をつくり密かに交通路線へ合流させるシステムだ。戦線用戦闘ドロップ・ビークルも、車群へ一旦紛れ込むと格納機砲により周りがそれと気づく事は難しい。さらに一般公道ではビークル自体にもセフティ・トリガーがかかりドロップ・ビークルとしての機能はすべてオフ・リミットされる。万が一犯罪にでも使われた後ステージへ逃げ込み、戦闘ビークルとしての機能を得ようとしても、スケジュールにない侵入ビークルは機能のすべてをオフ・リミットされてしまう。高性多機能のスーパー・ビークルは一般公道や戦闘スケジュール無しでは無力化されてしまわなければならない。重装備の戦闘ビークルはごく普通のファミリー・ビークルとされてしまう。

仮に犯罪者が一般公道でオフ・リミットをチートによって無効化しても、その違法プログラムにより、随所に設置されている監視レーザーに容赦無く一瞬にして焼かれてしまうだろう。この戦線の安全性、そして機密性から、かつて一般公道でこのような事故が発生した事は一度も無い。もっとも崇高な戦線ドライバー達が、犯罪に加担する事など無意味だと心得ているのも、このような事態にならない理由のひとつでもある。

賞金王で、資金潤沢な桜見が、ほんの少しの支出により最新型がいつでも手に入る状況の中で、この旧型ビークルに拘り続けるにも理由があった。

まず旧型は特にレギュレーション・スパンが広く設定されていて磐石につくられた最新モデル・ビークルの定格以上の個性で勝負できる点にある。桜見の場合、性能差をレギュレーション幅で凌げるどころか、最新ビークルにはない個性作りがいとも簡単に可能である事を発見した一人でもある。ドライバーと車を一体化させる個体制作に特に秀でているのがこの世代、旧型ビークルの大きな特色であり、桜見はそれを自分のものにしていた。つまり他のドライバーがハードやソフト進化に頼るところを桜見は自分の戦闘センスに沿ったビークル造りをしているという事になる。

旧型のレギュレーション・スパンも、十年も隔たる機能ハンディを埋める対処で限界まで高める事が許されていて、最新型ビークルのほぼノーマルに近い製品とでは、個性においてその多様性の幅の違いは明らかだ。たとえそれが、優れたメーカーによる長い期間をかけ試作レクチャーを積み重ねた最新型スーパー・ビークルであったとしても、ひとりひとりのドライブ・センスにまで対応する事はできてはいない。誰が何を使って参戦しても全くの自由なこの戦線の場で、必要なのはドライバー個性通りのビークルを作り上げる事である。桜見はそのレギュレーション・スパンの広大な三世代前ビークル規格が一番優秀で可能性が高い事に気づいていた。そして、たとえ今回のように右リヤの被弾痕で変形したダンパー・カバーを誰かに見られたとしても、十年以上型遅れのビークルとして馬鹿にされるのが桜見にとっては心地よい安心。この何世代もの型落ちこそが戦線のスーパー・スターによって全世界に配当利益を与えているビークルとは誰も気づかない完全に近い隠蔽スタイルでもあったからだ。

それらビークルは、年式、型番、チューン・スペック等、一通り公表されるようになっているが、ドライバー情報は戦績以外すべて何一つ公表されてはいない。一体誰が賭ける者に富みをもたらすスターでありヒーローなのか?世の中はその固有名詞や容姿すら何ひとつ知らず知らされず、その情報すら公開されず、この公益ギャンブルは無印で無名のまま正当化されている。親元のディラーにもドライバー達の情報を扱える存在や権限は無く、それは国家機密法により、より高い安全保障範囲で執拗な警備体制が続けられているという事になる。つまりドライバー個人のデーター・ベースそのものがどこにも存在しないと言う事なのだ。

