25 (梅毒)〇
ホープ号の中は 複数のドアで閉じられており、ファントムが中に入ると大量に霧に包まれる。
その後 ファントムから 放たれている緑色の光で周りを照らし、ゆっくりと歩いて行く。
「真っ暗だな」
フックが前の椅子に座るジガに言う。
「まぁ この船は今、眠っているからな。
最低限の設備しか動いてない…よし、ここだ。
空気を入れたから普通に呼吸が出来るぞ。」
ジガがファントムを止めて、背中が後ろにスライドし 上の穴から外が見える。
息も出来るが、多少 肌寒いな…5℃位か?
「先に出てくれ」
「ああ…」
私は狭い室内から外に出る…身体が軽い…重力が少ないからか…。
「よっと…」
ジガが慣れた感じで外に出て 私の手を握り、ゆっくりと落ちて行く。
着地…また すぐにジャンプし、人が入れるサイズの扉が見え、自動で開く…。
中は灯りで照らされていて、奥には更に扉がある。
空気を逃がさない2重ドアになっているのか…。
扉が開いた先は 広い半円状の部屋になっており、ジガは椅子に座ってキーボードを何度か押すと、真ん中にある設備から光が放たれ、夜空が映し出される。
「うおっ…」
これは外の景色か?
「さあてと、3年ぶりに ここに来たけど 損傷は無いな…」
ジガが板に表示されている文字列を見て言う。
「もう、私からは魔法にしか見えないな。
こんな魔法を使えるまで人類は発展するのか…」
「基本のデザインは 殆ど変わらなかったんだけどな…。
よし、まずは着替えだな…こっちだ。」
私はジガの後に付いて行く。
着いた部屋はロッカーが並んでいる部屋だ。
ジガは その中から透明な袋から服を取り出す。
「このタオルで身体を拭いてくれ…それで除菌が出来る。」
「除菌?」
「あ~菌の概念は まだ無いのか…。
身体を綺麗にしてくれ、ここは閉鎖空間だ。
流行り病は すぐに広まって、あっという間に人が死ぬ。」
「ペストか?」
「まぁその類だな…。
感染症は銃や槍より 人を殺すから、だから衛生面は徹底する必要がある」
「確かに」
1665年ロンドンでのペストで被害は ケンブリッジ大学を休校にし、犠牲者の数は 他国との戦争を遥かに上回り、当時は『土地だけ残して人だけがいなくなる』と言われた程だ。
結局、1年後の1666年にパン屋のかまどから出火し、4日に渡ってロンドンを焼き尽くした『ロンドン大火』で大量のネズミが焼かれるまで収まらなかった。
ペストが収まった後は ネズミを絶滅させる位のレベルで 様々な方法で駆除を行い 公衆衛生の重要性を理解した事により、石鹸が普及し始めた。
今では人口が密集しているロンドンは それなりに綺麗になっている。
「そんじゃあ…御付きを付けるから、何か有れば ドラムに聞いてくれ」
「ドラム?」
部屋に入って来たのは 筒型の身体に手足が生えている道具だ。
「あ~ドラム缶なんて まだ無いか…。
樽って意味だ。」
「ドラムです。
よろしくお願いします。」
「今度は 喋る道具か…。
フックだ よろしく」
私がドラムと握手をする。
未来では人の頭ですら、錬金術で再現 出来るのか…。
ここまで来ると もう私には 神の御業にしか見えない。
自然哲学と錬金術を極めて 神が創った万物の法則を解き明かしてしまえば、人は神と同等の能力を得られるのか…。
「ジガは?」
「ウチは 皮膚を直して来る…。
着替えたら自由に動き回って良い。
何かあったらドラムが止めるから強行だけはしないでくれ。」
「分かった。」
「そんじゃあ後で…」
ジガは扉を開けて外に出て行き、私はドラムに石鹸を付けたタオルで身体を徹底的に洗われた。
こちらで用意して貰った下着に着替えて 私の服は廃棄…。
パイロットスーツと呼ばれる宇宙服をドラムに着せて貰う。
服は上下が一体となっていて、各所にベルトや極小の毛で布を引っ付ける素材が使われている。
ドラムの協力があるが 着るのは結構 大変だ。
ベルトで各部を締め付けて 空気を徹底的に抜く。
そして 最後にバギーに積んでいたガスタンクのホースをヘルメットと呼ばれる兜に接続し、最後に そのヘルメットを被る。
これで空気の無い所でも呼吸が出来るらしい。
服を着てガスタンクを背負ったら 隣の減圧室と呼ばれる所で、部屋の空気を抜いて服の性能を確認する。
うん ちゃんと呼吸が出来る…が、多少 手が動かしにくいな。
なるほど 服の中の空気はシッカリと抜いたが、服の中の気圧と外の気圧の差で動かしにくくなるのか…。
やっぱり実際に体験してみる今まで 気付かなかった発見が多い。
その後は、6分の1の重力を楽しみつつ 3体のドラム達によって準備された個室に入る。
人は食べて、出して、寝るの基本だが、無重力状態の宇宙だとトイレも食事もベッドも変わっている。
特に食事は驚いた。
湯を入れるだけで何倍にも膨らむ美味い保存食だ。
しかも、ジガは ここに来たのが3年ぶりと言っていたから この保存食は 3年間腐らずに保存されていた事になる。
これなら 航海中の食料も随分と良くなるだろう。
あ、そう言えば このホープ号は 町の大きさを持つ宇宙船だったな。
