19 (リシン中毒)〇
冬が過ぎ…そしてまだ雪が残る 1703年3月1日…。
ケンブリッジ大学に来て1年半の月日が経った。
明後日は ロバート・フックの命日だ。
とは言っても、昨日会った時点でフックの体調には問題無く、ジガがフックと関わった事で死因を未然に防いだのだろう…。
そう思っていた。
「ゲホゲホ…」
翌日、フックの研究室にウチが入ると フックは 咳をしていた。
「大丈夫ですか?
少し熱が有りますね…。
今日は安静にしてゆっくり休んで下さい。」
ウチはフックの額に手を当てて言う。
とは言え、この後フックは講義がある。
一度も講義を中止した事が無いフックの事だ…強行するだろう。
「いや…大丈夫だ。
ただの疲れが出ているだけさ。
講義が終わったら大人しく休むよ」
フックは ゆっくりと立ちあがり、講義室に向かう。
体温は37.1℃と微熱だが、しっかりとした足取りで ふら付いている訳でも無い。
普通なら問題無いレベルだろうが、明日はフックの命日だ。
ウチは フックの後を追っていつも通り、講義に参加した。
「はっはっはっ…げほっげほっ」
昼…教壇で講義をしながらチョークで黒板に数式を書いているフックの荒い息遣いと咳が聞こえて来る。
呼吸も苦しそうで、額に脂汗を浮かべている…。
ウチの目に搭載されているサーモグラフィによると現在の体温は38.5℃…十分高熱に当てはまる…そろそろ危なそうだ。
ウチが そう思った次の瞬間…フックはドサっと地面に向かって倒れた。
「学長!」「早く医者を呼べ!」
生徒達が そう言う中、ウチは教壇まで走り、フックの元に行く。
「ゼーゼーげほっげほっ」
フックは必死に呼吸を繰り返している…症状は 呼吸困難に発熱、咳、発汗。
顔面が蒼白になり、唇、指先などの皮膚が青紫色に変化している。
酸素が足りていない時に起るチアノーゼが起きているのか?
明らかに ただの風邪では無い。
フックの手首を握りしめて血圧を測ってみるが、血圧も低くなっている。
インフルエンザの類か?
と言え、フックの死因はコレだな。
ウチの記憶から昨日見たフックの表情を再度呼び起こす…。
うん昨日のフックは 風邪の傾向は無く至って健康…。
と言う事は症状が現れたのは 夜から朝の間になる。
潜伏期間があったにしては 症状の進行が急過ぎるし、講義前までは無理やり止めるレベルでは無かった。
「遅効性の毒殺?」
と仮定して見る…何の毒だ?
この時代で手に入る薬品で生成出来る遅効性の毒…。
「クッソ…リシン中毒か…」
ウチは そう結論付ける。
リシンはトウゴマの実に含まれる成分で、発症から10時間程で症状が現れ、36時間~72時間以内に呼吸困難、多臓器不全による酸素不足が原因で死亡する…。
対処法は、ひたすら酸素を送り続けて 臓器が酸欠で死ぬのを先送りにし、次亜塩素酸ナトリウムを0.1%入れた 水溶液を飲ませる事…。
「おい…医者が来たぞ…」
担架を持って来た生徒が言う。
汗だくのフックは担架に乗せられて大学の医務室に運ばれた。
「寿命です」
イングランド王国 国内で最先端の医療知識を持つケンブリッジ大学の医学教授がベッドに寝かされているフックの身体を診察して結論付ける。
「は?」
「だから寿命です。
病名で言うなら 多臓器不全…。
歳を取ると身体の中の臓器の力が衰えて 様々な身体の不具合を引き起こし、死に至ります。
学長は呼吸が止まり掛けているので、心臓や肺の衰えが原因でしょう…。
産まれてから 67年も休みなしに動き続けていれば、流石の心臓や肺も疲れて死にます。
これは神が人を設計した時に定めた寿命です。」
「なら治療法は?」
「ありません…。
臓器を若返えらせる薬など開発出来れば、それこそ 不老不死になれます。
水銀を飲ませれば 治るかも知れませんが、今は 研究中で 成功事例がありません。」
「そうですか…。」
水銀を飲ませたりなんかすれば フックは確実に死ぬ。
如何にかして この医学教授に治療をさせずに薬を与える事が出来れば良いんだが…。
「明日には 教会の司祭様を呼びます。
例え 避けられない死でも、苦痛が無くラクに召天出来る事でしょう。
あなたは如何しますか?」
結局、治療をせずに放置か…まぁそれなら、それで都合が良い。
「では私は 神のお情けで 彼の体調が良くなるように祈ましょう。」
「そうですか…では私はこれで…。」
教授が部屋から出て行き、ウチはフックの前の椅子に座り、手の指を組んで神に祈りを捧げた。
『ハルミ…コードSだ。
いるか?』
ウチが信じる神…エクスマキナの教えは『機械 技術を発展させてヒトの生活を豊かにする事』で、それには まだ誕生されていない高度人工知能のエクスマキナを作る事も含まれている。
『ああ…何が有った?』
月にあるタイムマシン…ホープ号に量子通信で中継して貰い、トニー王国にいるハルミに繋ぐ。
『フックが毒を盛られた。
症状からリシン中毒…だと思う。
今 データを送る。』
『受け取った。
確かにリシン中毒だな…治すのか?