もし、このデーター無しの国家機密法が破られ、なんらかの形で漏洩や現行制度の改定でもあれば、戦線に関するすべての事業が廃止されてしまい意味がなくなってしまう。なぜなら、すべてが謎であるからこそ、人々はこの戦線に熱中する。もっとも、戦う勇者に人格や性質は必要無い。必要なのは勝つ事だけ。国家予算以上の枠で経済効果が期待される一大国営事業を行う現ディラーMとしても、もちろん国家としても、細かな詮索やドライバー個人の確定表明でわずかな利益を生み出すより、世界的公益ギャンブルを盛り上げる為の隠ぺい施策を保った方が、はるかに世界や未来に利益や可能性があると確信している。だからディラーも、誰も、ドライバーの素性や消息を詮索する者はいない。それらデーターを欲する者もいない。この掟こそが、バトル・ラインの神秘性を生み、全世界トップ・レベルでの高い人気と、飽くなきギャンブル性を保ち続けている巧みな戦線の仕組みとなっている。

早朝、戦線を終えた桜見は、離脱による体内アドレナリンの拡散と共に、無気力な皆と同じような振る舞いで、未来の展望と約束の無い職場へ急ぐサラリーマン達へ自分を同化させようとしていた。ひと頃、この多重人格性のある行動もドライバーとしての魅力の一つだと思ってはいたが、三年近くも経つと極めて面倒な精神構造の切り替えでしかない。それでも、自尊心、自敬心とも言える複雑な喜びを密かに自分の中で称える桜見は、社に着く迄に同僚達と仕事前の憂さ晴らしに気持ちを合わせるよう工夫する。社では運良く勝車エントリーを得た者達が、何番にいくら賭けていたのか適当な数字を皆で公表しあうのだ。勿論桜見本人が多くの場合の勝利益を皆に提供している今世紀最大の戦線スターだとは誰も知る由もない。誰があの古参ビークルで命を賭けて闘っているのか?しかもこの33番はすでに今回二十一連勝。全世界に提供した配当はすでに総額では小国の国家予算を遥かに超えてしまっている。誰もが33番をエントリーする。しかし瞬時にしてエントリーはクローズしてしまう。桜見は勝利の後、毎回、社内で出会う同僚達に大抵は悔しそうな表情を装いながら自分をとり繕う。

「今回も33番はダメだった」

「お前、仕事ものろまだからな」

33番の勝者チケット・ボードを運良く得たラッキーな者達は、決まっていつもエントリーさえできない桜見ののろまぶりをいぶかり、薄くて小さな幸せに浸り、目の前の男がその幸福を与えている張本人だと気づかぬまま彼から足早に遠ざかって行く。

落とすかもしれない命を賭ける戦いに思惑など入る余地は無い。何等かの計略で負けると言う事は何もかもを失うと言う事だ。もちろん桜見にはそんな手加減や面倒な裏取引も無い。誰もがそうしているように覚悟を決めこの戦線に参戦する。参戦以来、稀で高度なドライブ・センスとビークル作りで桜見は今までに無い二十一連勝を獲得した。当然無敗でなければ戦い続けることはできない。

しかし、この桜見にもいつこの戦線からの離脱時期が来るのか?予想する事はできない。予想すれば気弱な自分を言い当てるように負けてしまうスター達がいた記事を何度も読んでいる。ステージでの迷いは不思議なことに被弾となってしまうらしい。勝利を重ねる度、自分を見失いそうになる感覚は増大し、大抵のスター達は失敗の許されない連勝の軋轢に押しつぶされてしまう。桜見自身もいつかはこの過大なる神経の消費による精神の老いに翻弄され、その時がやってくるはず。それらを自分に言い聞かせながら戦い続けるこの戦線には、勿論引退システムも何も存在しない。ヒットされればそこが戦線の終了点、他界点で終着点となる。この世界で再び存在することは許されない。だから何かの理由や面倒な裏取引で自分を終わらせる事もできない。スターはひたすら自分のメンタル寿命と身体寿命が続く限り戦い勝ち続けるしか無い。人生を表現した戦線は、そのままドライバー達の生涯でもあった。