宇宙を旅すると言う事は長い間、物資の補給が出来ないだろうから こう言う食べ物が普及するのか…。
すべてが見た事が無い物なのに 確かに私達の生活の発展系だと分かる。
「人は ここまで神に近づけたんだな」
私は 目から大粒の涙を流した。
無菌室の手術台には 全裸のジガが 天井を見ながら寝ている。
そのウチの皮膚を引っぺがして新しい物と交換しているのは ウチが遠隔操作している白色の医療用ドラムだ。
ウチの足から腹辺りまで火炙りで綺麗に焼かれ、そこら辺の感覚情報が帰って来ない。
一応 視覚情報から補正を掛けて歩いていたが、走る事は無理だろう。
ウチらの皮膚は人を同じ感覚器官を内蔵していて、内側には空間ハッキングに使う為に必要な量子演算素子が織り込んである。
普通なら空間ハッキングで熱を無力化する所だが、今回はあえて機能を停止させて焼かれた。
この機会に各パーツの検査もしてみるが、炭素繊維の人工筋肉や内部フレームは火炙りの温度に耐えきり 交換の必要は無い。
前の皮膚と交換した皮膚の つなぎ目は目立つが、皮膚に電圧を流してやると 皮膚の自己修復機能が働き、つなぎ目が無くなって行く。
ただ、これには欠点があり くっつくのに1時間位 掛かりその間は動けないと言う事だ。
1時間後…。
フックがドラム達と宇宙での生活に付いて話していた所で、皮膚の張り直しが終わったジガが部屋に入って来た。
「さてと…後は念の為にフックの健康診断をして終わりだな。」
「健康診断?」
「そっ…地上でも検査出来るけど、せっかくこっちに来たんだ。
一度 精密検査を受けておいた方が良いだろ…。
何、血を少し抜いて全身を検査すれば すぐに終わる。」
「分かった。」
医者だと思われるドラムが注射器で私の血を抜き、検査機に掛ける。
そして私は下着一枚で医療用のベッドに横になり、ドラム達に色々道具を取り付けられ、検査される。
「さてと結果は…」
時間にして15分程で血液検査と全身のスキャン画像の結果が出て、ジガにデータで送られて来る。
「コレステロール値が高いな。
肉が好きなのか?食べまくっているな…。」
「当たりだ。」
とは言え、不作で食べ物が食べられ無くなる事も考えれば、多少脂肪が付いていた方が健康的ともいえる。
「うっわ…危っぶね…」
今ほど念のために精密検査をやって良かったと思った事は無い。
「何だ?流行り病にでも掛かっていたか?」
「いや…まぁ感染症よりは危険が少ないが これは これでヤバイ。
梅毒だ。」
「確かに数年前になったが もう治った」
「いや…これは治療しない限り身体に残り続ける。
今は潜伏期間中だな…まだ薬で治せるレベルだ。」
梅毒などの性感染症は、感染症と同じ位ヤバイ…。
と言うのも多産多死が当たり前のこの時代で、子孫を作らないと言うのは血縁の途絶に繋がるし、動物である以上 性的衝動を抑えるのも難しい。
と言う訳で、これも感染症と同じく爆発的に広がってしまう。
効率良く人口を増やして行かないと いけないウチらに取って まさに天敵となる病気だ。
「ドラム…。
抗生物質は地上でも作っていたが、いくらストックしている?」
「120kgを常にストックしています。」
1回1gなので12万回…スペースコロニー内で集団感染が起きても対応出来る量だ。
「それじゃあ、1㎏持ってく」
「分かりました。」
『こちらジガ…緊急…ハルミへ。』
ウチは量子通信でハルミに連絡を取る。
『如何したジガ…ホープ号で何か?』
『フックを精密検査した結果、梅毒に感染していると分かった。
レベルは2.5の潜伏期…。』
『トニー王国では初だな。
よし、抗生物質を1日1g…。
7日間ごとに血液検査をして完全に無くなった後、1週間は飲み続ければ治せる…問題なのは治療中に感染を広めない事なんだが…』
「フック…最近セックスは?」
「昔はヤリまくっていたが流石にもう勃たない」
『もう勃たないってさ…。
大丈夫そうだ。』
『勃起機能障害か。
それじゃあ、戻ったらアトランティス村の病院に行ってくれ、教師もするなら こっちの方が良いだろう。』
『分かった。
それじゃあ、明日辺りに戻る。』
『ああ待ってる。』
翌日の昼辺りにフックとジガは ホープ号から地球へ向かう軌道に乗り、ジガのサービスで地球を一周してトニー王国に降下する。
「なるほど…死の海域の中か…。
私が知らない訳だ。
ここに飲まれたら戻って来れないからな…私が国の名前を知らないのも納得だ」
「まぁ…まだ建国してから3年だし、人口も200人しか いないからな」
前の椅子に座るジガが笑いながら言う。
「なっ…まさか1万人もいないとは…」
「国民の半数が砂糖農園に送られるはずだった黒人奴隷だし…あ~奴隷では無く ちゃんと国民として生活しているぞ」
「そっか…一応 気を付けて置かないとな」
黒人が私達と同じ人だと言う事は理解してるが、人の売り買いや奴隷貿易などの商売に文句を言わない位には同族と思っていない。
彼らの言葉も含めて上手くやって行かないとな…
私 は二度と見れないかもしれない雲の上からの地上を見て そう思った。