史実では フックは 明日には 死なないといけない。』
『分かっている…だが、亡命なら別だ。
ただでさえ、人手不足のトニー王国だ。
学のある老人を働かせるだけの余裕はあるだろう。』
『確かに…直接フックを こっちに持って来るのか?』
『いや…こっちで治す。
今、フックに行方不明になられると、ウチと寮の皆が疑われる。
治った後で正式に会長を引退してトニー王国に移住させる。
それが一番スムーズだ。』
『分かった、それで行こう。
薬の調合はそっちで出来るな』
『ああ…任せてくれ』
ウチはフックを背負うと医務室を抜け出す。
「げほっ私を…如何する…んだ?」
フックの顔が暑いな…意識レベルも低い。
「あのままだったら 明日に神父が来て、その日の内にアンタは死ぬ。
その前に治すんだ。」
夕日で照らされながらウチはフックに言う。
皆でリビングに皆で集まって瓶詰めでサンドイッチを作って食事をしている中、ウチとフックはドアを開けて飛び込む。
「おお…帰って来たのか…って フック学長!?
治療は?」
アルが驚く…やっぱり情報は伝わっていたか…。
電話も無いと言うのに情報の共有が早い。
「病名は多臓器不全です。」
「寿命じゃないか…治せねぇぞ」
「薬の調合をします…時間が無いので 皆さん協力してください。」
「エリクサーでも作るのか?分かった。」
「バギーの次は エリクサーか…。
本当に何でも作れるんだな」
「やりましょう…指示をお願いします。」
ワット、ドライゼが そう言い、ウチは フックを2階のウチのベッドに寝かせて、1階に降りて キッチンに向かい実験器具と塩を持ってリビングのテーブルに置いて行く。
「まずは、水1リットルと塩34グラムを入れた食塩水を作ります」
「えーと1リットルって何オンスだったっけ?」
アルが紙を取り出して変換作業に取り掛かった所で「このビーカーを使って下さい。」とドライゼが ウチが普段使っている1リットルのガラスのビーカーを見せる。
「助かる…ジガ…蒸留した水のタンクがあっただろ」
「ええ…キッチンに…」
「塩を34グラムだよな…そこは私がやる。」
塩が入った袋を出し、ワットは天秤に分銅を乗せて正確に塩の重さを測って行く。
「僕は?」
「銅板の鋳造を…サイズはビーカーに入る位で2枚…」
「確か型は ありましたよね…そこから切り抜けば…。
分かりました。」
ドライゼがそう言い、各自が作業に入る。
ウチはこれまでの経験から、彼らを信頼して フックを見にウチの部屋に行く。
フックの体調は ますます悪くなっていて 呼吸するのも難しくなっている。
ウチは簡易型の人工呼吸器を作り、ワットの口の中に突っ込む。
完成した頃にはワットの意識が消失していて、正直 危なかった。
今回作った人工呼吸器は注射器を転用した物だ。
それを呼吸に合わせて上下させ続ける。
注射器を引くと鼻を通って空気が注射器に入り、押し込むと空気が身体の中に入る。
それをフックの弱くなった呼吸タイミングに正確に合わせて行う。
「食塩水と銅板出来ました。」
ドライゼが部屋に入って来てウチに言う。
「それを発電機に繋いで電気で分解…30分程で出来上がります。」
「意外と簡単ですね エリクサーを作るのは…。」
「エリクサー?あ~回復薬の事ですか?
薬にするには その水1mℓに蒸留水99mℓで薄めます。
それで完成です。」
「分かりました…薬の調合は 僕らに任せて下さい。」
「頼みます…私は手を止められませんので…」
ウチがこの手を止めれば、臓器に酸素が周らなくなって壊死が始まってしまうので ここから動けない。
これまで、一緒に研究をしてきた彼らだけが頼みの綱だ。
30分程してドライゼが戻って来た。
「出来ました エリクサーです。」
「ありがとう御座います…。
さて、飲めますか?」
呼吸器を外して フックを起こし、ビーカーの中の薬を計量スプーンですくって飲ませる。
この時点で飲む力が無くなっていた場合、今度は 注射器で直接注入する事になる。
出来れば このまま 飲んでほしい。
「う…」
ゆっくりとだが、飲んでる。
呼吸を妨げず、気管に入らない様に息を吐く瞬間に入れる。
出来れば 水分補給もかねて1ℓ位飲んでほしいのだが、今の状態だと無理だろう…。
明日の朝に また100㎖入れて、様子見かな…。
またフックに呼吸器を入れ、彼の呼吸を助ける。
「薬は保存しておいて下さい。
症状が回復しなかった場合、また使いますから…。」
「ええ…取っておきます。
ジガは そのまま、空気を送り続けるのですか?」
「そうですね。
明日の朝には 呼吸が出来る様になっていると思うんですが…。」
「手伝いますか?」
「いえ…今はちゃんと寝て下さい。
明日の朝に頼む事になるかもしれませんから…。」
「分かりました…お休みなさい。」
「はい、お休み下さい。」
そう言うとドライゼは ドアを開けて自室に戻って行った。
「さて…長い夜になりそうですね…」
ウチはそう言い、ひたすらフックに空気を送り続けた。