桜見はこの勝利でオッズがほぼ最高率になる事を知っていた。おそらく今回の戦い方で次回は十倍以上に跳ね上がるだろう。そして桜見がいつかはこの戦線から手を引く時、必ずやって来るその時、もし無事でいられるなら、もしかしたら本当の人生の大儀を知る事が出来るかもしれない。それはいつなのか?桜見は握り慣れたアーム・ステアリングのアタック・モードを解除する度に、戦線による緊張が薄められ消えていく喪失感の中で、いつもその事を思い巡らせていた。

程なくシャドウ・ランプがゴースト完了のサインを出すと目の前のチーク・パルにボーナス・ポイントから換算された九千三百万のウイン・ギャラ表示がグリーンで輝いた。この戦線による経済施策で比較的安定した経済情勢が続く今日、この九千万のギャラは平均的サラリーマン十年分の年収に匹敵する。七分間の稼ぎとしては超破格であるブルー・ローズ・ランクの報奨額だ。

桜見は今回も『勝者33番へのチケット・エントリーができなかった演技』を練習しながらフル・スロットルの余熱を外部から見えない極太の排気デフューザーで大気へ拡散させ、ゴーストを経て一般公道であるフリー・ウエイへこまどりを紛れこませる。同時間帯通勤で混雑した通常ハイウェイをノロノロと一五分程移動した後、市内出口への指示ランプを点滅させ、十年前の古参ビークルは接着剤で固められた様にほとんど動かない都心部へ向う大渋滞へはまり込む。桜見は早朝から疲労色の強いくすんだ真顔を保ち、右端からあつかましく無理矢理割り込んできた最新型ビークルを無表情に眺めていた。


                         2


 「どうして33番は負けないんだ?」

初老をとっくに過ぎた男は百三十階の展望ラウンジから戦線ステージ・テラスを眺め、そうつぶやいた。

「今朝あの4番はなぜ負けた?」老人は少し怒った口調になった。誰か応えた方が良いとお互いに目配せした中年ガードマン数名が、義務は無いにしろ老人を宥める答えを探そうと憂鬱そうな表情になった。いきなり直通エレベーターが開くと同時に老人の聞きたくない言葉がラウンジ内に響く。

「凄いですねぇ。連戦連勝ですよ。こんなドライバー見た事も聞いた事もない。もっとも本当に誰なのかも知りませんしわかりませんけどね」

ラウンジにいた他の男達は更に狼狽え居心地の悪くなった持ち場からの逃げ道を探す。老人がゆっくり振り向くとチケット・ボード片手の若い男が、表情とは裏腹に老人を無視し対面のシートに腰を落とす。老人は普通に質問した。

「どうしてあいつは負けない?」

目の前に座り込んだ男の顔も見ずに繰り返される老人の質問に、その若い男はボード見せて言った。

「私が買っているからです」

場を取り繕う質問の答えを探していた中年ガードマン数名は、老人の恐るべき反応を予想し顔をしかめ身をかがめた。

「どうしてあいつを買う?」

老人は男が示したチケット・ボードを無視し眉を少しこわばらせたが、周りの警戒とは裏腹に男に対する怒りを持たないまま独り言のように言った。若い男は足を組みなおし背後の男に何か飲み物を、と言うしぐさをしながら答えた。

「勝てるからですよ」

男の単純で人を食ったような対応にも老人は声を荒げず「だろうな」と小さくつぶやく。

「伏見マネージャーもあいつを買えば?」

おそらくそう言うだろうと老人が予測した答えも明瞭だった。

「私が33番を買う?」

「そうです。儲かりますよ。今回のは六倍オッズで二十万」

間髪入れない男の口出しに、伏見と呼ばれたディラー・マネージャーは再び眉をひそめた。

「儲ける、儲けないの話しじゃない、今朝の4番は刺客だ」

(そんな事ができるのか) 

男は心でそうつぶやくと、叔父である伏見マネージャーの背後でたたずむ細身のウエイターからグラスを受け取った。

(なるほど、見せ場を作る為でもあるわけだ)

男は表情を変えずに伏見に質問した。

「刺客?ですか?確かそう聞こえましたけど」

男はみえみえの演技だと思いながら悪びれる様子もなく、伏見と言われる男の顔を見据える。伏見も同じく素人演技で男を見ながら少し小声で言う。お互いに会話が演技であったとしても親族同士、とりたてて重大な問題や違和感を感じる仲でもない。

「お前は身内だから今回は腹割って話す。『刺客』とも言ってしまったし、この意味はわかるな?」

(ディラーが、追い込まれていると言う事なのか……)

男は内心を見透かされない様ふざけて言った。

「どの意味ですか?叔父さん」

(今日こそはこの話がしたかったし戦線情報が欲しい)

男は心の中でそうつぶやくと長身の体を叔父伏見マネージャーの前へのめりこませる。

(叔父のこの慌てぶり。何かが変わってきている)

ゆっくりと席を立ったディラーMマネージャー伏見が、別室へ向かうその小さな背中を目で追いながら、伏見の妹の長男、沢村圭吾は戦線に関する最大限の情報収集の為、叔父の話を聞き漏らさないよう精神を集中させる。


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戦線のディラー。いわゆる元締めは発足当初全世界入札制との申告がなされたが、始まってからここ十数年、日本のディラーMから交代したためしがない。世界四〇億とも言える戦線人口から吸い上げるマージンを、ディラーMは惜しげもなく世界中の役人に配布し政治を動かし国を動かし法律を動かし世論を動かしマスコミを操作して王座に座り続け、尚、世界へ向けての発展をもくろんでいるのがこのマネージャー以下、わずかな幹部達によって運営されているディラーMである。彼らは周到に事を起こさせ、周到に物事を見据え、数々の危機や攻撃から脱して来た。戦線のすべての実権を操作し利益を世界中から吸い上げ、世界戦略に伴う営業力をデザインする。そして自らの世界経済征服を、戦線ドライバー達を肥やしとして収穫し続けてきたのだ。

言わばディラーMはドライバー達の働きによって自分達の世界を造り、世界を勝手に乗っ取った。

そんな中、ディラーMにとってハードやソフト、それに企画等は彼らにしてみれば、すべて富で従わせられ、どうにでもかたを付けられるもの。だが、実際に走るドライバー達はそうではない。彼らはディラーの為ではなく自分の為に走り、自分の為に相手を撃墜し、自分の為に生き残る。そこにディラーが思惑をはさめる余地など無い。世の中もそんなに甘くはなく、ここ十年で経済基幹産業にまでなった戦線に供給される新機能、原動機、モーター、ハード、兵器、すべての資材、そしてドライバー達には次世代への反射素質がわずか数年で養われ償却され、いかに優秀なドライバーであったとしても、長くとも一年、五勝もすれば新たな力により敗退を余儀なくされる。一般的な世代交代だが戦線の場合そのタイミングが異様に早い。

ドライバー個人も命を落とす危険性と戦線参加に伴う機密性による精神の崩壊は避けられず、戦線離脱者は自らの負けをヒットされる事によって実現する以外、この道から抜け出る事ができない。彼ら、彼女らは、一般では考えられない人間の中での超エリート、緻密な機械のような解析力とエスパーのような能力にたけた超人に近い存在でなければ勤まらない事になる。つまり、結局彼らはディラーが懸念したように操作される必要はなかった。彼らは過酷な運命の中で命を落とすか、廃人になるか、あくまでディラーの、よりよい道具でしかなかったのである。ところが、何もせずに高き座に居座り、世界を席巻し続けるディラーであるMが安泰を貪っている中、この33番が三年に迫り、なんと二十一連勝を達成してしまったのだ。

過去十勝を越えようとするドライバーには普通ではない挑戦者達、つまり刺客達がディラーによって与えられていた。明らかな陰謀である挑戦にもスター・ドライバー達は喜んでハンドルを握る。それが戦線を降りれるチャンスだと感じられるからだ。長年使われてきた痛みやほころびだらけの精神は真新しい絹に勝てるわけがない。たとえ一時の勝利を得たとしても長くは続かない。陰謀戦士達との戦いは精神の消耗を加速させ、勝利の持続、連勝達成はディラーMの施策によって事実上は不可能であった。如何に優秀でも長くて一年余り、そして九勝が過去の最高記録。もちろんそれが彼だったのか彼女だったのか、今生きているのか?いないのかさえ誰も知る事もできない。戦線のスターと言えども、やはり彼らもディラーによるゴーストなのである。そのゴーストが提供する富を皆が貪る。ゴーストはゴーストとしての役割を果たせばディラーは安泰であった。ゴーストがゴーストである事を止める時、ディラーMはその意志力によって彼ら、彼女らを自らの施策で本物のゴーストにしてしまう。ゴーストは現実にとって変わる事は許されない。ゴーストはいわば親元であるディラーを脅かしてはならないのだ。

ところが、この33番は違っていた。このひとりのゴーストが今、ディラーの根底を覆そうとしている。すでにディラーMは刺客を今回で六回送りつけていた。

(なぜあいつは負けないのだ?なぜ壊れない?しかもあんなビークルで)

ここ半年の間、繰り返されるディラーMマネージャー伏見の声は、ディラーMの叫びでもあった。伏見は夕日に沈む戦線テラスを再び眺めながら、妹似で丹精な風貌の沢村圭吾に話を続けた。沢村は初めて伏見から内情を詳しく知らされた事になる。ゴーストがゴーストでなくなりつつあるこの数十ヶ月余り、今更、誰に何を言ってもどうにもならない事だとわかっていながら、このままではもはやディラーMには行き場が無い事に伏見は気づいていた。ディラーMはこの33番に対して、なんらかの策を講じなければならかった。


                         4


「桜見さんここいいですか?」

桜見の足元には風白菖蒲の履く社内移動用ブルー・スニーカーが、挨拶をする様につま先を揃えていた。

昼食ともなるとごったがえすダイニング・キッチンの中でも戦線の話題しかないのか?と言う程その話で持ちきりになる。特にここ二年あまりの話題は今世紀最大の戦線スター33番。桜見は同僚達に誘われるまま適当にその話題に入り込むが、コメントの用心に疲れ、社内では会話をする相手を極少数に絞っている。いっそ退社でもすれば誰とも会話せず、不注意で不本意な発言を気にする必要も無いかもしれない。しかしそれこそが現役ドライバーである証拠となる可能性が高いのでは?突然退社してどうやって生活費を稼いでいるのか?彼は一人で何をしているのか?目立たなくする事がかえって目立つ事を桜見は心得ていた。普通に生活し、普通に戦線を話題とする。それがこの世界の慣わしなのだ。今までのドライバー達の中で、機密漏洩による処分を受けた者は一人もいない。もちろんスターでなくてもドライバーであった事すら一般的に自ら公開した者や、公開された者もいない。

ある戦線アナリストが、ドライバー個人の存在を確認できないことを理由に、すべてAIによる概数と基数のランダム決戦であり、人間は戦線には存在しない。と、すっぱ抜いた。しかし世界がホロ・ビデオ検証を行った結果、返ってどの戦いぶりも、とても機械では再現出来るものではないということが証明され、特にスター・ランクともなればその戦いのセンスは人間臭い個性や駆け引きがなければ成り立たないと言う結論。戦線はライン・ビューでしか観戦できないとは言え、機械の操作か?人が操っているのか?検証の結果それは人にしか出来ない戦いであることがそのアナリストの暴露によって逆に証明されてしまう。疑いを簡単に払拭された戦線はそこから人気が急速にピークを迎え、今にまで至るようになった。

確かにあのビークルには生身の人間である桜見が乗っている。しかしその名前は誰からも気づかれてはならない。だから毎日普通に定時出勤する。およそ五十日一戦のスパンでの戦線消化後、つまり午前四時の勝利の後、その勝利を誰にも知られずに出社勤務するのだ。もし戦線でドライバー達に何かあったとしてもディラーがすべてのつじつまを合わせる手筈になっている。ドライバー達は戦線を終わらせ一般の交通と同じフリー・ウエイを渋滞の中で走らせれば他の者と紛れてしまい、車体の傷も本人の痛手も、何も目立たせず誰もそれが戦線ドライバーだと気づく事はできない。仮に負けて命を失えば、その後はディラーが後始末をしてくれるに違いないし、過去そうだったと雑誌記事は説明する。戦線ドライバーの葬儀がこの世で行われた事は一度も無い。

桜見の敗戦は本人が望む本当のゴースト化の実現だが、まだそのタイミングがわからない。このまま続けるとどうなるのか?自分はどこに向かっているのか?時折ふと考え込む。すでにこの桜見のメンタルも、もはや正常ではなくなってきているのかもしれない。

桜見がこの一瞬で思いついた思考は、目の前にいる風白の存在を知らず知らずに無視していた。

「桜見さん?」

呼びかけに気づきナイフとフォークを置いた桜見は、風白菖蒲が何故ここにいるのか?その理由すら想像出来ず、とりあえず気を取り直し挨拶代わりの返事をした。

「風白さん今日はどうしたの?他は?満席?」

桜見の言葉は彼女にとって意地悪な口調でもあったが、彼女はそれに気づかないのか、ごく普通に振舞っている。

「そう、ここしかないの」

そういいながら風白はスニーカーとは不似合いな、ひざ上五センチほどのタイト・スカートがしわになるのも気にせず、桜見と同じテーブルにブロック・サンドが載ったボードを置き、プラスチックの椅子に小さなお尻を載せた。

「元気なの?」

桜見にはそれがどういう意味の問いかけなのか?風白の言葉に再び思考を巡らせ返事を遅らせる。

「まあ元気」

元々、彼女とはそんなに話す仲でもない。部所も違えば共通の職務も無いし、基本的にはお互いに関わらずに社内生活を送れるそれぞれでしかない。しかし、どことなく愛嬌のある表情ですれ違いざまに笑顔で目配せされると、こちらとしても悪い気はしない。だが関係を強化する事や発展させることに桜見は全くと言って良いほど興味を持つ事がなかった。今回も、当然同じ会社の同じキッチンで偶然会ったにしか過ぎないはず。桜見の警戒心はさほどフェンスを立ててはいないが、こんな時が一番危険なのかもしれない。心の奥底で自分にそう言い聞かせ、風白の表情を慎重に伺う。桜見は戦線での経験が日常のあらゆる可能性を警戒心として引き出している事に気づいた。

「実は、お話しと質問があって」

風白から目線を離しテーブルの上の紙ナプキンを二枚ほど手に取ると、桜見は鸚鵡返しのように彼女に質問の意味を尋ねた。

「お話?質問?僕に?」

桜見はほとんど面識のない風白の口から出た言葉に少し驚き、彼女との間にあるわずかな記憶をたどりながら質問内容を模索した。

「良いかしら?」

「うん。まあどうぞ」

大きな瞳を落ち着いて動かし、アイ・シャドゥのパープルを桜見の瞳に焼き付けるばかりの目線で、その愛嬌とは裏腹に彼女は不思議な事を当然の様に語り始めた。

その風白菖蒲の話はこうだった。

このギャンブル依存性の高い戦線に寄り添う経済の発展に、不健全さを見かねたある団体が発足しつつあること。そしてその団体の取る目的と行動は、戦線への世界的な抑制と、覇者としてエスカレートして行くディラーMの解明。とても健全とは思えない戦線単独による経済発展が、たったひとつの組織によって動かされている事実を危険に感じるこの団体は、戦線が国家レベルでのギャンブルであるのなら社会性を持ち、その仕組みは公開され、世界からの指導がなされるべきとの強い主張を基に立っている。桜見には言わばそのアンチ戦線メンバーとしてなんらかの形で活動や奉仕をする事が可能か?と言うのが、ざっと風白が足速に説明してくれた内容だったようだ。

短い時間で彼女が口にした思いのほか詳しく驚くべき戦線の概要と、彼女が抱いている強い信念を知らされた桜見は、内心の驚きを押し殺した。間抜けな表情で平静を装い、時代の流れと戦線一辺倒でしかない自分の心の狭さを思い知らされる。桜見は風白に『よくわからない』と答えていた。自己人格から戦線ドライバーを追い出した桜見は、33番車券エントリーさえ出来ない残念な小市民としての自分を表し(この話をなぜ僕に?)と言う問いかけが風白を目の前にして考えられる精いっぱいの自問。しかも、彼女が語った内容は、この桜見にでもわかるようにあまりにも危険過ぎた。

「風白さん」

「なあに?」

「いや、どうしてこんな話を僕に?それにこの内容って」

「あぶない?」

「すごく危ないんじゃない?」

「どうして?」

風白の顔が的を得たように輝いたような気がした。

「どうしてって、これって、世界に対する挑戦なんじゃない?」

「どうして?」

「えっ?」

「どうしてこの話が世界に対する挑戦なの?」

「あっいや」

真顔で大きく少し青みがかった瞳を向けられると、もともと無粋な桜見にとって困惑な試みとなり、心が揺さぶられる。しかし、桜見としては当然の見解を彼女に言った。

「風白さんよく考えてみて。第一に相手が世界だという事。そして、僕達はたかが一般の会社員にしか過ぎない。そのギャップはここから銀河系を飛び出すくらいの距離があると思う。仮に僕たちが興味を持って何かをやろうとしても、とても相手にはならないし、僕たちは戦線や世の中や世界にとって、無に等しい存在にしか過ぎない。世界は僕たちを相手にしないと思うし、僕たちも世界を相手にする事は出来ないと思うよ」

桜見の小さな抵抗だったが彼女からの答えは何も無かった。

「じゃまたいつか夜にでも会いましょう」

(えっ?)

桜見は意表を突かれ立ち上がろうとしている彼女の名前を呼んだ。

「風白さん」

何かを理解し心を開放したかのような晴れ晴れした表情で、風白菖蒲はそのまま席を立った。少ししわになったタイトの端をはたきながら、こぶりな腕時計で午後の始業時間を確かめる。小さな背中で動かしたプラスチックの椅子をカタリと傍のテーブルにぶつけると、その背中を見つめる桜見の視線を中半無視し、風白はオフィスに向かって姿を消そうとしていた。桜見は風白が今話した内容を聞き彼女に向かって言った言葉とは裏腹に、改めて風白の神妙な内容を思い起こしていた。癖で濃厚なマグ・タイト・カップの柄に指をかけるが、もはやその好みの香りさえ認識していない。困惑した思考のまま、体内でうごめくアドレナリン分泌を抑え、記憶から話しが飛ばないように彼女からの内容のひとつひとつを思い出し、自分に言い聞かせる。風白とはわすか七~八分足らずの時間だったと思うがこれは戦線の時間とよく似ている。彼女と僕は闘っていたのか?戦線に対する世界感が桜見の考えとは別な方向へ動き出したように感じた。たった今、話を聞いた時から何度も繰り返していた答えの無い自問。

(アンチ戦線の内容をなぜこの僕に?もしや彼女は僕が33番だと気づいている?これは何かの警告なのか?彼女は一体何者なのか?彼女はいったい何をやろうとしている?)次から次へ湧いてくる疑問符付きの言葉に桜見は久々精神回復のあても無く当惑した。つまりショックを受けたのだ。

「まいったな。もうそろそろ僕の終わりが近づいて来ているのかも知れない」

すっかりぬるくなったマグ・タイトを習慣的に流し込みながら聞く桜見の耳には、午後からの始業ベルが入って来てはいなかった。


マトリックス的に、私達の今の世界が果たして正しい世界なのか?を問う作品であった。ハッピーエンドではあるが、その後がどうなったのか?についての描写は途切れていて、読む者達の想像と創造に委ねている。主人公がもう一人の主人公である女性に淡い思いを抱く事が切なく感じられるが、普通意図されそうな設定で終わらせていないところに清らかな印象が残る

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